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「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した”新理論”に戦慄

2025年05月12日 23時03分01秒 | 科学のはなし

 

 

「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した”新理論”に戦慄(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/da59f489ea9389bbf616fd6fa2229cc76b7c8085

 

「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した”新理論”に戦慄
3/27(木) 7:01配信


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現代ビジネス
Photo by gettyimages

「いつの日かAIは自我を持ち、人類を排除するのではないか―」2024年のノーベル物理学賞を受賞した天才・ヒントンの警告を、物理学者・田口善弘は真っ向から否定する。

【写真】知能とはなにか…意外と知らない人工知能と機械学習の「致命的な違い」

理由は単純だ。人工知能(AI)と人間の知能は本質的に異なるからである。しかし、そもそも「知能」とは何なのだろうか。その謎を解くには、「知能」という概念を再定義し、人間とAIの知能の「違い」を探求しなくてはならない。生成AIをめぐる混沌とした現状を物理学者が鮮やかに読み解く田口氏の著書『知能とはなにか』より、一部抜粋・再編集してお届けする。

『あなたならどう解く?「100個の都市を通過する最短経路を求めよ」…「アリ」をヒントにコンピュータ科学が導き出した「衝撃の答え」』より続く。

本質はハードウェアではなくソフトウェア

 

心が身体と独立に存在するいわゆる心身二元論は、知能のソフトウェアが脳というハードウェアから分離可能であるという考え方の嚆矢であると言えよう。心身二元論を最初に唱えたのは「我思う、ゆえに我在り」と述べたことで有名なフランスの哲学者、ルネ・デカルトだった。

 

デカルトは、ヒトの体は機械であると考えた。体内の機械の部分から神経を通って空気が脳に運ばれ、松果体(=脳の中にある小さな内分泌器)で脳と体が結ばれて心が作られると考えた。この考えが、心と体を別のものとする「心身二元論」の起源になった。

心身二元論、すなわち心というものが体とは別にあって、体に宿ることで知能が発揮されるという考え方がベースにあったとしても、そこからいきなり知能がソフトウェアベースで書けるという古典的記号処理パラダイムにまで一気に進んでしまったのはなぜだろうか?それはおそらくチューリング―ノイマン系列のコンピュータの「本質はハードウェアではなくソフトウェアだ」というアプローチが非常にうまくいってしまったからだろう。

ハードとソフトが分離可能な理由

 

チューリングは実体としての計算機が存在しない時代にチューリングマシーンという仮想的なコンピュータを考えた。このコンピュータは長いテープとテープの上に書かれた記号を読みとって動作し、テープを送ったり戻したりするヘッドからなる仮想的なシステムだったが、すべての計算をこなすことができることが判明した。

チューリングは別にコンピュータというハードを実装するためにチューリングマシーンを考えたわけではないようだが、これが現在のコンピュータの原型となり、後にノイマンが現実のコンピュータのアーキテクチャを構想した。

ノイマンが考えたのは「プログラム内蔵方式」のデジタルコンピュータである。CPUとアドレス付けされた記憶装置とそれらをつなぐバスを要素に構成されている。命令(プログラム)とデータを区別せず記憶装置に記憶するもので、まさにヘッドとテープからなるチューリングマシーンを現実のハードウェアで実現するアーキテクチャになっていた。

現在に至るまでコンピュータは全部この「チューリング―ノイマン系列」だと言っても過言ではない。

まずソフトがあって、それからそれを実現するハードが作られたのだから、ハードとソフトが分離可能なのは当然だったわけだ。

『パソコンと他の機械との「決定的な差」…「じつはあなたも知らずに使っている」“二人の天才”の「革新的技術」』へ続く。

 

パソコンと他の機械との「決定的な差」…「じつはあなたも知らずに使っている」“二人の天才”の「革新的技術」(田口 善弘) | 現代新書 | 講談社

 

パソコンと他の機械との「決定的な差」…「じつはあなたも知らずに使っている」“二人の天才”の「革新的技術」

田口 善弘

中央大学理工学部教授


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「いつの日かAIは自我を持ち、人類を排除するのではないか―」2024年のノーベル物理学賞を受賞した天才・ヒントンの警告を、物理学者・田口善弘は真っ向から否定する。

理由は単純だ。人工知能(AI)と人間の知能は本質的に異なるからである。しかし、そもそも「知能」とは何なのだろうか。その謎を解くには、「知能」という概念を再定義し、人間とAIの知能の「違い」を探求しなくてはならない。生成AIをめぐる混沌とした現状を物理学者が鮮やかに読み解く田口氏の著書『知能とはなにか』より、一部抜粋・再編集してお届けする。

 

 


『「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した“新理論”に戦慄』より続く。

設計と製造が分離している機械
しかし、冷静に考えてみると、設計と製造が分離している機械というのは実はまれである。例えば、自動車の設計図を作ることと実際に動作する車を製造することには大きな隔たりがある。

設計図というのは往々にして最低限これだけは満たさなくてはならないという仕様書のようなものに過ぎない。いわば実際に動作する機械を作るための試行錯誤の幅を限定してくれる手引きのようなものだ。設計図に沿ってなにかを作って動かそうとしても温度や湿度の関係でうまく動かなかったり、摩擦が大き過ぎて止まってしまったりすることもある。

 

 

Photo by gettyimages
ところがチューリング―ノイマン系列のコンピュータにはこのような問題がない。プロセスは1個1個順番に進められるので、前のプロセスが終わってからしか次のプロセスは開始されず、お互いに直接関係があるのは前後のプロセスだけである。したがって、ハードウェアが保証しなくてはいけないのは現在のプロセスがあったとき、次のプロセスが実行されることだけであり、局所的な制限だけである。

 

コンピュータは例外的な機械装置
これに対して自動車の場合は、複雑な部品がリアルタイムで相互作用しているため、すべての組み合わせで問題がないことを確認するのは極めて困難である。

このように通常の機械装置とコンピュータというハードウェアは、ハードとソフトの分離可能性という観点で大きく異なっており、むしろコンピュータのほうが例外的な機械装置であると言える。

 


コンピュータは別に「チューリング―ノイマン系列」のものである必要はない。例えばアナログコンピュータといって、微分方程式を解くことしかできないが、その微分方程式と等価な電気回路を構成し、電圧を測定することで解を得る、という形の装置は実在した。また前述のエニグマも、暗号を組み替える場合には、歯車を物理的に組み直す必要があり、その意味ではハードとソフトの分離は完全ではなかった。

歴史に「もしもはない」にせよ、もし、「チューリング―ノイマン系列」のハードとソフトがほぼ分離可能なアーキテクチャではなく、アナログコンピュータやエニグマみたいなハードとソフトの分離が不完全なコンピュータしかなかったのなら、古典的記号処理パラダイムのような誤謬(と言ってしまっていいのかどうかわからないが)が生まれることもなかったのではないかと思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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