おりしも、高知市で「第2回東日本大震災支援フォーラム」が開かれている同じ時間、
市内の別のところでは、「高知県地震防災研究会・2012年技術発表会」なんて催しもあったりして、
そしてその両方共に、「来てみないか」と、声をかけていただいているのだが、
私(たち)は、社内研修とやらで、皆を前にしている。
普通に考えれば、ここにいる皆を引率して、当事者やその道のエキスパートたちの話を聴きに行ったほうが、「よっぽどためになるだろうにな」と思いつつもだ。
いや「だろうにな」ではなく、たぶんそっちへ行ったほうがためになる。
そもそもそういう私が、そっちへ行ってみたい人だったりもするのだし。
それなのに何故、何日もかけて資料をこさえ、何時間もかけて社内研修をするのか。
そもそも素人の私が、南海トラフの巨大地震やそれを想定したBCPについて語っても、所詮は旅人にしかすぎなかった私が、東北行で見聴きしたことをしゃべったとしても、
いつものことではあるけれど、それは受け売りにしかすぎないではないか。
しかし、私はこう思うのだ。
自分の頭で考えて解釈して、自分の言葉で語ろうとしないと、そうしないと、受け売りはいつまでたっても「受け売り」にしか過ぎず、
その「受け売り」は頭の中にとどまったまま、いつまでたっても腑に落ちてこようとはしない。
もとよりそれは、私個人の身体のなかだけの話ではなく、そっくりそのまま、私の属する組織の場合にも当てはまると、私はそうとも思うのだな。