(書評)
合田道人『本当は戦争の歌だった童謡の謎』(祥伝社)
同じ題の本があるそうだが、これは加筆・修正された文庫版。
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♪海にお船を 浮かばして
行ってみたいな よその国……。
海を渡って敵国、よその国に乗り込んでゆき勝利を収めたい……、そんな心がこの歌を大きく支援していったのである。
現にこの歌を制作する際に、作詩者の林柳波(はやしりゅうは)には軍からこんな注文が下っていた。「海国日本を象徴し、子供の時分から海に対する憧れを抱くような歌を作れ……」と。
(『童謡の謎』「1 ウミ」p20)
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次のような反対意見がある。
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戦時中の教育的意図はともかくとして、海洋国日本の子どもたちに夢を与える歌である。
(糸井通浩『風呂で読む唱歌』「ウミ」)
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どんな「夢」かな?
『童謡の謎』で引用されていたのは、『ウミ』の三番だ。
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一 海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む
二 海は大波 青い波
ゆれてどこまで 続くやら
(前同p16)
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一番と二番は、海の様子を描いている。「どこまで」というのは広さの表現だ。ところが、突然、三番で渡航の物語に変わる。「どこまで」が〈「どこ」かへ〉に飛躍し、さらに「よその国」となる。「国」であって、「名も知らぬ遠き島」(島崎藤村『椰子の実』)などではない。
この歌には原典があるらしい。
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7 いで大船を 乗出して 我は拾わん 海の富
いで軍艦に 乗組みて 我は護(まも)らん 海の国
(前同「2 我は海の子」p44)
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これは「われは海の子 白浪の」と始まる、あの有名な歌の7番だ。
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この唱歌、現在では3番までしか教わらない。でも発表後から昭和20(1945)年の終戦まで7番まで歌詞があった。4番以降に潜んでいたものは、まさしく戦争だったのである。
(前同「3 我は海の子」p37)
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『我は海の子』の全体を思想的に批判することは容易だが、『ウミ』を思想的に批判することは困難だろう。
『我は海の子』の「4番以降に潜んでいたもの」を、当時の子供は感じ取っていたのだろう。また、戦後から現在まで、その「もの」を、子供は感じ取っているのかもしれない。私はどうだったか。
次の「戦争」は、あちこちに「潜んで」いるのかもしれない。平和の歌の中にさえ。
「戦争」は、突然始まるのではない。始まる前に、国民の思考や感情が「戦争」を許容し、さらには期待するように作り替えられるのだ。
(終)