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「東京の方が圧倒的に働きやすい」54歳で山形から東京に移住、73歳の今も”タイミー”駆使し介護職として働く女性に聞いた≪正直な感想≫
4/29(火) 5:56配信
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東洋経済オンライン
東京での暮らしは、山形時代と比べてどのように変化したのだろうか(撮影:今祥雄)
老後の移住というと、リタイア後に都市から地方へ移住するイメージが強いですが、近年、子供のいる東京に地方から移住する人がじわりと増えています。
ただ、年を重ねてから初めて東京に住むとなると、子供のそばで暮らせる安心感がある一方、生活に適応できるかといった不安や、住み慣れた街を離れる寂しさなどが立ちはだかり、なかなか決断できるものではありません。
そこで本連載では、その“勇気ある決断”をした経験者たち(もしくはその子)の話を聞き、移住を考えている人の参考になるお話をお届けします。
【家系図を見る】54歳で東京移住を果たした室橋さん(73)の家族構成はこんな感じ。孫育ても現役だ
第2回目は、50代半ばで山形県から東京に居を移した室星流美子さん(73歳)です。
(この記事は後編です。前編はこちら)
■移住先は長女と同じマンション
2006年6月、室星流美子さん夫妻は山形から東京への移住を決断し、わずか1カ月後には新しい生活をスタートさせた。東京での暮らしは、山形時代と比べてどのように変化したのだろうか。
室星さんがまず住んだのは東京・八王子。長女が住むマンションの別の部屋を購入した。東京移住後、室星さんが何よりも価値を感じたのは、娘たちが仕事を続ける手助けができたことである。市役所職員や助産師として働く娘たちにとって、育児と仕事の両立は大きな課題だったが、室星さんの存在が支えとなった。
「娘2人とも、それぞれの仕事を続けられているのは、私の協力が大きかったと思います。子供の高熱が続いたときは泊りがけで看病をすることもありました」
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室星さん自身、夫が単身赴任でいない中でも「社会参加する生き方」を見せたいと子育てと仕事を両立してきた自負がある。そんな母の背中を見て、娘たちもやりたい仕事を見つけ、それを室星さんは全力でサポートした。
現在は長女の子供たちは大きくなったが、次女の子供たちは小学生と幼稚園生ということもあり、まだまだ手のかかる年頃だ。今でも室星さんは孫と休日は鬼ごっこをするなど、長いときは3〜4時間公園で遊ぶこともある。また、孫とのお出かけもお手の物だ。
「東京は博物館や遊び場などがたくさんあって、どこにでも電車ですぐ行ける。山形ではそうはいきません。春休みには、孫が戦国時代に興味を持っているので、関ヶ原を旅行しました。子供や孫とこうして一緒にいられることが、本当に幸せです」
■移住後すぐに再就職
一方で流美子さんも、移住の翌月には仕事を再開、現在に至るまで介護の仕事を続けている。
60歳の時に一度は定年退職をしたが、そのタイミングで介護系の学校に通い直し、介護の講師の資格を取得。この資格を生かし、職業訓練校での講師を始め、現在で13年目になる。
60歳を過ぎてからの勉強は大変だったはずだが、それでも流美子さんは明るく語る。「山形にいる時から、いつかは教える立場になりたいと思っていました。今は、介護の楽しさを若い人たちに伝える仕事ができて嬉しいです」。
そんな流美子さんにとって、東京は働き口を見つけるという点でも理想的な場所だった。山形に比べ、仕事の選択肢も多く、勤務地への移動も楽だ。また、山形では接する相手が「知り合い」か「知り合いの知り合い」で気を遣うことも多かったが、そんな場面もない。
今も講師業と並行して、タイミーなどのアプリを活用し、隙間時間で介護現場にも立っている。
「90歳過ぎてもヘルパーの仕事を続けている人もいる。自分より年下の人を介護するヘルパーも今は多い。私も健康で身体が動くまでは介護の仕事を続けたいと思っています」
流美子さんにとって東京移住はまさにいいこと尽くし。何一つ嫌なことも困ったこともなかったというが、ひとつだけ気になるのは夫の存在だ。単身赴任の夫は定年後、どうしたのだろうか。
「夫は移住して4年くらいたった頃に定年になり、東京に来ました。ただ、私とは性格がまるで違います。他者と話をすることを好まず、かといって私を否定することもない。
とりあえず私がご飯の準備をしておけばよく、あとはお互い好きなようにやっています。夫も趣味はパソコンでの将棋と碁、それに絵を描くことです。出不精で、家で過ごすことがほとんど。旅行に行くこともありません。
私が娘の家に行くときも、一緒に行くことはありませんし、必要以上に関わろうとしません。でも、それが自然で、お互いに干渉せず、うまくやっています。孫が自宅に来る時はさすがに会話していますが」
■終活も自然に話せる家族関係
そして、移住から20年弱が経ち、年齢を重ねた今、終活についても家族と自然に話せる関係が築かれている。
「まず娘に伝えているのは、私には延命治療はしないでいいということ。娘からは『骨をまくのは海か山のどちらがいいか』と聞かれたりしています。私は『海は深くて嫌なので山のほうがいい』などと返していますが(笑)」
人生の後半に東京へ移り、自分らしい人生を築いた室星さん。その歩みは「自分のやりたいことを諦めずに進む」ことの意味を教えてくれる。
「移住してからの仕事や生活は健康だからできるのです。本当に東京に早めに移住してよかったと思っています」
——人生は一度きり。けれど、どう生きるかは自分次第。やりたいことをやり抜くことは簡単なことではないが、やってみる価値はある。室星さんの話を聞いていると、納得できる人生を全うするための勇気と希望、そしてヒントをもらえた気がした。
岩崎 貴行 :ジャーナリスト・文筆家