つかこうへいが死にました
私が高校一年の頃、兄が宮部みゆきや森博嗣の作品を購入して母と私も我先と借りて読みふけっておりました
私は兄に対抗して面白い作家を見つけようとして、本屋の文庫コーナー周辺を眺めながらあるいていました
有数の進学校に何とか引っかかった身でありながら、自分はそこそこできるのではないかと自意識過剰の天狗鼻、そんな自分が選ぶのはありふれたお気楽エンターテーメントではなく、面白く機知に富み、文学の高みに到達して且つ分かり易い本・・・なかなか無いよ
そんな時に目に付いたのが傑作「広島に原爆を落とす日」
そのタイトルのインパクト、和田誠の渾身の装丁(私は今でも和田誠の装丁の中ではトップを争うと思う)、少し触り心地が分厚い豪華なカバー、角川もこの傑作がどれ程のものか勘付いたのだろう
その物語は今まで図書館で借りた西村京太郎作品や家にあった日本の文学全集等が与えてくれなかった衝撃を私にぶちこんでくれました
70年代から80年代のつかブームは知りません
演劇界では「静かな演劇」の時代が来ようとしていた時に、一周遅れで私はつか文学にドップリとはまっていったのです
つかブームが過ぎ去って古本屋には文庫がたくさんあり、おかげ様で私は安く著作を手に入れることができました
古本の文庫だけに飽き足らず、高い金を出して梅田の紀伊国屋書店で全集を買ったもんです
全集購入なんて後にも先にもこれだけです
決して文学性の高い作品とは思いません
最後のほうは似たような自身の劣化コピーのようでもありました
それでも、私はお布施のように著作を見つけては購入していったのです
学生時代に、自分で見つけた作品、そして影響を受けた自身の感受性を愛すべく「つか作品」を愛していたのかもしれません
やがて、様々な読書を通して世界が広がるにつれ、つか作品は次第に目にする機会が減っていきました
しかし、私の根幹を作った大きな存在であることは変わりが無いのです
今、思ってもやはり傑作秀作の類は多いと思います
死去の報を聞いても、悲しみはあるものの大きなショックを受けませんでした
それは、私の中の10代の青春時代に創られた何かが終わっていたからかもしれません
終わったというより固まったというのか・・・
つかこうへいが死にました
合掌