きのうの稿にコメントが届く。
「あおき」さんからだ。
本来、コメントに対する返事はコメント欄でするべきものだろうが、ことの重要性を考えて、ここ、本編で返答することにした。
「あおき」さんは言う。
・・・・・・
それで良ければ、『その頑張りがなかった事になる。』『沢山の方々のチカラがあって当たり前は成り立っている事』を知って頂かなければいけないと思います。
感謝して欲しいからではなく・・・
我々の役割を知って欲しいから
伝えなければ分かる訳が無いと思います。
私も建設業以外の方の頑張りに気づけないから、だから異業種の方と話をするとハッとさせられる事が多いです。
気付きや思いを馳せる為の、「キッカケ」を私達は作らなければいけないと思います。 事実を正直に正確に ・・・・・・
・・・・・・
そう、 感謝してほしいわけではないのだ。
わたしたちの役割を知ってほしいのだ。
ここが核心なのでもういちど繰り返す。
感謝してほしいわけではないのだ。
わたしたちの役割を知ってほしいのだ。
気づきや思いをはせるためのキッカケをわたしたちがつくらなければいけないのだ。
「土木」という存在があって普通の暮らしが成り立っている。
だからオマエらはオレたちに感謝しなければならない、などという気持ちはさらさらない(ウソです。ええかっこです。以前はありました。でも今はもうない)。
しかし、その「役割」さえ知られないのであれば、現場で一所懸命やっている人たちが、あまりにも可哀想ではないか。
そして、それを発信し得る立場の人間が、「それでいいのだ」と言ってしまうのは、怠慢以外のなにものでもない。
ということで、きのうの締めくくりを繰り返す。
・・・・・・
無名性を気取るのも、それで自分を納得させるのも、もういいかげんにやめよう。
なにより、情報発信を実行することができる立場にいる人が、それをしなければ、一所懸命はたらいてくれている人たちに申し訳ないではないか。
・・・・・・
だから、お願いだから発信しようよ。
「今という時代」の「土木」を生きるわたしたちが、「無名性」に自己陶酔していては、先人たちも浮かばれないし、後を託す人たちにも申し訳がたたないじゃないか。
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