ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

漫画の思い出 萩尾望都『トーマの心臓』(4)

2023-07-20 23:33:54 | 評論

   漫画の思い出

    萩尾望都『トーマの心臓』(4)

トーマの代用であるエーリクは「赤ちゃん」と呼ばれている。つまり、無性だ。乳児は自分の性別を自覚できない。誰かがそれを教え込む。エーリクの周囲の処女たちは、彼に自分の性別を教えたくないらしい。自覚がどのように起きるのか、作者が知らないのだろう。

「きみだって今にかわいい女の子を好きになるよ」という予言を、エーリクは気弱に否定する。その理由は〈自分には母親がいる〉といったものだろう。エーリクの物語は、〈処女は異性との交際を母によって禁じられる〉という習慣の隠喩だ。

ユーリがトーマに対する愛を再認識した直後、突然、エーリクの母が死ぬ。エーリクの母は母性の象徴であり、特定の誰かの母親なのではない。ユーリは空想上の異性であるトーマを愛する処女に変身した。作者は母を殺すことによって、「赤ちゃん」であるエーリクをユーリに変えたのだろう。愛される無性の客体から、異性を愛する主体的な女に変身させようとしたらしい。だが、そんなことはできない。男でも女でもない人が、必死に異性を求めているのだ。支離滅裂。

母親の死を知って混乱するエーリクに、ユーリは接吻する。口移しで催眠薬を飲ませるためだ。この場面は、母親が食物を噛んで離乳食として乳児に与えることの変形であり、また、〈トーマは死んだのではなく、眠っている〉という物語の暗示でもある。

(続)


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漫画の思い出 萩尾望都『トーマの心臓』(3)

2023-07-19 23:19:10 | 評論

   漫画の思い出

     萩尾望都『トーマの心臓』(3)

トーマの自殺の動機は何か。作者はそれを探すふりをしながら、読者を迷宮に誘う。

トーマは死んだのではない。この少年は存在しなかったのだ。だから、死なない。だから、自殺の動機など、あるはずもない。

トーマは少年ではなかった。男でも女でもなかった。〈半分男で半分女〉というのでもない。自称トーマだった処女が、女として生きることを決意したとき、彼は消滅したのだ。トーマの死は異性愛者である女の誕生の隠喩だ。

狡い処女は、〈異性の客体として生きながらも女として自立する〉という無茶苦茶な物語を夢想しながら白馬の王子様のような男の到来を待ち続ける。

漫画の少年たちは、男の眼には男装した少女にしか見えない。彼らはいつも苛立っている。王子様がやって来ないからだ。待ちくたびれた。トーマの物語は、蛹のように空っぽだ。蛹は死体ではない。中身は成虫になって飛び去った。死体を探しても見つからない。

こうした裏話を、処女の読者は感知している。トーマの物語が完結しないことぐらい、十分に察知している。

女流漫画家の作品は、しばしば、普通の意味での作品とは本質的に異なる。それを作品として解釈することができないのだ。解釈するとすれば、夢を解釈するような方法を採用するしかない。夢の解釈は、解釈する人の思想によって異なる。だから、万人が納得できるような解釈はできない。

(続)


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漫画の思い出 萩尾望都『トーマの心臓』(2)

2023-07-18 01:00:26 | 評論

  漫画の思い出

   萩尾望都『トーマの心臓』(2)

漫画の中の少年たちのいちゃつき具合は、男らしくない。女子会の雰囲気だ。仲がよさそうで、どこかよそよそしい。女は男ができたら女子会を卒業する。一方、男は女ができても男子会を卒業できない。男社会の基本は同性愛だからだ。ただし、本物のゲイなら、男社会から離脱できるのかもしれない。ところが、交接を伴わない男色文化人は、精神的同性愛を死ぬまで維持することになる。その関係は義兄弟などと美化される。そんな男たちの強い絆を羨む処女は少なくなさそうだ。『トーマの心臓』の作者は、精神的男性同性愛と異性愛を意図的に混同しているらしい。

処女は、異性から見出されるために身を隠す。自分から異性を探すことはしない。なぜなら、処女はあくまで客体だからだ。

トーマは、ある男に女子会から連れ出された。〈トーマは、なぜ、死んだのか〉という問題は〈処女は、男に連れ出されずに、どうやって自主的に女子会から離脱するのか〉という問題の偽装だ。

この作品が発表された頃、処女は二つの矛盾するルールに束縛されていた。一つは〈お見合い結婚〉で、もう一つは〈恋愛結婚〉だ。前者を受け入れれば〈古い〉と嘲られる。後者を実践すれば〈ふしだら〉と嘲られる。板挟みだった。

解決策は、なくもない。自分を気に入ってくれた男と客体として結婚をし、男というものを知った後、主体として恋愛をするのだ。その場合、相手の男が別人だと、『君の名は』(菊田一夫)の真知子のようになる。純愛の不倫だ。

(続)


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漫画の思い出 萩尾望都『トーマの心臓』(1)

2023-07-17 00:29:22 | 評論

漫画の思い出

萩尾望都『トーマの心臓』(1)

小学館文庫の帯には「歴史的傑作」と謳ってある。この作品が傑作と思われていたのは歴史的事実だろう。だが、本当に傑作だろうか。

萩尾は、平凡なことを非凡なように描くことのできる非凡な才能の持ち主だ。そのことを処女たちは察知して、安心して萩尾漫画に身を委ねる。

萩尾は男性同性愛という設定について、〈女性同性愛では生々しすぎるから〉と弁解していた。嘘だ。この作品は、男女いずれかの同性愛を描いたものではない。少女の成長を描いたものだ。主題は『半神』と同じ。

同性愛は〈困難な異性愛〉の隠喩だ。

トーマは自殺したことになっている。しかし、遺書があったから自殺したとは決められない。トーマは死んだのではなく、生まれかわったのだ。そして、女になった。

処女は〈危険な思春期を安全に通過する〉という夢を見る。処女はシンデレラのように王子様を待つ。死にそうに退屈で不安な時間。彼女は待合室に自分を閉じ込める。同じような処女たちとべちゃべちゃおしゃべりをしながら、お迎えを待つ。だが、やって来るのは、優しい王子様とは限らない。女たらしかもしれない。どうやって判別しよう。

良い考えがある。男のふりをして男たちに接近し、男の本性を暴くのだ。

『どろろ』(手塚治虫)を思い出そう。どろろと百鬼丸の友情が成立すると、どろろは自分が女であることを明かす。

『トーマの心臓』では、〈男女の友情が恋愛に発展する〉という夢を、リアルにではなく、隠喩として、しかも、悲劇的に描いている。

(続)


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学問のおくれ

2023-07-15 23:50:13 | ジョーク

   学問のおくれ

天は曇天の上に天を作らず天丼の下に天を作らずと言える。

(終)


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