■PS2:「grand theft auto Vice City (廉価版)」
ついに正式に有害図書の認定を賜ることになったようだ。
近頃、秋葉原やオンラインゲームを取り上げるTV番組も増えてきたが、
必ずと言っていいほど
「病的にハマっている人」や「薄気味悪い人」とセットである。
「ゲームばかりしてるとこうなりますよ」
「ああはなりたくないものですね」
という着地点を目指して編集されているのが見え見えだ。
その番組を制作したTV局では、殺人事件を扱ったドラマも
お色気をウリにするバラエティも放送されているというのに、
そういったことに関しては無頓着というのもおかしな話だ。
有識者とTV局は、ゲームをスケープゴートにして
一応の責任を果たした気になりたいらしいが、現実はそう甘くないと思う。
ゲームという「果実」が有害図書という認定を受けても
より甘い「禁断の果実」になるだけだ。
食べたがる子供はむしろ増えるのではないか。
(以下は2004年9月25日の過去ログ)
「華氏911」で世間を騒がせているマイケル・ムーアの前作、
「ボーリング・フォー・コロンバイン」のタイトルの由来を御存知だろうか。
コロンバイン高校で銃乱射事件を起こした犯人である少年達が、
事件を起こす直前にボーリングに興じていたことから、
「ヘヴィ・メタルだのゲームだのが少年達に有害な影響を与えたと言うなら、
何故ボーリングだけが問題視されないのか」という所からつけられたそうだ。
こういう当たり前の疑問を映画というメディアを使って
世に問い掛けたムーアはやはり非凡だと思う。
愛知県は「青少年の人格形成に影響を与える恐れがある」として、
暴力シーンが多いテレビゲームソフトなどを規制するため、
青少年保護育成条例を改正する方針を固めた。
ビデオやPC用のソフトを対象にした条例は他府県にもあったが、
コンシューマー向けのゲームソフトにまで
対象を広げたのは全国でも初めてのケースだ。
県は今後、有識者の意見などを参考にして、青少年に適さないソフトを
「有害図書類」に指定する方法などを検討する方針らしい。
出たな有識者。私はこの有識者という方々が滅法苦手である。
これは私の思い込みもあるかと思うが、
雑誌やテレビに登場する有識者は概してゲームをしない。
「興味がないのでやらない」「よくわからないのでやったことがない」ことを
「危険」「悪影響」などの難癖をつけて回避しようという年寄りが多過ぎる。
ここ数年、社会を揺るがすような猟奇的な事件が発生した時に
マスコミが真っ先に追うのが加害者の自宅から何が出て来たかである。
もちろん手がかりを追っているわけではない。
「エロビ(特にSMやロリータなど)はないか、ゲームはないか。
異常者の部屋には絶対あるはずだ」
という色眼鏡越しに、お目当ての探し物をしているのだ。
そして彼等の思惑通りにエロビやゲーム機が出てきたら
「やはり今回も出てきましたか・・・」と”嬉々としながら顔を曇らせて”言う。
今どきの若者で、自室にエロビもゲームも置いてない人がどれほどいるというのか。
蛍の光で勉強してる人と同じぐらい少ないと思うが。
複数の加害者宅から娯楽として定着しているゲームソフトが
押収されただけで問題視されるのなら、宇多田ヒカルのCDならどうだ。
「冬のソナタ」のDVDボックスならどうだ。
平野レミの料理本が出てきたら、
それでも有識者やマスコミは問題視するというのか。
インターネットの掲示板が原因で殺人にまで発展した小学生がいるというのに、
教育現場へのパソコンの早期導入に誰も異を唱えないのは何故だ。
昔は密封されていたエロ本より遥かに過激なヘアヌードが
コンビニに並ぶ週刊誌で簡単に見られることに問題はないのか。
「うちの子ったらゲームばっかりやってるのよ」と困った顔をしながら
マクドナルドでコーラとハンバーガーを食べさせている
親の神経は一体どうなっているのか。
ゲームを犯罪増加のA級戦犯に仕立て上げ、
「有害図書」として隔離したところで犯罪の発生件数は減少しない。
人が「あちら側」に行ってしまう可能性は今も昔も一定であり、
槍玉に挙げられる対象が時代と共に変化しているだけだ。
私はファミコン版「六三四の剣」の首チョンパ技が好きで何度も何度もやっていた。
スプラッター映画も大好きだったし、
川で捕まえたザリガニやカエルを火あぶりにしたことも多々ある。
けれど現在の私はとても素直で素敵な好青年だ。
どうだ愛知県、ぐうの音も出まい。