モロシになりそう。
~背景画
『根の深い木』で世宗を演じた俳優が昭和の俳優に似ている。その名前を思い出せない。検索しようにも、出演作を知らない。一つだけ、テレビで水戸黄門を演じたのを覚えているが、これは今やっている『水戸黄門』のシリーズとは関係がない。
検索し過ぎると頭が悪くなると聞いたので、検索は止めて、思い出すことにした。
山城新伍のことを思い出し、連想で出てくるかと思って、ときどき、昭和の時代劇のことをだらだらと思っていた。子供の頃、時代劇はあまり観なかった。なぜなら……
……幻想の灰色の夜空に月が出た。モノクロ。最近、『生きていた信長』を観たせいか。ぼやけている。背景画のようだ。水墨画の白抜きみたいだ。三日月か。『旗本退屈男』の額の傷は違う。『眉月の誓い』も違う。月型? 月形だ!
龍之介と続くのに五秒ほど掛かった。抵抗があった。芥川のことを思い出したくないからだろう。なぜなら……
(終)
ウロシだった。
~パクッたが亜流
芥川の作品は、小学生の私にとって、童話だった。
童話を読むことを、父親が禁じていた。だから、童話の代りに『蜘蛛の糸』なんかを読んだ。やがて、作品集をもらって、『羅生門』から順に読んでいて、小説よりもエッセーが気に入るようになった。「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」(『侏儒の言葉』「わたし」)なんて、アフォリズムならぬ、阿呆リズムに痺れた。
ところが、作品集が『ある旧友へ送る手記』で終わっていたので驚いた。本当に自殺したのか? 信じられない。『侏儒の言葉』などのあの強がりは無効だったのか……
この世では文豪でさえ生きられないのか。だったら、自分なんか……
それから、日本の純文学なるものが嫌いになった。気障なばかりで頼りにならない。
自殺を夢見るようになった。青年の私にとって自殺の夢だけが生きる支えだった。
二十歳を過ぎてすぐ、読み返した。買い被ろうと頑張って、疲れた。
ある日、玄関脇に灰色の塊があるのに気づいた。何だろう?
ああ。ごみか……
そこには古雑誌などを置いている。だが、それは岩波書店の芥川全集だった。かさばるばかりで置き場に困って、そこに置いたのだ。そのことを忘れていた。忘れたかったのかもしれない。薄々わかっているから、ごみだと思ったのだろう。ちゃんと思い出してから、また、言葉にして思った。
やっぱり、ごみだ。
(終)
GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』〔1421 何四天王を紹介しよう〕