今年の夏も中年シンドロームを発症した僕は
夏の暑さよりも、仕事のあり方や、生き方に
悩み、身もだえる毎日をすごしてきた。(失笑)
特に超零細企業のウチとしては、仕事の悩みはいつも尽きない。
下請仕事が主業務となった今は特にだ、
日常の環境は日々刻々と変化している、
今日も昨日も何も変わらないよ、と言われるかもしれないけど
でも環境の変化は止む事なく、日々変化し続けている。
その変化の歩みは小さくても、1日、1週間、1ヶ月と
目には見えないけれど、確実に変わっている。
そう、これは何も悪い事ばかりではなく良い事も、だ。
そう、環境の変化により現状の、悪い事も良い事も、長くは続かない。
なので僕の考える悪い事?焦燥感は単なる杞憂にすぎないかもしれない、
でも、でもなんだよー(心の中のわだかまり)
いま仕事があるから、とか、明日も明後日も予定で埋まっているからと
安心はしていられないのです。
そこで必要になってくるのは、何でもいいのでとにかく動く事。
これは体を動かす、足を使って各所に出かけることだけでなく、
積極的な「意図のある情報収集」でも立派な行動なんです。
現状を、そして近い将来についてを真剣に考える事も立派な第一歩。
なのでとにかく、まずは行動、
ここで注意したいのは、特に情報を収集した場合には
それと並行して、実践する事も大切。
何がしかのチャンス、または可能性を知り得ても
そこから更に一歩先へと進まないと 何も起こらないし変わらない。(当たり前)
人生も水たまりも、投げた石の数(行動した回数)だけ変化が現れる。
でもこの当たり前が、なかなか出来ない。
頭じゃ分かっているのに。
それに反して、出来ない理由を並べ立てる事は頼まれなくても出来るのに(恥)
中年シンドロームを発症するのは、人生の1つの岐路に立たされている証拠。
それまでの生活や生き方の見直しを迫られている証。
そこで、自己分析。
僕の苦手な何故何故自問。
自分は一体何をしたいのかを考える、 出て来た答えを更に問う、 どうしてそれがしたいの?
これを10回は繰り返す。
反対に、何をしたくないのかも考える、出て来た答えに更に問う、 どうしてしたくないの?
これもまた10回は繰り返す。
こんな事を書いていると、今が、日常が順風に行っている人からすると
おまえ大丈夫か?と少し引き気味に心配されるかもしれないけれど、
でもこれは大切、特に悩める超零細自営業の僕にとってはね、
ここのところは ハッキリさせておかないと、また時間だけが過ぎていく。
朝になれば これらを忘れて、日常に帰るかもしれないけれど、
そして心の片隅に悩みを閉じ込めてしまうかもしれないけれど、
でも、超零細自営を続けるのであれば、どこかで向き合わないと。。。
自分は何がしたいのか。
自分は何がしたくないのか。
自分の強みは何なのか。
自分の弱みは何なのか。
自分には何があるのか。
自分の足りない事は。
この部分を、定期的にでも見つめ返さないと、
しかし疲れて夜中に書く文書って、何故かいつも危ういし暗いなぁ。
こんな事を思うのは、やはり今の仕事に飽きて来たのか、
それとも本当は嫌いな事、苦手なことを嫌々続けている証かも。
悩むわ―っ、
それに、こんな内容のブログネタ、もう何回書いた事か(恥とネタ無し)
これぞまさに中年シンドローム。
先日の出雲大社でのご利益は既に枯渇したのか??
もしそうなら、相当に深いな。
もう一回行って来い!(自分自身に込めて)
単なる真夜中のうわごと、独り言。
正気に戻って最後に一言。(言われた言葉)
こんな風に迷い悩むのは、ある面、自分自身に対しての
自己評価が高いからじゃない?と。
このままじゃ終わらん、自分の人生こんなもんじゃない!と
いつも思っているから、更に先を望むんだよ、
良い事だけど辛いよなぁ。。。って。
○| ̄|_ だれか教えて僕の人生。。。
夏の暑さよりも、仕事のあり方や、生き方に
悩み、身もだえる毎日をすごしてきた。(失笑)
特に超零細企業のウチとしては、仕事の悩みはいつも尽きない。
下請仕事が主業務となった今は特にだ、
日常の環境は日々刻々と変化している、
今日も昨日も何も変わらないよ、と言われるかもしれないけど
でも環境の変化は止む事なく、日々変化し続けている。
その変化の歩みは小さくても、1日、1週間、1ヶ月と
目には見えないけれど、確実に変わっている。
そう、これは何も悪い事ばかりではなく良い事も、だ。
そう、環境の変化により現状の、悪い事も良い事も、長くは続かない。
なので僕の考える悪い事?焦燥感は単なる杞憂にすぎないかもしれない、
でも、でもなんだよー(心の中のわだかまり)
いま仕事があるから、とか、明日も明後日も予定で埋まっているからと
安心はしていられないのです。
そこで必要になってくるのは、何でもいいのでとにかく動く事。
これは体を動かす、足を使って各所に出かけることだけでなく、
積極的な「意図のある情報収集」でも立派な行動なんです。
現状を、そして近い将来についてを真剣に考える事も立派な第一歩。
なのでとにかく、まずは行動、
ここで注意したいのは、特に情報を収集した場合には
それと並行して、実践する事も大切。
何がしかのチャンス、または可能性を知り得ても
そこから更に一歩先へと進まないと 何も起こらないし変わらない。(当たり前)
人生も水たまりも、投げた石の数(行動した回数)だけ変化が現れる。
でもこの当たり前が、なかなか出来ない。
頭じゃ分かっているのに。
それに反して、出来ない理由を並べ立てる事は頼まれなくても出来るのに(恥)
中年シンドロームを発症するのは、人生の1つの岐路に立たされている証拠。
それまでの生活や生き方の見直しを迫られている証。
そこで、自己分析。
僕の苦手な何故何故自問。
自分は一体何をしたいのかを考える、 出て来た答えを更に問う、 どうしてそれがしたいの?
これを10回は繰り返す。
反対に、何をしたくないのかも考える、出て来た答えに更に問う、 どうしてしたくないの?
これもまた10回は繰り返す。
こんな事を書いていると、今が、日常が順風に行っている人からすると
おまえ大丈夫か?と少し引き気味に心配されるかもしれないけれど、
でもこれは大切、特に悩める超零細自営業の僕にとってはね、
ここのところは ハッキリさせておかないと、また時間だけが過ぎていく。
朝になれば これらを忘れて、日常に帰るかもしれないけれど、
そして心の片隅に悩みを閉じ込めてしまうかもしれないけれど、
でも、超零細自営を続けるのであれば、どこかで向き合わないと。。。
自分は何がしたいのか。
自分は何がしたくないのか。
自分の強みは何なのか。
自分の弱みは何なのか。
自分には何があるのか。
自分の足りない事は。
この部分を、定期的にでも見つめ返さないと、
しかし疲れて夜中に書く文書って、何故かいつも危ういし暗いなぁ。
こんな事を思うのは、やはり今の仕事に飽きて来たのか、
それとも本当は嫌いな事、苦手なことを嫌々続けている証かも。
悩むわ―っ、
それに、こんな内容のブログネタ、もう何回書いた事か(恥とネタ無し)
これぞまさに中年シンドローム。
先日の出雲大社でのご利益は既に枯渇したのか??
もしそうなら、相当に深いな。
もう一回行って来い!(自分自身に込めて)
単なる真夜中のうわごと、独り言。
正気に戻って最後に一言。(言われた言葉)
こんな風に迷い悩むのは、ある面、自分自身に対しての
自己評価が高いからじゃない?と。
このままじゃ終わらん、自分の人生こんなもんじゃない!と
いつも思っているから、更に先を望むんだよ、
良い事だけど辛いよなぁ。。。って。
○| ̄|_ だれか教えて僕の人生。。。