まこと水の庭というやつは見ていて飽きがこない。
例えば上の写真である。
すっと立つ大輪の青い睡蓮。
昼過ぎても何故か開かない、同じく青い睡蓮。
開きかけたまま、くにゃっとなった小さい青い睡蓮。
誰も皆、注目はしないが、それがなくては全てが成り立たない睡蓮の葉っぱ。雨粒を乗せた葉っぱ。
さて、うちわで最も私に近いのはどれなんだろう?
と、ほんの少しだけ考えかけたが、そんなものに我と我が身を仮託しても詮ないこと。
偶然の妙と、それを切り取った構図に、独り満悦していればそれでいい。
それが水の庭ウォッチングの、(私の)正しい作法である。
それでいいのだ。
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日本人の本然は情緒であると言った。
その情緒はよどみのない水のようなもので
包み込むことによって、2つが1つともなる
と言ったようなことを、を私は思わずにはいられなくなった。