明日の社内研修の資料づくりに追われ、
机にしがみついていた私を、癒してくれたのは、黄色の睡蓮。
睡蓮といってもモネの庭のそれではなく、
歩いて3歩のイソベの庭なのだが、
いつもながら雨に濡れた睡蓮は、その花もその葉っぱも、どちらも風情があって素敵なのだ。
しかしそれも程度の問題であって、今日の北川村の現場は、軒並み時間雨量50mmを超すという豪雨である。
幸い、そのわりに降雨時間が短くて、被害らしい被害はなかったのだが、
「梅雨が明けたんじゃないのかよ」、と毒づきたくもなろうというもんだ。
だがそうやって愚痴ってみたところで、
「カラ梅雨が明けたと思ったら途端に降りだした」、なんて年も記憶にあるぐらいなのだから、
今を生きる人間たちが、「普通」だとか「異常」だとか騒いでみたところで、たかだか知れた年月の範囲でしかないのである。
ことほど左様に、自然というやつは、人間の思うとおりになってはくれない。
つくっていた社内研修の資料というのが、
東日本大震災と、地場の建設業が果たした役割と、南海トラフの巨大地震と、自社のBCP(事業継続計画)と、
なんていう内容のものだったので、
ついついそんなことを考えつつ、雨上がりの睡蓮を眺めていた、わけなのだ。