彼岸に向けて墓掃除をした。
女房殿とふたりでした。
「もう、雑なんだから」
いつも決まってそうダメ出しをされるのだが、今回はなかった。
やっと彼女の完成イメージにわたしのそれが追いついたのか。よもや、こと掃除という分野では怠惰かつ粗雑極まりないわたしという人間が、一転、まじめでていねいになったとは、どこをどう見ても思えないが、ともあれ気分は悪かろうはずがない。
墓からの帰り道、ではどうしていつもダメ出しをされていたのかを考えてみた。
思い当たったのが「イメージ共有の欠如」だ。
品質目標、つまり「共通の指標がなかった」と言い換えてもいい。
たとえばそれは、1平方メートルに落ち葉が一枚もないか少し残っているかとか、水差しの汚れはカンペキにとれているか少し残っているかとかだ。「これでいいのだ」と判断する基準が、わたしと彼女とではちがっていたというのが、これまでの齟齬を生み出してきたことに気づいたのだ。そこへ持ってきて、彼女はこの仕事を司る人だ。たまに参戦するわたしが、その品質目標にすり合わせることなく、わたしの持っているイメージだけで仕事をすると、当然のこととして、主たる彼女が気に入る仕上がりにはならない。
では何が必要なのか。
品質指標。
そんな四文字が脳内にタイプされた。
1平方メートルにある落ち葉の数は何枚までならOKで何枚を超えるとNGか、水差しの汚れがカンペキにとれない場合は新品に取り替えることだとか、一つひとつについてチェックシートを用いて「共通の指標」とする。
仕事においてそれと似通っているのは整理整頓だろう。いつもわたしにダメ出しをされるAくんや、物を移動させただけで整理をしたと思いこんでいるBくんにしたところで、本人たちは「これでいいのだ」と思っているにちがいない。ここまでしてはじめてOKなのだ、あるいは、ここまでしなければNGなのだという具体的かつ共通の物差しがなくして、相手を怠惰だとか雑だとかと非難しても、問題解決にはつながらない。
彼岸前の日曜日、墓掃除からの帰り道。
かたわらを歩く女房殿にそんな考えを伝えてみても、
「理屈じゃないの。四の五の言わずにマジメにきちんとやりゃあいいのよ」
なんて叱られるのがオチなのだろうけど。
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