団地小説短編集を歩く

団地小説短編集の舞台を歩きながら団地や地域の魅力をお伝えします。

小説キャナルタウン 53 能福寺 瀧善三郎正信碑 平清盛公840回忌追善法要

2020-02-28 05:33:56 | 日記
       平清盛公840回忌追善法要

  

 令和2年2月4日平清盛公840回忌追善法要が行われました。平清盛公の御命日は治承5年閏2月4日、太陽暦では3月20

日になりますのでおそらく日本一早い840回忌追善法要となります。写真の左端に見えるお墓のような石碑が瀧善三郎正信碑

になります。

   

 当ブログでは平清盛公の追善法要は三回目になります。追善法要については

     小説キャナルタウン 6 新兵庫運河物語 2 能福寺平清盛公837回忌追善法要(2017.2.9)

     小説キャナルタウン 35 能福寺平清盛公839回忌追善法要 北風正造君碑(2019.2.15)
をご覧ください。

 能福寺には平相国廟のほかにもいろいろな文化財があります。前回は北風正造君碑でしたが今回は瀧善三郎正信碑です。

 この日はお茶の接待がありました。兵庫津樽屋五兵衛さんの菊芋茶です。袋の絵は能福寺の住職の奥様が描かれています。

   

 平清盛公の墓所は源平の争乱の中で分からなくなってしまいました。昭和59年2月清盛公800大遠忌を迎えるにあたり

平相国廟を建立復興しました。平清盛公と共に平家一門、源氏一族将兵霊の回向をします。

   

 参列者の皆様が焼香します。今日の参列者はほぼ身内でした。

 ご住職のお話すです。NHKの大河ドラマで平清盛を放送していたころは、境内がまるで銀座のような人出でした。しかし法要

は続けていくことに意味があります。再来年のNHKの大河ドラマは鎌倉殿の13人に決まりました。清盛塚の平清盛は必ず出る

と思いますので期待しています。

     こちらが清盛塚です。      

   

       県指定文化財  清盛塚十三重塔

       指定年月日    昭和53年12月

       所有者・管理者   神 戸 市

 この石塔は古くから清盛塚と呼ばれ北条時貞の建立とも伝えられています。当初は現在地より南西11mにあり、平清盛公の

墳墓と言われていましたが、大正時代の道路拡張に伴う移設の際の調査で墳墓でないことが確認され、現在地に移設されました。

 石塔の高さが8.3m初層は一辺145cm、最上層は一辺88cmを測り、基礎部分台東面の両脇に「弘安九」「二月 日」の

銘があり、弘安九年(1286年)に造立されたことがわかります。

 石塔の隣には、神戸市出身の彫刻家である柳原義達の作になる平清盛像が建てられています。今なお清盛塚は地域の人々によっ

て敬われ、大切に守られています。       

                        平成23年12月      神戸市教育委員会 岡方協議会

 鎌倉殿の13人は二代執権北条義時と13人の家臣の時代のドラマのようで、清盛塚を建立したと言われる九代執権北条貞時とは

時代が多少ことなりますので、北条貞時が兵庫の津に立って平清盛に思いをはせ慰霊碑(清盛塚)を建立するようなシーンがある

かどうかは分かりません。

 清盛塚については小説キャナルタウン 10 新兵庫運河物語5 清盛塚 大発見?幻の八棟寺(2017.6.16)をご覧ください。
       

       瀧善三郎正信碑

       能福寺前の説明看板

  

          明治維新神戸事件 瀧善三郎正信の碑

    きのう見し 夢は今さら ひきかえて  神戸の浦に 名をやあげなむ   善三郎辞世の句

 開港間もない神戸で起きた外国との紛争で発足後最初の外交問題で苦境に立たされた明治政府を救い日本が外国に植民地化され

るのを未然に防いだのが神戸事件の瀧善三郎正信の死であった。

 慶応4年(1868年)1月11日西宮警備を命令された備前藩兵が大砲を引いて西国街道を通過中、三宮神社前で行列を横切

ろうとした、フランス水兵を槍で以って刺傷させた「神戸事件」が起こり神戸の町は一時、外国兵によって、占領されるありさま

であった。

 この事件は明治政府の素早い方針転換生命と、備前藩責任者の処罰によって決着がついたが全責任を負って同年2月9日兵庫の

津、永福寺(現カネテツデリカフーズ(株))で外国人代表ら立ち合いの目前で切腹した瀧善三郎正信(当年32才)の最後は識

者の涙を誘ったその跡地に碑を建て市民はこの事件に一番の役割を果した彼に、心から感謝の意を表し、その功績を永くたたえて

きました。

 昭和8年今迄あった木碑に代えて立派な石碑が建立された昭和20年戦災で寺は焼失したが碑は無事に残り境内跡地に出来た

「カネテツデリカフーズ(株)」構内に祭られ供養が続けられていた。

 その後昭和44年、地元有志並びカネテツデリカフーズ(株)により、ここ能福寺の聖域に移設された。

                           神戸市  能福寺  兵庫津の文化を育てる会 

       瀧善三郎正信碑
         
  

   

   瀧善三郎正信碑の左面の銘文(わかりにくい文字があり不正確です。旧字体は新字体になっています。)

      瀧善三郎正信君岡山藩士也依神戸事件賜死慶応四年二月

      九日於当寺本堂屠腹以殉国難時三十有二矣君従容自若

      就死如帰検使伊藤俊介及英米仏伊蘭孛等外人列其席者皆

      感其義烈真日本武士道精華也今茲予與有志胥議仰貲旧藩

      主池田侯爵建碑寺域中以傳芳子万世云爾

         昭和八癸酉年三月 永福寺第二十六世一誉光信撰書

   瀧善三郎正信碑の右奥にある説明文。

       瀧善三郎正信碑

 この碑はもとこの地から約100メートル東の南仲町の永福寺に建立されていた「神戸事件」の瀧善三郎碑である。

 明治元年1月11日開港間もない神戸の現在の三宮神社付近で西宮警備の命を受けた備前藩士の行列を横切った外国人を傷つけ

たのが発端で衝突事件となり、いわゆる神戸事件として大きな国際問題となった。備前藩では藩士の瀧善三郎正信を責任者として

切腹せしめることによりその解決を図り、同年2月9日各国代表者の立会いのもとに永福寺において従容として割腹した。時に

32才。

 幸いにしてこの事件は一応の解決を見たが市民はそのけなげさに感激して碑を建てた。この度百回忌を迎えるにあたり、能福寺

の浄域に移設した。

              昭和44年5月        神戸市長 原口忠次郎

       永福寺

   

 赤い折れ曲がった太線が西国街道になります。ピンク色の線が道になります。能福寺の一街区東の南仲町と書かれた一画すべて

が永福寺であったと思われます。地図では薄い黄色の部分が寺域と説明がありますが現存する寺院に関係する寺域のみでないか

と思います。永福寺は空襲で焼失その後再建されませんでしたので着色されなかったのだと思います。

 昔の住宅地図では写真の三棟のマンションの辺りがカネテツの神戸工場となっています。14階建てのマンションの管理の方に

聞くとカネテツの蒲鉾工場の跡地であるがそれ以前のことは知らないとおしゃっていました。〇〇跡といった石碑も無いそうで

す。

       追加資料  令和2年7月26日  黄色い部分が永福寺

   

写真 左 明治14年の地図 お寺の道路に面した部分は店舗等に賃貸されていると思います。

写真 右 明治28年の地図 永福寺の字が見えます。さらに寺域が賃貸され京都の街中のお寺のような状態でしょうか。

       三宮神社

  

  史跡神戸事件発生地碑があります。

       明治維新 神戸事件概要

   

  写真は能福寺と同じものです。日本語、英語、中国語(略字体)、ハングルで書かれています。

 トア・ロード南端にある三宮神社前で慶応4年(1868)1月11日神戸事件が起きた。

 備前藩の隊列が西国街道を東に向かって行進中、三宮神社前に差しかかったとき、沖に停泊していた外国艦水兵数人が隊列を横

切った。これに怒った。備前藩隊員が水兵に切りつけたことが、国際事件となった。結果として第3砲兵隊長の滝善三郎が詰め腹

を切らされた。兵庫の永福寺の座敷で6ヵ国の立会人が注視するなかで切腹したのである。

 日本の政治体制がまだ確固としていなかったためにこの悲劇が起きた。

       三宮神社境内の大砲

   

    大砲

 明治元年1月11日に三宮神社前で突発した神戸事件のとき外国兵との交戦に備前の藩兵は三門の大砲をひいて応戦した。年代

的に同時のものなのでここに据えて参考とする。                 三宮神社

 大砲は本物です。太さは筒先で20cm最も太い部分で37cm長さは約170cmあります。口径は10cmで木の栓でフタ

がしてあります。引いていた大砲はもっと小口径のものだと思います。

 兵庫津の防備のため和田岬と湊川の河口、現在の川崎重工に砲台が築かれました。しかし開港されたのは兵庫津ではなくて湊川

と生田川(現在のフラワー道路)とに挟まれた神戸でした。もし和田岬砲台が生田川の河口にあり湊川砲台と共に停泊中のフラン

ス軍艦に照準を合わせていれば神戸事件の展開も変わったものになっていたのかもしれません。

    小説キャナルタウン 25 新兵庫運河物語 10 和田岬砲台(前編)摂海防備令(2018.6.15)

    小説キャナルタウン 26 新兵庫運河物語 10 和田岬砲台(2018.6.22)マーテロー塔(2018.6.22)をご覧ください。

 無用の長物の代名詞のように言われている砲台ですが、大砲も備えられ訓練を繰り返していました。

    小説キャナルタウン 90 七宮神社節分会 能福寺 平清盛842回忌 瀧善三郎正信碑参拝(2022.2.25)

    令和4年2月9日 よみがえる兵庫津連絡協議会の呼びかけで御命日に参拝しました。

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