『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』(辻井喬)を読む。
ひとりの政治家のことを書いた小説を読むなど、これまで一度もなかった。
そして、そのようなものをわたしが読むなど、想像もつかなかった。
ましてその主人公が、ついこの前までほとんど興味がなかった大平正芳であるなど。
物語のなか、「楕円」というキーワードが何回か出てくる。
初出は、27歳の正芳が横浜税務署長としてはじめて行った訓示のなかだ。
それは実際に大平正芳の言葉として記録されているものらしい。
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「行政には楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちながら緊張した関係にある場合、その行政は立派といえる。(中略)税務の仕事もそうであって、一方の中心は課税高権であり、他方の中心は納税者である。権力万能の課税も、納税者に妥協しがちな課税も共にいけないので、何れにも傾かない中正の立場を貫く事が情理にかなった課税のやり方である」
(Kindleの位置No.803)
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本書の最後に「楕円」が登場するのは、日本国総理と米国大統領の間における密約をスクープしたが「情を通じて情報を入手」したというその取材方法によって罪に問われた元通信社記者との会話中だ。福田赳夫との「四十日抗争」のあと、いわゆる「ハプニング解散」を経て行われた史上初の衆参同日選挙直前である。
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今まで不正確に“楕円の思想“と呼んでいたのは、敵対者や相反する要素を大きく含む超越者を待望する思想であってはいけないのだ。むしろ、田島がヒントを与えてくれたように、個と集団という二つの核を包み込む世界観をしっかり持て、という思想なのだとひそかに自分に言い聞かせていた。
(No.5354)
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「楕円の思想」という言葉で、わたしが思い浮かべるのは、『21世紀の楕円幻想論』(平川克美)だ。そのなかで平川さんは、花田清輝が『楕円幻想』というエッセイで書いた「楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずることを意味する」というテクストを受け、こう記している。
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花田が言っていることの意味は、相反するかに見える二項、これまでわたしが言及してきた言葉で言えば、「縁」と「無縁」、田舎と都会、敬虔と猥雑、死と生、あるいは権威主義と民主主義という二項は、同じ一つのことの、異なる現れであり、そのどちらもが、反発し合いながら、必要としていることです。
どちらか一方しか見ないというのは、ごまかしだということです。
ごまかしが言い過ぎだとすれば、知的怠慢と言ってもいいかもしれません。
(P.206)
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この書を読み、いたく興奮したのは、2018年5月のことだ。
それから2年が経ち、思いもかけないところから「楕円」というキーワードが、わたしの脳内にふたたび飛びこんできた。
大平正芳。
「鈍牛」というそのニックネームがいかにもさもあらんと少年期から青年期にかかるわたしに思わせた彼の風貌と口調、そして楕円形、脳内でそれらがごちゃまぜにリンクしあいながら、この人物のことを、も少し知りたいと思った。