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答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

『橋梁原図から設計者の意図を読み解く』(渡邉竜一)を観る、そして読む。

2021年01月20日 | 土木の仕事

先日紹介した『東京人2020年6月号 特集「橋と土木」』のなかに、ひときわわたしの目を引いたコンテンツがある。

「橋梁原図から設計者の意図を読み解く」という渡邉竜一氏の手によるテクストと、大正期から昭和初期における、聖橋、八重洲橋、三原橋、勝鬨橋の設計図を写した画像だ。

美しい。

美術作品かと思わせるほどである。

いやいや、そういう表現をすると、かえってこれらの図面とその製作者たちに対して失礼なのかもしれない。これらは、工学の粋である。それを褒め称えようとして、美術をもちだすのは見当違いというものだろう。

 

 

 

 

文中、著者は図面というものに対する見解を、こう書いている。

*****

図面は僕にとって、設計の意図を伝えるツールだ。他者とのコミュニケーション手段なのである。現代の図面の描き方は、標準仕様としてルール化されている。誰もが共通のルールや形式に則ることで、ある種の効率化と齟齬をなくすという理念から生まれている。しかし、実は効率化のなかで抜け落ちることがあるのだと日々の設計の中で感じている。何を重要視して、何を実現したいのかというビジョンを伝えるための図面表現は設計者によって異なるはずだし、そこからは個性とも呼べる設計者の思考が読み取れなくてはならない。今回、大正・昭和初期の設計者の図面に触れて、改めてそのことの大切さを感じたのである。

******

 

いやあ、よいものを観た。

繰り返しても飽きることがない。

『東京人2020年6月号 特集「橋と土木」』、それやこれやを含め、土木技術者と名がつく人なら、ぜひ読んでみたほうがいい。

 


『東京人 特集「橋と土木」浮世絵で歩く』を読む

2021年01月15日 | 土木の仕事

 

昨夜、家に帰ると、『東京人2020年6月号「特集橋と土木 浮世絵で歩く」』が届いていた。注文したのがおとといだから翌日配達。Amazonさん、あいかわらず仕事が速い。

なかに、「ほほーなるほどね」と思わせる指摘があった。

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広重は橋を好んでよく描きましたが、

北斎も橋好きだったのか、

「諸国名橋奇覧」という

橋の揃物を描きました。

しかし、橋に対するふたりの

アプローチの仕方は異なっています。

北斎は真横から描くなど、

橋の形態の面白さを強調し、

構図にうまく活かすことが多かった。

対して広重は、ちょっと斜めの構図にしてみたり、

橋の欄干をアップにしてみたり、

スナップ写真的な描き方が印象に残ります。

橋の見方、描き方も

絵師によって異なるんですよね。

(渡邉晃、P.24)

******

 

比べてみることにした。

まずは葛飾北斎。

 

『飛越の堺つりはし』

 

『かめいど天神たいこばし』

 

 

つづいて歌川広重。

 

『日本橋雪中』

 

『吾妻橋帰帆』

 

わたしは広重の絵が好きだ。

なかでも大好きなのが、『大はしあたけの夕立』である。

 

 

この作品については、誌中に興味深い分析があった。

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広重の新大橋は現実ではありえない構図。

向こう岸を斜めに描いて

不安定な構図を作り出し、

見る人の心に不安な印象を与えている。

そこに雨を降らせる。

いろいろインスピレーションも湧いてきますね。

(ヴィヴィアン佐藤、P.25)

******

 

繰り返すが、わたしは広重が好きだ。

してみると、きのう浮かんだ「絵のなかの土木」という思いつきも、そこらへんの嗜好からきているのかもしれない。

などなどと考えながらページをめくる。

 

『東京人 July 2020 no.427「特集「橋と土木」』

 以下、品書きを列挙する。

・北斎は、橋マニアだった!

・古絵葉書で見る橋梁の構造美

・ドボクファン注目の30橋

・モーターボートに乗って 川面から眺める愉しみ

・隅田川復興橋梁

・近代東京の橋を作った人たち

・江戸の橋工法と文化

・「橋姫」の伝承 嫉妬する橋

・かつての橋の欠片たち 「暗橋」探訪

・制約があればあるほど美しい 新しい橋の構造を探る

・橋梁原図から設計者の意図を読み解く 大正期から昭和初期の図面を公開!

・インスタグラムからペーパークラフトまで 鋼橋の魅力を伝える

・江戸はいたるところで普請中

 

さてと、

ぼちぼちとたのしませてもらおうか。

 

 


絵のなかの土木

2021年01月14日 | 土木の仕事

森崎さんが『諸国各橋奇覧』というタイトルで紹介していたのは、そのものズバリ、葛飾北斎の『諸国各橋奇覧』だ。

森崎さんはその稿の最後を、

“土木の仕事を「絵」という視点で集めてみるのも面白いかもしれない“

という言葉で締めくくっている。

たしかにおもしろい。

それに対してはひとつ提案がある。

「絵のなかの土木」という視点をもってみてはどうだろうか。

「土木を描いた絵」ではない「絵のなかの土木」である。

土木構造物を主役として見るのではなく、人の生活を支えるバイプレイヤーとして視る。人の生活とともにある「土木」という視点だ。

わたしを含めた業界人たちは、土木構造物にしか目がいかないきらいがある。構造物しか見ようとしないと表現してもいい。もちろん、それが優れたものであればあるほど、その機能、すなわち人間生活にどう寄与しているか、という部分の評価が不可欠になってはくるのだが、ややもすれば、その構造物のもつ機能美をうんぬんすることにとどまりがちだ。

「絵のなかの土木」という視点をとり入れると、いかに「土木」が人の生活にとって必要で、日常と切り離すことができないものであるかがわかるのではないだろうか。

たとえばどんな?

絵画については門外漢もいいところ。さほどの知識もないのだが、まっさきに脳裏に浮かんだのは、川瀬巴水だ。

 

『小樽の波止場』

 

『東京十二題〜木場の夕暮れ』

 

「絵のなかの土木」

どうだろう?

わるくない思いつきのような気がしている。

 

 

 

 


つららから

2021年01月11日 | 土木の仕事

いつもまわりくどい話につきあっていただき感謝している。

ということで、今日はまず結論からはじめたいと思っている。

(という言い回しがすでにまわりくどい)

「被写体はまんなかに写っていなければならないというものではない」

これが今日の話の結論だ。

そのようなことは、少しでも写真を撮るという行為に興味がある人ならば、言わずもがなのことではあるだろうけれど、この話の対象は、日々業務として写真を撮っている土木施工技術者たちだ。

わたしには、どうもそこらへんを窮屈に考えている人が多いような気がしてならない。

例としてあげるのは、つい先日、当社の現場報告にアップロードされたこの写真だ。

 

 

 

 

渓流のなか、行っている災害復旧工事現場からだ。

一日中陽があたらない。

陽光は、すぐそこまでやってくるのだが、お日さまが山の上に出現して反対側の山に沈むまで、この現場に差しこむことはない。指をくわえて見ているだけだ。わたしの経験から言えば、これはけっこう辛い。すぐそこに、あたたかい陽の光があるのに、ここに来ることはない。これが精神的にきつい。

この写真、その背景を理解したうえで見てほしい。

「いや〜それにしても寒かったです〜」という象徴としてこの氷柱(つらら)はある。対比させているのは速い川の流れだ。

意図はよい。

センスもわるくない。

そこまでは満点だ。

しかし、構図がイマイチだ。

習い性だろうか。写したいもの、撮ろうとするものを、常にまんなかにセットしようとする。その思いこみがよくない。

どれどれ・・

撮影者には失礼だが、勝手に編集加工してみた。

 

 

 

 

 

たとえば、わたしたちの業務に必須のものとしてある完成(竣工)写真だ。

みなさんは、構造物を写そうとしてはいないだろうか。

もちろん、それはまちがいではない。

どころか、構造物を撮らずしてなにを撮るの?

てなもんである。

それはそれでいい。構造物が写らない完成写真などあり得ない。だが、少しだけ周辺を見てみてほしい。そして、ちょっとだけ考えてみてほしい。撮ろうとしている構造物の周りにある環境に、今いちど注意を払ってみるのだ。

構造物ができあがるまでのストーリーを知悉しているのは、現場技術者としてのあなただけだ。周辺環境のなにが構造物の邪魔をして、なにがキーポイントとなったか。現場をふりかえってみると、なにかしらがあるはずだ。ひょっとしたら、それがあなたのつくったモノを際立たせ、ひき立てるものになるかもしれない。

なにかを発見できたとしたら、それを写真に写しこむ。必ずしも主たる被写体をまんなかに置く必要はない。川がそれなら構造物を上にずらし、空がそれなら下にする。その加減はあなたの経験とセンスだ。

余人は知らず。少なくともわたしは、そう考え写真を撮ってきた。

ふ〜ん、おもしろそうじゃない。

そう感じた人は、いちどとならず二度三度、ぜひ試してみてほしい。

ちがう世界がそこからひらけてくるはずだ。

とは断言できないが、可能性が広がることだけは請け合う。

 

 

 


2021年01月10日 | 土木の仕事

 

仮橋解体中。

平成26年8月の台風災害で不通となった国道493号北川村小島地区で、その迂回路としてつくった仮設橋だ。その災害を契機としてつくられた小島トンネルの開通により、6年間の任務を終えた今、解体されている。

 

ゲオルク・ジンメルいわく。

「道づくりはいわば人間固有の作業のひとつである。動物もたえず、そしてしばしば驚くべき巧みさと至難のわざをもって距離を克服している。しかしこの距離の始点と終点とはついに結合されることがない。動物は道の奇跡、すなわち、運動を凝結させてその開始と終結とをふたつながらに含む固定像をかたちづくる、という奇跡を生みださない。橋をかける行為にいたってその人間固有の作業はその頂点に達する」

また、いわく。

「単に空間的に隔てられているだけでなく、向こうとこちらが分割されていると感じる能力が橋を生み出す。両側に分けられているという自覚が、これを結びつけようという意思になる。それは人間に固有の作業である。」

(『ジンメル著作集12』酒田健一、熊沢義宣、杉野正、居安正、白水社)

 

道は、つながってはじめて、場や人をつなぐ道としての役割を果たすことができる

道はつながるからこそ道である。

6年前、ここで道をつないだ。

その中心的存在としてあったのがこの橋だ。

それから今日までのあいだ、いくたびの大水にも耐え、よくぞ持ちこたえてくた。

 

とかナントカ。

寒風吹く奈半利河原に立って感慨にひたっているおじさんひとり。

いやいや、工事は端緒についたばかりだ。

「まったく、年寄りってやつは、能書きばっかりで、ちっとも役に立たないんだからよ、、、」

なんて後ろ指をさされぬよう、がんばっていこうか。

と決意をあらたにする辺境の土木屋63歳。

それにしても・・・

 

寒い。


「やさしさと思いやりで未来をひらく」小野組2021CALENDAR

2020年12月28日 | 土木の仕事

いつもどおり4時半に鳴った目覚ましのアラームをあわてて止め舌打ちひとつ。

しゃあない、起きるか。

台所に立ち、コップ一杯のハト麦茶を飲んだあと、おもむろに机に向かう。

読みかけている『ヒトの言葉 機械の言葉 「人工知能と話す」以前の言語学』(川添愛)を開き、さてと・・・。ふと前を見て、きのう壁にはったばかりのカレンダーに目がとまった。

一昨日、いつもの年末のように、家にもち帰るカレンダーを会社で物色していたときに見つけたものだ。その他おおぜいのなかに、ひっそりと紛れこんでいたコイツを発見したときの驚きとうれしさがよみがえった。

よくぞご無事で。

 

 

 

 

「The Heartwarming Company.

やさしさと思いやりで未来をひらく。」

という惹句が踊る、株式会社小野組の2021年カレンダー。

撮影は山崎エリナさんだ。

 

 

 

 

 

 

この前、トイレにはった寿建設のカレンダーといい、今回の小野組のそれといい。これでわが家のわたしの周辺は、山崎エリナワールドに染まってしまった。

するとおかしなもので、金輪際言わないと心に誓ったはずのあの言葉が、アタマのなかでむくむくと起きあがり、早く言えさっさと言えと、わたしを急き立てる。

いやぁそれは・・

もう口には出さないと広言したのだから・・・

ええい、こうなりゃヤケだ、言ってしまえ!

 

打倒山崎エリナ!!

あぁあ・・・言っちゃった (^_^;)

 

よし、口に出してしまったからには、オレもがんばって現場の人たちを撮るぞ。

がぜんヤル気が湧いてきた。

 

小野組さん、そしてエリナさん、ありがとう。

一年間、大事にします。

 

 


『視線の先に。〜「働く背中」2021カレンダー〜』をもらったこと

2020年12月24日 | 土木の仕事

「カレンダーが届きました」

という声にふりかえる。

事務員さんに手渡されたそれを見るなり、表紙の写真にズキューンと胸を撃ち抜かれた。

 

 

 

 

 

タイトルは『視線の先に。』

その下に『「働く背中」2021カレンダー』とある。

寿建設さんからの贈与だ。

撮影者は・・

探すまでもないが、念のため確認してみる。

「撮影/山崎エリナ」とあった。

ビニル袋をあける。

1月から順に写真をながめる。

参った。

もう、金輪際「打倒山崎エリナ」などとは口にすまい。

もとより、冗談半分ではあったが、この先は戯れにでも口にしない(したらゴメンね)。

 

 

 

 

 

いやぁ、よいものをいただいた。

また、いつものように自宅のトイレに飾らせてもらおうと思う。

山崎さんにも森崎さんにもわるいが、これからも臭い仲だ。

 

 

 


釜石バックホウ アート ラッピング プロジェクト

2020年12月18日 | 土木の仕事

 

株式会社へラルボニーをご存知だろうか。

ホームページには「異彩を、放て。」という表題のもと、そのミッションがこう説明されている。

 

 

******

知的障害。その、ひとくくりの言葉の中にも、無数の個性がある。

豊かな感性、繊細な手先、大胆な発想、研ぎ澄まされた集中力・・・

“普通“じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。

僕らは、この世界を隔てる、先入観や常識という名のボーダーを超える。

そして、さまざまな「異彩」を、さまざまな形で社会に送り届け、

福祉を起点に新たな文化をつくりだしていく。

******

 

自社ブランドのハンカチやネクタイ、マスクなどをプロデュースしたり、建設現場の仮囲いなどをアート作品で飾るプロジェクトなど(→全日本仮囲いアートミュージアム)も展開しているようだ。すべてが障害者アートである。

わたしにその存在を知らせてくれたのは青木さんだ。

話は今月はじめにさかのぼる。彼から、こんなことやるんですけど、というメッセージが届いた。そこに添付されていたのは、『「共生社会」への特別授業のご案内』と題された「報道関係者各位」宛ての「特別授業」開催に対する取材と報道の「お願い」だった。

その内容はというと、「へラルボニー松田文登副社長から釜石東中学校1・2年生へ講演して頂き、その後アート投票を行います」というもの。

「アート投票」ってなんだ?

読みすすめた先には、こんな説明が書かれてあった。

 

震災からこの方、青紀土木さんでは、毎年約70〜100名(学校数にして3〜5校)の現場見学を受け入れていること。

その一番人気がバックホウの乗車体験であること。

会社所有のバックホウを知的障害のあるアーティストの作品でラッピングしてみようと考えたこと。

ラッピングを通して「異彩を、放つ」バックホウに乗車する子供たちが楽しみながら色々な事 を考えるキッカケをつくりたいと思っていること。

その対象として防災教育を通して命を大切にする事を学んできた釜石東中学校生を選んだこと。

話を学校と進める中、ヘラルボニー松田副社長から生徒たちに直接話をしてもらえるようになったこと。

そして生徒たちにラッピングするアートを選んでもらおうと考えたこと。

投票結果は、バックホウのラッピングが完成したあと公開すること。

などなど。

 

青木さんいわく、

「これを通じて建設業のイメージを少しでもよくしたい。建設業への理解につなげたい」

もちろんその考えも行動もよいことなのだが、それだけならざらにいる。

彼の凄みは、それに加えて、

「このバックホウが地域の少年少女たちが多様性を考えるキッカケとなれば」

と言うところにあるとわたしは思う。

地域の建設業は、地域とともにあり、地域のためにある。それなくしては地域建設業の存在価値はない。そう口にする人は多い。わたしもまたそれを唱えつづけてきた。

とはいえそれは、ややもすれば、建設業という業界だけに限定された発想と行動におちいりがちであり、とは言いつつも結局、行き着く先は「自分たちの輪っかのなか」だけでおもしろがっているだけの、いわゆる独りよがりとなってしまうことも多い。

そこを彼は超えようとしている。

東日本大震災の翌年に出会って以来、見聞きした彼の言動からわたしはそう感じている。

地域建設業経営者という自らの立場を前面に押し立てて、「地域づくり」に当事者として加わること、「地域づくり」を通じた未来に責任をもってたずさわること、「閉じた円環」の外とつながること。それが、「地域とともに」「地域のために」ある地域建設業者としての自らの使命なのだという、彼の信念を感じとるのだ。

青木さんは言う。

「足元とこれからを繰り返し見返しながら進んでいきます。待ったなしなので・・・」

 

であればと、本当に微力でささやかなことなのだけれど、応援の意を込め、紹介した。

 

 

 

プロジェクトの内容は、彼のブログにくわしく書かれています。

興味のある方はぜひ読んでみてください。

↓↓

釜石バックホウアートラッピングプロジェクト.1

釜石バックホウアートラッピングプロジェクト.2

 


「十何年だか何十年だか知らないが、あいつらがこれまでやってきた経験なんて、くその役にもたたないってことをわからせてやれ。ついでにおまえの頭もすげかえろ」(永田年)

2020年12月17日 | 土木の仕事

近ごろの朝は起きられない。

こんなことでは・・

と無理をして起きた。

そうまでして・・

と抗う別のわたしを置いて。

さてと・・

冷たい茶をいっぱい。

読みかけていた本をとる。

『土木のこころー夢追い人たちの系譜ー』(田村喜子)だ。

 

******

「コンクリートの打設中に型枠がこわれました」

 報告を聞くなり、灰皿が飛んだ。片時もたばこを離さないヘビースモーカーだ。部屋中にすいがらがとび散った。

「この野郎、おれがいいつけたとおりに型枠を丈夫なものにしなかったのかッ!」

「型枠大工が『おれは十何年も型枠大工をしてるんだ。おれのつくったものがこわれるものか』とたいへんな剣幕で食ってかかってきたものですから。ついそれを信用してしまって・・・」

「その結果がこのザマだ。ポンプコンクリートを使用すると、1時間に30〜40立方メートルのコンクリートを打ち込むんだ。だからいままでのようなへなちょこの型枠じゃもたないから、よほど丈夫なものにしろっていったんだ」

「すみません」

「すみませんですむと思うのか、バカ野郎。大工の頭の切替えをさせろ。いいか、いままでの日本ではやったことのない近代的機械施工をやってるんだ。十何年だか何十年だか知らないが、あいつらがこれまでやってきた経験なんて、くその役にもたたないってことをわからせてやれ。ついでにおまえの頭もすげかえろ」

 あらん限りの罵声を投げつけても怒りはおさまらない。

「みんなの頭の切替えが一日遅れれば、工事が一日遅れるんだ。おぼえとけ」

 つるはし、モッコからいきなり機械施工に変わり、現場が混乱しているのは事実だった。機械に翻弄されるばかりで、新しい工法に慣れないうちは、ともすればもとの工法に戻ろうとする。手作業の方が早いのではないかという風潮が強いのだ。

(P.93〜94)

******

 

「この野郎・・・」

という言葉の主は永田年(すすむ)。

昭和29年から31年、わずか3年という工期で、高さ156メートル、長さ294メートル、体積112立方メートルという、当時の日本では前例がなかった大きなダム、佐久間ダムを、建設事務所長として完成させた、人呼んで「あばれ天竜を治めた男」。

経験工学である土木の世界で、経験ほどたいせつなものはない。

とはいえ、土木屋たるもの、その経験に頼りきることは厳に戒める心持ちを、いつもいつでも保ちつづけなくてはならない。「今までこうしてきたから」とか「あのときこうしたから」とか、その経験が役に立たないならまだしも、邪魔をするときもある。

 

「ついでにおまえの頭もすげかえろ」

 

永田の叱責がわたしを指しているようで、眠気がふっとんだ。

「そうまでして・・・」

そう思いつつ早起きしてよかった。

 

 

 


あなたへのエール

2020年12月10日 | 土木の仕事

『地域の安全安心を守る「雪みちの守りびと」(除雪作業従事者)へ心温まるエール募集』

企画したのは福島県土木部県北建設事務所だ。

プレスリリースhttp://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/416964.pdf

から、その趣旨を引いてみる。

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 地域の安全安心を守るために必要不可欠な建設業。

建設業が行う除雪作業は冬期交通の安全安心を確保する上で必要不可欠ですが、夜間や極寒、見通しのきかない豪雪の中など厳しい環境のもと行われています。

 地域のために重要な任務を担う「雪みちの守りびと」へ、寒い中でも心が温まるようなエール(お手紙)を皆さまから募集いたします。

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その下に、例文だろうか。リーフレットのなかに『あなたへのエール』と題された短い文が載っていた。

 

 

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真夜中に出て行くあなたに

私が出来ることは、

あったかい大きなおにぎりを

持たせること。

朝方に早く帰ってくるあなたに

私が出来ることは、

熱めの湯船と味噌汁の準備。

 

あなたが除雪した道を通って、

私はこれから仕事に行ってきます。

あなた、いつもありがとう。

 

          妻より

******

 

もういちど読んでみる。

これが例文だとしたら、なんとできのわるい例だろう。

なんとなればわたしには、これから応募されたなかに、これ以上の作品があることが想像しづらいからだ。

もういっかい読んでみる。

勝手に情景を想像してみた。

 

真夜中、湯気が立ちのぼる台所で大きなにぎり飯をつくる妻。

それを持たされ、出動する夫。

温かかったおにぎりも、除雪車のなかで彼がほおばるころには冷たくなっている。

朝、凍えた身体で帰ってきた彼を、誰もいない家でむかえてくれるのは、熱いお風呂とあたたかい味噌汁。

そのころ妻は、仕事場へと向かっている。

ふと彼女は立ち止まり、心のなかでつぶやく。

「あなた、いつもありがとう」

夫が除雪した道路を、昇りはじめた朝日があかるく照らしていた。

 

何度も何度も繰り返し読み、最後の四行にくるたび、胸がつまった。

 

******

あなたが除雪した道を通って、

私はこれから仕事に行ってきます。

あなた、いつもありがとう。

          妻より

******

 

今宵わたしは、これだけをつまみにして酒が呑める。

何度でも読み返し、いくらでも酒が呑める。

 

♪星の見えない日々で迷うたびに

誰か照らすその意味を知るのでしょう

愛する人よ親愛なる友よ

あなたこそがエール ♪

(『星影のエール』GReeeeN)

 

やるじゃないか、福島県土木部県北建設事務所。