きのう、スーパーカブに乗り損じてしまった私が、今日再チャレンジしたのは当然のこととして(当分は私の足だネこれは)、
その昔(私の少年時代)、オートバイ若しくはバイクという呼び名は、ここらあたりでは一般的ではなかったなと、
考えながら平鍋に向かっていた。
「モーター」、これが自動二輪車の正しい呼称だったはずだ。
いつ頃から「モーター」と呼ばれなくなったのか、ちと記憶がないのだが、今でも時おり年輩者の口から、「モーターが・・・」などという言葉が出てくるのを除いては、めったに口にすることも聴くこともない。
自動二輪は、米語で「オートバイク」、英語で「モーターバイク」。してみると、「モーター」はあながち見当はずれの言葉でもないということになる。
さながら、『蝸牛考』(柳田国男[1])を地で行くようなこの辺境の地で、日常的に使われていた「モーター」という言葉。まさか「方言周圏説」とは関係もないだろうが、誰も通らない国道で、スーパーカブにまたがったまま「モーター」と口に出してみると、そのひなびたエンジン音とあいまって、
なんとも「昭和」なのだった。
[1]方言周圏論
方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん)は、方言分布の解釈の原則仮説の一つ。方言周圏説とも。
方言の語や音などの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの。見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝搬したとする。柳田國男が自著『蝸牛考』(かぎゅうこう、刀江書院、1930年)において提唱し[1]、命名した。
柳田國男は、この説をもって自らの民俗学の基本原理ととらえていたとも言われる。この説に立脚すると、日本では京都を中心として文化が時間をかけて伝搬したことになり、つまり各地方には古い京都の文化が残っている、ということになる。つまり、各地の民俗文化を調査研究することは、古来より受け継がれてきた日本そのものを研究することになる、というものである。
Wikipedia「方言周圏論」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80%E5%91%A8%E5%9C%8F%E8%AB%96