「学歴で人を評価するのはアリか、ナシか」。学歴社会は人から個性を奪っているのか(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
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「学歴で人を評価するのはアリか、ナシか」。学歴社会は人から個性を奪っているのか
4/22(火) 6:51配信
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ダイヤモンド・オンライン
Photo: Adobe Stock
「大学受験」は10代における最大のイベントです。残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。
● 学歴社会は人から個性を奪っていないか
――よくも悪くも日本は学歴社会だと言われますが、実際はどうなんでしょうか。
びーやま氏(以下:びーやま):たしかに日本が学歴社会であることは間違いありません。
新卒で就職をするならば「学歴フィルター」は避けられませんし、テレビを見ても人気のクイズ番組は大学ごとでチームになります。新聞を読めば、経営者のプロフィール欄は必ず出身大学からはじまりますし、新内閣発表に至っては大学名だけでなく、全員卒業年と学部名までセットで紹介されます。
このような状況ですから「学歴社会ではない!」と言うのは無理があります。
――その学歴社会ですが、ある種「大学名」だけで人をラベリングする行為とでも言いましょうか、個性を見ずに人を判断する装置としても機能しているように感じるのですが、その点はいかがでしょうか。
びーやま:むしろ僕は逆だと思っています。学歴がその人の個性をわかりやすく浮かび上がらせているんじゃないかと。
――おもしろい答えですね。どういうことか詳しく聞かせてください。
びーやま:仮に学歴がない世界だとして、僕らはどのように人のことを判断するのでしょうか。もちろん一人ひとりと深くコミュニケーションを取って人となりを理解していくのがベストですが、すべての場面でそんなことが可能とは思えません。
たとえば、就職の場面では、数千、数万といった学生の応募があるわけで、限られた時間のなかで全員を細かく見ていくなんてことは不可能でしょう。
もちろん、学歴で見てしまうことによって、いい人材の取りこぼしなどはあるでしょうが、それでも現実的な方法として学歴は機能していると思います。
テレビでも同じです。クイズ番組でわざわざ学歴を出すのは、「頭がいい」というのをわかりやすく伝えるためですから、1つの判断材料として十分に機能しているように思います。
● 学歴は「個性の一面」である
――なるほど。たしかにおっしゃる通りですね。ですが、それがどう個性と結びつくのでしょうか。
びーやま:もちろん学歴だけで個性が全部わかるということではありませんが、個性を知る参考情報にはなると思っています。
たとえば、「工学部情報学科卒です」と言われたら、その人が普通の人より機械やコンピューターなどの知識が豊富なのは容易にわかります。加えて、それが名門大学なのであれば、そのレベルが高いこともわかりますし、受験勉強を頑張ったということもわかります。
「どこの大学のどんな学部を出たか」という学歴情報だけで、
・どの分野に強いのか
・どのレベルで学んでいるのか
・どのくらい頑張れる人なのか
という意外と知るのが難しい情報があっという間に手に入ります。これらは本人に詳しく話を聞けば済む話のように思われがちですが、「僕は勉強も得意で、コンピューターに強いです」と言われるよりも、学歴のほうが客観的に判断することができますから、情報の信頼性も高いです。
ですので、学歴は「その人の個性の一部分を浮かび上がらせたもの」だと思うんです。その意味で、学歴は立派な個性なんじゃないかと。
――よく理解できました。学歴が「その人らしさ」を一定程度担保しているんですね。
びーやま:そういうことです。ですので、「学歴なんか関係ない! 個性を見ろ!」というのは的外れで、学歴も個性の1つなんだよと僕は思います。
そんな役割を持った学歴を極端に度外視するほうが、その人の一部分を「あえて見ません」と言っている行為な気すらします。
ほかにも、「大事なのは学歴じゃない! どれだけ努力しているかだ!」という人もいますが、その努力を可視化したものが学歴です。加えて、理系などの場合は学部で学んだことがそのまま将来に直結しますから、学歴が「努力の過程」の役割を果たしているという見方も十分にできると思います。「将来はエンジニアになりたいんで〇〇大学で勉強しています」というのは、立派な夢への過程ですよね。
学歴を嫌う人がいるのもわかりますが、一方でそれは合理的に考えなければかえって人のよさを否定していると思わざるを得ません。学歴だけがすべてではもちろんないですが、学歴だからこそ見えてくる個性というのは確実にあります。
● とはいえ、世の中は実力社会でもある
――なんだか、学歴がないとむずかしい社会なような気がしてきますね。
びーやま:そんなこともありません。矛盾するようですが、日本は学歴社会であるのと同時に実力社会です。そうでなければ非大卒でも世の中でたくさん活躍している人がいることに説明がつかないですし、名門大学以外でも各業界にトップランナーはたくさんいます。
ですから、「学歴(の価値は大きいが、結局は実力)社会」というのが正確な表現なのかなと思います。
実際に多くの企業も採用の際には、学歴も見つつ、最終的には人で判断するという方法を取っていますし、要はバランスなのではないでしょうか。
ただ、仮に学歴がない場合でも、学歴と同じように「なにかしらの形」で努力や成果は見せないと評価は得られないと思います。そうでないとそれは人には伝わらないですし、そういった形で表現できないようなものは、まだ個性としては弱いという見方もできるのかもしれません。
その意味では学歴社会が今のトレンドを作ったのではなくて、社会の評価方式と学歴の相性がよかっただけなのかもしれないですね。
いずれにしても学歴は立派な個性だと思いますし、豊富な人生の選択肢からどの道を選んだのかという意思決定の部分においても「人間らしさ」が一番出るものだとも思います。
ですから、受験生には大学受験を通して個性を爆発させてほしいと思っています。
――詳しくお話しいただき、ありがとうございました。
びーやま[著]
教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。早稲田大学教育学部卒。高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。
高田ふーみん[協力]
教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。京都大学経済学部中退(現役合格)。学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。決め台詞は「Fランやないか」。