団地小説短編集を歩く

団地小説短編集の舞台を歩きながら団地や地域の魅力をお伝えします。

小説タウンハウス 24 宮ヶ谷調整池‐小束野開拓‐老ノ口分水所 淡河川山田川疎水 13

2021-01-29 12:07:24 | 日記
       兵庫県山田川疎水平面図    淡山疎水東播用水博物館蔵

  

       宮ヶ谷調整池

 淡河川疎水の用地は原則としてすべて買収しました。しかし広野新開所と呼ばれる元三田藩主九鬼家の経営地は「公共事業に賛

成する精神ももって無償で」「疎水潰地永代賃貸契約」で、水路及び溜池用地19.6ヘクタールを借り受けます。(別途、同じ契

約で組合から田10町歩の用水の贈与を受ける条項があります)地図上、他に溜池は見当たりませんので宮ヶ谷調整池がこれに当

たると思います。

    小説タウンハウス 15 淡河川疎水 芥子山隧道 淡河川・山田川疎水(淡山疎水)6(2019.2.8)をご覧ください

 青線が淡河川疎水、赤線が山田川疎水で建設された水路になります。山田川疎水は宮ヶ谷調整池の手前で神出支線と別所支線に

分かれます。岩岡支線に向かう水は別所支線から広野発電所で発電に利用されてから宮ヶ谷調整池に入ります。

 宮ヶ谷調整池の出口は南にトンネルであったものが、西側から現在の甲南大学グランドを大回りするルートに変更されたようで

す。

       いなみ野台地を潤す水の道 淡河川山田川疎水   兵庫県北播磨県民局加古川流域土地改良事務所他

  

 宮ヶ谷調整池から老ノ口分水所・練部屋分水所間を合流幹線と言います。

   

 宮ヶ谷調整池から合流幹線が始まります。

  

 甲南大学グランド西側を回る水路です。大部分が蓋をされ暗渠化しています。トンネル入り口となりますが名前は有りません。

   

 トンネル出口と水路ですが蓋がされ暗渠化しています。

   

 淡河川疎水の旧水路と山田川疎水建設時の新水路の合流点です。旧水路部分がそのまま残っているのが謎です。

   

 一部開渠水路がありますがすぐに蓋がされ暗渠化します。トンネル入口の水路の蓋の上まで大きな竹が生えています。

   

 山間部を抜けてここららは平地になります。四重の煉瓦でつくられた立派なトンネルです。建設された時代の差から、淡河川疎

水の隧道は煉瓦、山田川疎水の隧道はコンクリートブロックが使用されています。淡河川疎水の建設時に、岩岡他1村に将来疎水

を拡張するときは参加を認める密約があったようで、この部分は将来の拡張を見据えたものであったのでしょうか。この隧道を流

れる水は淡河川疎水と岩岡分水路の水です。

   

 隧道を出た水は西に流れ、南に変わります。約90度の曲線部は、水のあふれの防止のためでしょうか、蓋があります。その先

にあるのが小束野分水所です。立派な金属製の銘板もありますが、左右どちらにも分水口が無くて謎の施設です。

    兵庫楽農生活センター 楽農レストランかんでかんで 農産物直売所きらめき神出

  

 写真左から、神出山田自転車道、淡河川・山田川疎水合流幹、一般道路、兵庫楽農生活センター、育むみの里楽農レストランか

んでかんで、農産物直売所楽農市場きらめき神出となります。

 神出山田自転車道は旧山田川頭首工の少し上流から山田川疎水(廃止部分も含む)・合流幹線に沿って下ってきます。吞吐ダム

の桜並木はその一部となります。機会があれば通しで紹介したいと思います。

 兵庫酪農生活センターは「農を体験する」「農を学び実践する」「食を楽しむ」と言った「楽農生活」を実感する施設で、就農

支援コース・親子農業体験コース・生きがい農業コースなどがあります。兵庫県の施設で公益社団法人みどり公社が指定管理人と

なっています。

 楽農レストランかんでかんで、農産物直売所きらめき神出はお客さんで賑わいます。

  

 淡山疎水(淡河川・山田川疎水)と兵庫楽農生活センター付近図とありますが兵庫楽農生活センターと淡山疎水は深い関係があ

ります。

   

 兵庫楽農生活センターは面積14ヘクタール、水田・畑から果樹園、植林地まであります。建物は呉錦堂の小束野の別荘を模

して造られました。兵庫楽農生活センターの地に別荘がありました。

 呉錦堂は明治40年小束野の原野141haを購入します。当初は果樹園を計画していましたが淡河川・山田川疎水の水利権を取

得して水田に変更、宮ヶ谷池と小束野池を築造します。呉錦堂は大正15年に亡くなりますが開田面積は約64haでした。事業は

子の呉啓藩に引き継がれますが、不況や小作争議で開墾を中止、昭和13年には神戸の貿易商加藤岩五郎に売却されます。

       呉錦堂池          

   

 呉錦堂池は、神戸市の北西部三木市と市境を二分する西区神出町古神に位置し、小束野集落の農地47haを潤す主水源です。

 小束野の農地は舞子海岸に建てられた六角堂で知られる「移情閣」の主人である中国人貿易商呉錦堂氏が明治末から約20年間

をかけて開拓したもので、その用水源として大正6年に宮ヶ谷池が築造された。

 呉錦堂池の名称は、今日の小束野集落の繁栄の基礎を築いた氏の功績を称え、昭和32年に顕彰碑が建立された際に宮ヶ谷池を

呉錦堂池と改称されたものです。呉錦堂池は築造後80年を経過して老朽化が著しくなったため平成4~8年に県営事業として改

修されました。

 堤高 17.5m  堤長 295m  貯水量 390000㎥  満水面積 8ha  流域面積 54ha  受益面積 47ha  

 写真は改修され近代化された堰堤の様子がよくわかる池が空の状態です。

 呉錦堂池にある神出山田自転車道の休憩所名は残念ながら宮が谷池休憩所です。

   

 呉錦堂氏は一般的にはあまり知られていませんが孫文や孫文記念館「移情閣」は教科書にも載っています。孫文へのあやかり商

法ではありませんが移情閣は呉錦堂の別荘です。移情とは故郷を思う心です。呉錦堂は故郷に学校を作り水利事業に大金を寄付し

ました。農産物直売所のきらめき神出の八角形の建物は六角堂で知られる移情閣を模したとも言われています。実は移情閣は六角

ではなく八角でした。

       老ノ口分水所      

  

播州平野から東に連なる印南野の台地の東端に、西区神出町、岩岡町は位置します。この地域は、江戸時代以降、開墾が進められ

ました。地形的に台地のため水の乏しい地域でした。そのため遠く離れた北区の山田川から水を引くことが明和8年(1771

年)に計画されましたが実現しませんでした。

 その後明治21年加古郡(現在の稲美町一帯)の地域が淡河川からの疎水計画を起こし明治24年完成しましたが、開田が進ん

だため、第2の疎水(山田川疎水)が計画され、神出町、岩岡町等がこの事業に加わり、明治44年から8年をかけ大正8年に完

成しました。

 これらの事業により、この地域は見わたすかぎりの美田になっています。

 目の前の円形の施設は分水と言われるもので、ここの地名から老の口分水所と呼ばれています。
    
      注 吞吐ダムから上流部の山田川疎水及び取水口は廃止されています。(地図の説明です)

  

 練部屋分水所(稲見町)に向かう合流幹線側から見た老の口分水所です。

  

 上側ー合流幹線・練部屋分水所(稲美町)、下側ー岩岡支線に分水します。水を正確に分けることは非常に難しいことでした。

流れ出る部分の角度の比で水を正確に分けます。老の口分水所では2分割ですが、数分割、またその分水比が異なる場合は威力

を発揮します。

  

 水が無い状態です。流れてきた水を下から吹き上げることにより、全方向に流れを均一にします。

   

 淡山疎水・東播用水博物館にある説明図です。練部屋分水所の説明ですので、形状が少し異なります。

   

 現在では鉄管の中を流れる水量を測れるセンサーもありますが、水を正確に分けることは難しいことでした。


       UR賃貸10の団地と10話の物語

       「団地小説短編集」500円+税

    明石市松が丘2丁目3-7 明舞センタービル2階

        ザ・ダイソー明舞団地店 西隣

         明舞書店で好評発売中。


       


       「団地小説短編集」が電子書籍になりました。

      22世紀アート版 KINDIE版 アマゾンで発売中。


       アマゾンの画面から紙の本が購入出来ます。中古品をクリックして進んでください。商品は新品です。

       


       「団地小説短編集」がTシャツになりました。

       元気になる小説の元気になるTシャツ! UR賃貸営業の必須アイテム?