末尾に解体撤去工事一覧及び掲載予定があります。
解体工事の進捗状況
平成29年12月12日
整地工事も終わり乗り入れ(工事車両の出入りのための歩道の切り込み)復旧工事が行なわれていました。作業予定表では
14日から舗装工事の予定です。
竣工写真
工期は平成29年12月28日まででした。写真は平成30年1月15日のものです。
当初の予定では砂利舗装程度だったと思います。駐車場に対応出来るようアスファルト舗装になったのでしょう。
特に意味はありませんが。
写真 左 大将軍駅からモノレール姫路駅方面です。小公園に建つ緑化された橋脚に続いて階段状に橋脚の頭が見えます。
写真 右 大将軍駅から手柄山駅方面です。道路の向こうに橋脚が見えます。
杭のまとめです
平成29年12月20日 の神戸新聞朝刊(要旨)です。
旧モノレール駅舎「高尾ビル」 跡地を駐車場に利用 姫路市が暫定的に 観光バス用
姫路市は、解体工事を進めていた旧市営モノレールの駅舎ビル「高尾ビル」(同市高尾町)の跡地について、観光バスの駐
車場として暫定利用する方針を決めた。」ビルを支えていた鋼材のくいを抜く作業を断念したため、新たなビルやマンション
などの建設は難しいと判断した。
高尾ビルは昭和41年(1966)、モノレールの開業に合わせて日本住宅公団(現UR都市機構)が市有地に建設。10階
建の3,4階部分に中間駅「大将軍」があったが、開業から2年足らずで閉鎖された。モノレールも8年で運行を終えた。
その後も住宅や飲食店が入居していたが、老朽化で耐震性に問題があるとされ市とURは平成24年末に解体に合意した。
市は昨年から工事に着手。今年9月、ビルの基礎に使われたH鋼のくい199本の撤去作業に入った。しかし2本目で機械が
破損し、地中でくいが曲がる変形を確認。別の工法も試みたが、振動が周辺地域に及ぼす影響が大きく、断念したという。
これを受けて市は、新たなビルやマンション建設などへの転用は不可能と判断。市議会に、解体費用からくいの撤去費用約
1800万円を減額する議案を提出し、可決された。市管財課は「地面の掘り起こしが必要な高層ビルなどの開発は難しいが、
駐車場として活用しながら、跡地利用のあり方話検討したい」としている。
杭の写真を探してみました。平成29年9月21日
拡大してみました。 上の写真とは別の写真です。
新聞等の写真と同じ杭です。拡大の方法が分からないのでパソコンの画面を写していますので多少不鮮明です。
いまどきの鉄道サイトの作り方の記事に「このビルに使用されいた杭が200本見つかり、これが長年の耐用で老朽化した結
果、変形してしまって抜けない‥‥という事態が起きています。」これが姫路市から出た情報かどうかは分かりませんが、何人
かの建築の専門家に聞いてみたところ転石(地中に埋まっている大きめの石)か、可能性としては少ないが支持地盤にはならな
いが薄いが堅い層に当たって石を噛んだまま打ち続けて変形したもので長年の負荷で変形したような形ではないとの話で、又
金さえ掛ければ抜けないことはないとのお話でした。
原因が転石であれば他の杭は抜けるかも知れませんし、中止したことから考えるとH型鋼の宿命として転石で変形しやすいく
他も同様と判断したのかも知れません。一般的なコンクリート杭よりもH型鋼杭は工期が短いようで、何とか姫路博覧会に間に
合わせる必要がありました。
新聞では杭の引き抜き中止により工事契約を1800万円減額したとありますが、重機の搬入や地盤改良、舗装工事の増額等
の差引額だと思いますががH型鋼の引き抜きはずいぶん安い見積もりだったのですね。それでも‥‥
姫路市の開札結果情報によりますと (YOMIURI ONRLINによると敷地面積は約1800㎡)
(366,000,000ー18,000,000)÷1,800=193,333 193,333円/㎡ 637,999円/坪
一部ネットの情報では5億円近い
500,000,000÷1,800=277,777 277,777円/㎡ 916,666円/坪
となります。地価より高いのでは?これ以上お金をかけられない気持ちはよくわかります。
まさかH型鋼が杭だとは思っていなかったのですが、たまたま写していた杭の頭の写真です。高尾団地の場合、柱一本に4
本の杭を打ち頭の部分を鉄筋でつないで溶接しコンクリ-トを流し込んで巨大な土台としました。その土台を巨大な地中梁で
梯子形に繋ぎます、その撤去作業が、番外編 10 解体難攻?高尾団地・大将軍駅 いい仕事しています日本住宅公団(2017
.7.28)になります。そしてこの鉄筋の山とコンクリートの山となりました。
注目したいのが、モノレールの橋脚とまだ残っているコンクリートの壁です。なぜか基礎の撤去が終わっても残ってまし
た。(基礎の撤去はお盆なでに終わってましたが、工事の予定表では橋脚の撤去は8月21日~8月24日になっており、
この部分は地上部のみの撤去では?)私もそう度々見に行っていたわけではありませんのであくまで推測ですが、この撤去
工事が「売却を目的とした完全な撤去」ではなくて「次の建物の建設のための必要な部分の撤去」だったのでは?と思うこ
とです。建物が建たない周辺部に基礎が残っていても土地の価値に大きな影響はないかも知れませんが、撤去費用以下の価格
で販売することは、時節柄、あらぬ疑いを招きかねません。父の思いの残ったこの地を形ある物にして残したいのかも知れま
せん。姫路市の財政事情は分かりませんが何か使用目的があったのでは、と思う次第であります。
ビルは高尾ビル・駅は大将軍駅・団地は高尾団地
「高尾ビル」の名前は解体工事の看板で初めて知りました。上層階が公団住宅・下層階が土地所有者の店舗・事務所等の
「市街地住宅」の場合、公団の団地名と店舗・事務所のビルの名前が異なるのが一般的です。1・2階の商業施設(3・4階
の大将軍駅も含まれたかも)は姫路市によって高尾ビルと呼ばれていたのでしょう。住宅部分が姫路市に譲渡され姫路市が
解体しますので「高尾ビル解体工事」で間違いではありません。では駅名と団地名の由来です。
大将軍駅
平成18年3月のJRの高架完成まで大将軍駅付近から始まる「大将軍陸橋」と呼ばれる大きな陸橋がありました。では
なぜ大将軍陸橋かと言いますと。
(竣工写真に大将軍陸橋の痕跡があります。敷地の手前側、小公園に接する部分に歩道の盛り上がりの断面が見えます。
団地の南の道はここから大将軍陸橋に向け坂になっていました。)
新幹線の高架の手前にある大きな木が有るところが「大将軍神社」です。電車(本当は姫新線のジーゼル車です。)が走っ
ている高架がJR山陽本線と姫新線の高架で、高架になる以前は大将軍陸橋がありました。
大将軍神社
大将軍神社です。しかし神社名は見当たりません。十二所神社の旗が立っています。(お祭りの時に撮影しました)
現在は十二所神社の御旅所となっています。
電柱に例のお姫様の案内板がありましたが少々読みずらいです。
大将軍神社 十二所神社の元宮で現在のお旅所。陰陽思想の方位の大将軍を祀った地。 と書いてあります。
十二所神社
現在の十二所神社は陸橋の地図の上の端の中央部分にあります。戦災復興の区画整理により、少し場所は変わってますが
姫路城外堀の南西の角、白い区画で「十二所権現」書いてある所です。姫路の城下町の建設にあったって、南西の角つまり
「裏鬼門」の守りとしてこの地に遷座されました。外堀の角になりますので当然軍事的な役割もあります。そして元のお宮
には方位神の大将軍をお祀りしました。念には念を入れているのであります。(諸説あり)
御祭神 少彦名尊 医薬の神様 御利益 病気平癒
由 緒 延長6年(928)疫病が蔓延し里人が困っていたところ一夜にして12本の蓬が生え、そこへ少彦名
尊が現れ、この蓬で疫病を治癒すべしと神託あった。神託通りに病が癒えたので里人は感謝し少彦名尊
をお祀りした。
「十二所神社」と「お菊神社」の看板があります。社が見えているのがお菊神社になり、十二所神社はこの南に
並んで建っています。お菊神社の方が有名かも知れません。
全国に約五十ほどの皿屋敷伝説があるそうです。播州皿屋敷が本家的なもので芝居になったのも番町皿屋敷よりも早いそ
うです。落語の皿屋敷(オチは十八枚数えて、明日は休みです)は西国街道を1㎞余り西に行った車崎になっています。
お菊神社 由緒 一部不明の箇所があり適当に訳しました。大意としてお読みください。
祭神 三菊大明神 菊姫命
播州皿屋敷「お菊物語」の菊女は、姫路二代目城主(当時姫路城は二層)小寺則職の奥女中として仕え、主君則職若くして
病床に伏し、菊女病気平癒祈願のため、当十二所神社に参籠し、心願叶い則職全復す。
病気全快に事よせて、悪家老青山鉄山は町ノ坪弾四郎等一味と計り天正二年(1574年)増位山に観桜の宴を催し、則職
鳩毒を盛った酒を勧め、主家を横領せんとしたが、菊女の内通により衣笠靱負介等忠臣の知るところとなり、危く難をのがれ
則職は、家島に渡り再起を計る。
主家を横領した鉄山は、小寺家の家宝「赤絵の皿」十枚に珍味を盛り祝杯を上げた。皿の管理を命ぜられた菊女は、弾四郎の
奸計により皿一枚をかくされ、皿改めの場に引き出され、日夜はげしい折檻を受け古井戸に吊され、二一歳の妙令を一期に無残
な最后を遂げました。
菊女の霊は、主君則職を家島より導き、青山鉄山・町ノ坪弾四郎等、悪の一味を滅亡し本懐を遂げました。
小寺加賀守則職は菊女の忠節に感じ、神徳あつき十二所神社の境内に祠を建て、霊をまつりて、ねんごろに慰めたと云う。
御祭神は、水と皿にごえんがあり、御婦人・水商売・陶器の守護神として悩み事、願い事に御利益があります。
御祈念、月詣・日詣を勤め」、願意・願望叶えば皿一枚に御記名の上、奉納してください。
番町皿屋敷と話は異なります。修身の教科書に載るような立派な話です。「烈女 お菊」の碑があります。
高尾団地
正式には「高尾市街地住宅」だと思います。銘板は「高尾アパート」となっていました。
駅名が「大将軍」であれば団地名も「大将軍団地」でいいと思うのですが「高尾」です。これは公団の「原則として団地名
は地名を付ける」規定によるものです。原則ですのでニュータウンの開発事業や再開発事業では事業名や事業名の愛称が付い
た団地もあります。
高尾町の町名のいわれ
榊原家は池田(輝政)家から数えて八家目の姫路藩主となります。榊原政岑は三代藩主で分家からの養子で19歳で藩主と
なりました。当初は能く藩を治めたが正室をなくして落ち込んでいたところを、能楽師に誘われ吉原に行き入り浸るようにな
る。重臣の諫言も聞かず放蕩は続き寛保元年(1741)吉原で一番人気の高尾太夫を2500両で身請けし、3000両を
かけ盛大な落籍披露を行なった。他にも京都島原の遊女2人、有馬の遊女3人を身請けし側室とし贅沢三昧の日々を過ごし
たが、ついに幕府の咎めるところとなり政岑は蟄居処分、榊原家は越後高田藩に転封となった。失意のうちに政岑は2年後に
死亡、高尾太夫はよくその菩提を弔ったと云うことです。
高尾太夫は三浦屋に伝わる大名跡で五代目は落語「紺屋高尾」で有名な高尾太夫で、六代目高尾太夫になります。吉原は
元々は武士のための施設。町人に競り勝って吉原の太夫を身請けすれば大名の威信というもの、咎められることではないので
すが、次々に5人の遊女を身請けしたことが享保の改革の中、吉宗の怒りに触れたようです。
高尾太夫を住まわしたところが高尾町になった、と言われてますが側室を住まわせるのにはあまりに離れすぎており、実際
は今の好古園あたりと言われています。ずいぶん昔に聞いた話です。
珍名団地のお話です。
西宮市常磐町にある「常盤町」団地です。もう説明の必要はないと思いますが漢字を間違ってしまいました。
募集看板では「常磐町」になおってますが実は「常盤町」の間違いです。しかし現在は募集していないと思います。
補遺
番外編 9 解体進む高尾団地・姫路モノレール大将軍駅 船場本徳寺とその界隈(2017.6.9)
船場本徳寺に残る第1次世界大戦の戦争遺物として紹介したドイツ人捕虜が故郷を懐かしんで作った古城の模型です。
大きめの石を積んだ上に、石積の表面を活かしながら山に築かれたドイツの古城をモルタルで精緻に作っています。姫路
市史によると噴水だそうです。空堀の堀障子のようなものは、水が複雑に流れるための工夫のようです。小さな流れががた
くさん出来て、色々のところに小さな池があって想像するだけでも楽しい噴水です。是非、噴水を修理再現してほしいもの
です。
番外編 11 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡?杭引抜機撤退 船場蔵と大蔵前町(2017.9.29)
セイヒョウパーキング(日本製氷株式会社)が旧船場川跡地と書いてきましたが建物が無くなり旧船場川の形状がくっきり
分かるようになり、再度、昭和42年の住宅地図を見てみますと
左右の割合は分かりませんが、昔の町境の(赤い実線)を含む部分に旧船場川があったと思います。埋立が昭和33・34年
に行なわれましたので、空き地が多い部分が旧船場川跡かも知れません。
記録まとめ 団地の解体が終わりましたのでこれまでのまとめです。この後も何かありましたら書く予定です。
例によってこのブログにはクイック一つで見る機能はありませんが参考になることがあるかも知れませんご覧下さい。
番外編 1 高尾団地 取り壊し始まる。(2016.10.1)
○ 高尾団地(空家募集)団地の募集パンフレット
○ 日本住宅公団の「市街地住宅制度」の説明。昔は下駄履き住宅と言われていました。
○ 工事写真 平成28年9月21日。
番外編 2 高尾団地取り壊し進む と 姫路モノレール(2016.10.22)
○ 工事写真 平成28年10月19日
○ モノレール展示室
○ 市街地改造事業(船場地区)ここも下駄履き住宅です。
番外編 3 建設進む高尾団地 姫路モノレール建設急ピッチ(2016.12.10)
○ 工事写真 平成28年11月16日・12月5日
○ 「広報ひめじ」で見る姫路モノレール・高尾団地建設の記録。
番外編 4 姫路モノレールだけではなかった石見市長親子二代の執念(2017.2.2)
○ 工事写真 平成28年12月23日・平成29年1月26日
○ キャッスルガーデンは大手前通りオープンカット計画の再現?
番外編 5 高尾団地解体 姫路モノレール延伸計画と船場ビル群(前編)(2017.3.10)
○ 工事写真 平成29年2月16日・2月27日
○ 姫路モノレール延伸計画。
○ 船場ビル群(市街地改造事業)。
番外編 6 姫路モノレール延伸計画と船場ビル群(後編)ついでに復活計画(2017.3.17)
○ 計画路線の駅予定地を巡りました。
○ 姫路・書写兵庫県立大学間の復活計画です。
番外編 7 高尾団地・大将軍駅解体 姫路モノレール軌道撤去 (2017.3.31)
○ 工事写真 平成29年3月18日・3月24日
○ 姫路モノレール橋脚・軌道撤去工事も始まりました。
番外編 8 夢か幻か モノレールと姫路城と桜の競演(2017.4.28)
○ 工事写真 平成29年3月27日・4月3・4月12日・4月19日
○ 今でも乗れる姫路(動物園)モノレール。
番外編 9 解体進む高尾団地・姫路モノレール大将軍駅 船場本徳寺とその界隈(2017.6.9)
○ 工事写真 平成29年4月25日・5月7日・5月17日・5月30日
○ 船場本徳寺(船場御坊楽市)とその周辺
番外編 10 解体難攻?高尾団地・大将軍駅 いい仕事しています日本住宅公団(2017.7.28)
○ 工事写真 平成29年6月14日・6月24日・7月3日・7月11日
○ 消えた大蔵前町が意外な展開に。
番外編 11 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡?杭引抜機撤退 船場蔵と大蔵前町(2017.9.29)
○ 工事写真 平成29年7月26日・8月9日・8月23日・9月5日・9月9日・9月21日
○ 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡かも疑惑。
○ 基礎杭引き抜き中止。
番外編 12 高尾団地・姫路モノレール大将軍駅は旧船場川跡だった。(2017.11.24)
○ 工事写真 平成29年9月28日・10月7日(十二所神社の秋祭)・10月12日・10月24日・
11月1日・11月9日
○ 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡であった。
○ モノレール工事が原因?昭和40年9月15日水害。
番外編 14 高尾団地・大将軍駅跡地(遺跡)は今 再度挑戦 姫路城・モノレール・桜(2018.5.11)を追加しました。
番外編 15 高尾団地・姫路モノレール大将軍駅の今 またも「くい」が残った石見市長(2019.2.22)を追加しまし
た。
○ 旧船場川のおそらく正確な位置を書きました。
番外編 16 姫路モノレール 工事名称「旧モノレール橋脚解体撤去工事」着工(2019.12.20)を追加しました。
番外編 18 姫路モノレール 工事名称「旧モノレール橋脚解体撤去工事」完了(2020.4.10)を追加しました。
番外編 20 姫路モノレール「旧モノレール橋脚解体撤去工事」大将軍駅東(前編)(2020.12.18)を追加しました。
番外編 21 祝 姫路モノレール遺構群選奨土木遺産認定 橋脚解体撤去工事(後編)(2021.1.26)を追加しました。
番外編 24 旧モノレール橋桁撤去工事 姫路市延末地内(前編)(2022.1.14) を追加しました。
番外編 27 旧モノレール橋桁撤去工事 姫路市延末地内(後編)(2022.4.8) を追加しました。
番外編 29 旧モノレール橋桁・橋脚撤去工事 姫路市延末(令和4年度)その1(2022.11.25)を追加しました。
番外編 30 旧モノレール橋桁・橋脚撤去工事 姫路市延末(令和4年度)その2(2023.1.27)を追加しました。
番外編 31 旧モノレール橋桁・橋脚撤去工事 姫路市延末(令和4年度)その3(2023.3.31)を追加しました。
姫路市旧モノレール橋脚撤去工事 令和5年度(前編)令和6年1月26日に予定しています。
姫路市旧モノレール橋脚撤去工事 令和5年度(後編)を予定しています。
団地小説短編集を歩くは、
「団地小説短編集」の舞台となった
UR賃貸10の団地の魅力をお伝えするブログです。
番外編は、10の団地以外で高尾団地を取り上げています。
UR賃貸 10の団地と10話の物語
「団地小説短編集」500円+税は
姫路市大野町53
井上書林
明石市松が丘2丁目3-7松が丘ビル2階
明舞書店
で販売しています。
解体工事の進捗状況
平成29年12月12日
整地工事も終わり乗り入れ(工事車両の出入りのための歩道の切り込み)復旧工事が行なわれていました。作業予定表では
14日から舗装工事の予定です。
竣工写真
工期は平成29年12月28日まででした。写真は平成30年1月15日のものです。
当初の予定では砂利舗装程度だったと思います。駐車場に対応出来るようアスファルト舗装になったのでしょう。
特に意味はありませんが。
写真 左 大将軍駅からモノレール姫路駅方面です。小公園に建つ緑化された橋脚に続いて階段状に橋脚の頭が見えます。
写真 右 大将軍駅から手柄山駅方面です。道路の向こうに橋脚が見えます。
杭のまとめです
平成29年12月20日 の神戸新聞朝刊(要旨)です。
旧モノレール駅舎「高尾ビル」 跡地を駐車場に利用 姫路市が暫定的に 観光バス用
姫路市は、解体工事を進めていた旧市営モノレールの駅舎ビル「高尾ビル」(同市高尾町)の跡地について、観光バスの駐
車場として暫定利用する方針を決めた。」ビルを支えていた鋼材のくいを抜く作業を断念したため、新たなビルやマンション
などの建設は難しいと判断した。
高尾ビルは昭和41年(1966)、モノレールの開業に合わせて日本住宅公団(現UR都市機構)が市有地に建設。10階
建の3,4階部分に中間駅「大将軍」があったが、開業から2年足らずで閉鎖された。モノレールも8年で運行を終えた。
その後も住宅や飲食店が入居していたが、老朽化で耐震性に問題があるとされ市とURは平成24年末に解体に合意した。
市は昨年から工事に着手。今年9月、ビルの基礎に使われたH鋼のくい199本の撤去作業に入った。しかし2本目で機械が
破損し、地中でくいが曲がる変形を確認。別の工法も試みたが、振動が周辺地域に及ぼす影響が大きく、断念したという。
これを受けて市は、新たなビルやマンション建設などへの転用は不可能と判断。市議会に、解体費用からくいの撤去費用約
1800万円を減額する議案を提出し、可決された。市管財課は「地面の掘り起こしが必要な高層ビルなどの開発は難しいが、
駐車場として活用しながら、跡地利用のあり方話検討したい」としている。
杭の写真を探してみました。平成29年9月21日
拡大してみました。 上の写真とは別の写真です。
新聞等の写真と同じ杭です。拡大の方法が分からないのでパソコンの画面を写していますので多少不鮮明です。
いまどきの鉄道サイトの作り方の記事に「このビルに使用されいた杭が200本見つかり、これが長年の耐用で老朽化した結
果、変形してしまって抜けない‥‥という事態が起きています。」これが姫路市から出た情報かどうかは分かりませんが、何人
かの建築の専門家に聞いてみたところ転石(地中に埋まっている大きめの石)か、可能性としては少ないが支持地盤にはならな
いが薄いが堅い層に当たって石を噛んだまま打ち続けて変形したもので長年の負荷で変形したような形ではないとの話で、又
金さえ掛ければ抜けないことはないとのお話でした。
原因が転石であれば他の杭は抜けるかも知れませんし、中止したことから考えるとH型鋼の宿命として転石で変形しやすいく
他も同様と判断したのかも知れません。一般的なコンクリート杭よりもH型鋼杭は工期が短いようで、何とか姫路博覧会に間に
合わせる必要がありました。
新聞では杭の引き抜き中止により工事契約を1800万円減額したとありますが、重機の搬入や地盤改良、舗装工事の増額等
の差引額だと思いますががH型鋼の引き抜きはずいぶん安い見積もりだったのですね。それでも‥‥
姫路市の開札結果情報によりますと (YOMIURI ONRLINによると敷地面積は約1800㎡)
(366,000,000ー18,000,000)÷1,800=193,333 193,333円/㎡ 637,999円/坪
一部ネットの情報では5億円近い
500,000,000÷1,800=277,777 277,777円/㎡ 916,666円/坪
となります。地価より高いのでは?これ以上お金をかけられない気持ちはよくわかります。
まさかH型鋼が杭だとは思っていなかったのですが、たまたま写していた杭の頭の写真です。高尾団地の場合、柱一本に4
本の杭を打ち頭の部分を鉄筋でつないで溶接しコンクリ-トを流し込んで巨大な土台としました。その土台を巨大な地中梁で
梯子形に繋ぎます、その撤去作業が、番外編 10 解体難攻?高尾団地・大将軍駅 いい仕事しています日本住宅公団(2017
.7.28)になります。そしてこの鉄筋の山とコンクリートの山となりました。
注目したいのが、モノレールの橋脚とまだ残っているコンクリートの壁です。なぜか基礎の撤去が終わっても残ってまし
た。(基礎の撤去はお盆なでに終わってましたが、工事の予定表では橋脚の撤去は8月21日~8月24日になっており、
この部分は地上部のみの撤去では?)私もそう度々見に行っていたわけではありませんのであくまで推測ですが、この撤去
工事が「売却を目的とした完全な撤去」ではなくて「次の建物の建設のための必要な部分の撤去」だったのでは?と思うこ
とです。建物が建たない周辺部に基礎が残っていても土地の価値に大きな影響はないかも知れませんが、撤去費用以下の価格
で販売することは、時節柄、あらぬ疑いを招きかねません。父の思いの残ったこの地を形ある物にして残したいのかも知れま
せん。姫路市の財政事情は分かりませんが何か使用目的があったのでは、と思う次第であります。
ビルは高尾ビル・駅は大将軍駅・団地は高尾団地
「高尾ビル」の名前は解体工事の看板で初めて知りました。上層階が公団住宅・下層階が土地所有者の店舗・事務所等の
「市街地住宅」の場合、公団の団地名と店舗・事務所のビルの名前が異なるのが一般的です。1・2階の商業施設(3・4階
の大将軍駅も含まれたかも)は姫路市によって高尾ビルと呼ばれていたのでしょう。住宅部分が姫路市に譲渡され姫路市が
解体しますので「高尾ビル解体工事」で間違いではありません。では駅名と団地名の由来です。
大将軍駅
平成18年3月のJRの高架完成まで大将軍駅付近から始まる「大将軍陸橋」と呼ばれる大きな陸橋がありました。では
なぜ大将軍陸橋かと言いますと。
(竣工写真に大将軍陸橋の痕跡があります。敷地の手前側、小公園に接する部分に歩道の盛り上がりの断面が見えます。
団地の南の道はここから大将軍陸橋に向け坂になっていました。)
新幹線の高架の手前にある大きな木が有るところが「大将軍神社」です。電車(本当は姫新線のジーゼル車です。)が走っ
ている高架がJR山陽本線と姫新線の高架で、高架になる以前は大将軍陸橋がありました。
大将軍神社
大将軍神社です。しかし神社名は見当たりません。十二所神社の旗が立っています。(お祭りの時に撮影しました)
現在は十二所神社の御旅所となっています。
電柱に例のお姫様の案内板がありましたが少々読みずらいです。
大将軍神社 十二所神社の元宮で現在のお旅所。陰陽思想の方位の大将軍を祀った地。 と書いてあります。
十二所神社
現在の十二所神社は陸橋の地図の上の端の中央部分にあります。戦災復興の区画整理により、少し場所は変わってますが
姫路城外堀の南西の角、白い区画で「十二所権現」書いてある所です。姫路の城下町の建設にあったって、南西の角つまり
「裏鬼門」の守りとしてこの地に遷座されました。外堀の角になりますので当然軍事的な役割もあります。そして元のお宮
には方位神の大将軍をお祀りしました。念には念を入れているのであります。(諸説あり)
御祭神 少彦名尊 医薬の神様 御利益 病気平癒
由 緒 延長6年(928)疫病が蔓延し里人が困っていたところ一夜にして12本の蓬が生え、そこへ少彦名
尊が現れ、この蓬で疫病を治癒すべしと神託あった。神託通りに病が癒えたので里人は感謝し少彦名尊
をお祀りした。
「十二所神社」と「お菊神社」の看板があります。社が見えているのがお菊神社になり、十二所神社はこの南に
並んで建っています。お菊神社の方が有名かも知れません。
全国に約五十ほどの皿屋敷伝説があるそうです。播州皿屋敷が本家的なもので芝居になったのも番町皿屋敷よりも早いそ
うです。落語の皿屋敷(オチは十八枚数えて、明日は休みです)は西国街道を1㎞余り西に行った車崎になっています。
お菊神社 由緒 一部不明の箇所があり適当に訳しました。大意としてお読みください。
祭神 三菊大明神 菊姫命
播州皿屋敷「お菊物語」の菊女は、姫路二代目城主(当時姫路城は二層)小寺則職の奥女中として仕え、主君則職若くして
病床に伏し、菊女病気平癒祈願のため、当十二所神社に参籠し、心願叶い則職全復す。
病気全快に事よせて、悪家老青山鉄山は町ノ坪弾四郎等一味と計り天正二年(1574年)増位山に観桜の宴を催し、則職
鳩毒を盛った酒を勧め、主家を横領せんとしたが、菊女の内通により衣笠靱負介等忠臣の知るところとなり、危く難をのがれ
則職は、家島に渡り再起を計る。
主家を横領した鉄山は、小寺家の家宝「赤絵の皿」十枚に珍味を盛り祝杯を上げた。皿の管理を命ぜられた菊女は、弾四郎の
奸計により皿一枚をかくされ、皿改めの場に引き出され、日夜はげしい折檻を受け古井戸に吊され、二一歳の妙令を一期に無残
な最后を遂げました。
菊女の霊は、主君則職を家島より導き、青山鉄山・町ノ坪弾四郎等、悪の一味を滅亡し本懐を遂げました。
小寺加賀守則職は菊女の忠節に感じ、神徳あつき十二所神社の境内に祠を建て、霊をまつりて、ねんごろに慰めたと云う。
御祭神は、水と皿にごえんがあり、御婦人・水商売・陶器の守護神として悩み事、願い事に御利益があります。
御祈念、月詣・日詣を勤め」、願意・願望叶えば皿一枚に御記名の上、奉納してください。
番町皿屋敷と話は異なります。修身の教科書に載るような立派な話です。「烈女 お菊」の碑があります。
高尾団地
正式には「高尾市街地住宅」だと思います。銘板は「高尾アパート」となっていました。
駅名が「大将軍」であれば団地名も「大将軍団地」でいいと思うのですが「高尾」です。これは公団の「原則として団地名
は地名を付ける」規定によるものです。原則ですのでニュータウンの開発事業や再開発事業では事業名や事業名の愛称が付い
た団地もあります。
高尾町の町名のいわれ
榊原家は池田(輝政)家から数えて八家目の姫路藩主となります。榊原政岑は三代藩主で分家からの養子で19歳で藩主と
なりました。当初は能く藩を治めたが正室をなくして落ち込んでいたところを、能楽師に誘われ吉原に行き入り浸るようにな
る。重臣の諫言も聞かず放蕩は続き寛保元年(1741)吉原で一番人気の高尾太夫を2500両で身請けし、3000両を
かけ盛大な落籍披露を行なった。他にも京都島原の遊女2人、有馬の遊女3人を身請けし側室とし贅沢三昧の日々を過ごし
たが、ついに幕府の咎めるところとなり政岑は蟄居処分、榊原家は越後高田藩に転封となった。失意のうちに政岑は2年後に
死亡、高尾太夫はよくその菩提を弔ったと云うことです。
高尾太夫は三浦屋に伝わる大名跡で五代目は落語「紺屋高尾」で有名な高尾太夫で、六代目高尾太夫になります。吉原は
元々は武士のための施設。町人に競り勝って吉原の太夫を身請けすれば大名の威信というもの、咎められることではないので
すが、次々に5人の遊女を身請けしたことが享保の改革の中、吉宗の怒りに触れたようです。
高尾太夫を住まわしたところが高尾町になった、と言われてますが側室を住まわせるのにはあまりに離れすぎており、実際
は今の好古園あたりと言われています。ずいぶん昔に聞いた話です。
珍名団地のお話です。
西宮市常磐町にある「常盤町」団地です。もう説明の必要はないと思いますが漢字を間違ってしまいました。
募集看板では「常磐町」になおってますが実は「常盤町」の間違いです。しかし現在は募集していないと思います。
補遺
番外編 9 解体進む高尾団地・姫路モノレール大将軍駅 船場本徳寺とその界隈(2017.6.9)
船場本徳寺に残る第1次世界大戦の戦争遺物として紹介したドイツ人捕虜が故郷を懐かしんで作った古城の模型です。
大きめの石を積んだ上に、石積の表面を活かしながら山に築かれたドイツの古城をモルタルで精緻に作っています。姫路
市史によると噴水だそうです。空堀の堀障子のようなものは、水が複雑に流れるための工夫のようです。小さな流れががた
くさん出来て、色々のところに小さな池があって想像するだけでも楽しい噴水です。是非、噴水を修理再現してほしいもの
です。
番外編 11 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡?杭引抜機撤退 船場蔵と大蔵前町(2017.9.29)
セイヒョウパーキング(日本製氷株式会社)が旧船場川跡地と書いてきましたが建物が無くなり旧船場川の形状がくっきり
分かるようになり、再度、昭和42年の住宅地図を見てみますと
左右の割合は分かりませんが、昔の町境の(赤い実線)を含む部分に旧船場川があったと思います。埋立が昭和33・34年
に行なわれましたので、空き地が多い部分が旧船場川跡かも知れません。
記録まとめ 団地の解体が終わりましたのでこれまでのまとめです。この後も何かありましたら書く予定です。
例によってこのブログにはクイック一つで見る機能はありませんが参考になることがあるかも知れませんご覧下さい。
番外編 1 高尾団地 取り壊し始まる。(2016.10.1)
○ 高尾団地(空家募集)団地の募集パンフレット
○ 日本住宅公団の「市街地住宅制度」の説明。昔は下駄履き住宅と言われていました。
○ 工事写真 平成28年9月21日。
番外編 2 高尾団地取り壊し進む と 姫路モノレール(2016.10.22)
○ 工事写真 平成28年10月19日
○ モノレール展示室
○ 市街地改造事業(船場地区)ここも下駄履き住宅です。
番外編 3 建設進む高尾団地 姫路モノレール建設急ピッチ(2016.12.10)
○ 工事写真 平成28年11月16日・12月5日
○ 「広報ひめじ」で見る姫路モノレール・高尾団地建設の記録。
番外編 4 姫路モノレールだけではなかった石見市長親子二代の執念(2017.2.2)
○ 工事写真 平成28年12月23日・平成29年1月26日
○ キャッスルガーデンは大手前通りオープンカット計画の再現?
番外編 5 高尾団地解体 姫路モノレール延伸計画と船場ビル群(前編)(2017.3.10)
○ 工事写真 平成29年2月16日・2月27日
○ 姫路モノレール延伸計画。
○ 船場ビル群(市街地改造事業)。
番外編 6 姫路モノレール延伸計画と船場ビル群(後編)ついでに復活計画(2017.3.17)
○ 計画路線の駅予定地を巡りました。
○ 姫路・書写兵庫県立大学間の復活計画です。
番外編 7 高尾団地・大将軍駅解体 姫路モノレール軌道撤去 (2017.3.31)
○ 工事写真 平成29年3月18日・3月24日
○ 姫路モノレール橋脚・軌道撤去工事も始まりました。
番外編 8 夢か幻か モノレールと姫路城と桜の競演(2017.4.28)
○ 工事写真 平成29年3月27日・4月3・4月12日・4月19日
○ 今でも乗れる姫路(動物園)モノレール。
番外編 9 解体進む高尾団地・姫路モノレール大将軍駅 船場本徳寺とその界隈(2017.6.9)
○ 工事写真 平成29年4月25日・5月7日・5月17日・5月30日
○ 船場本徳寺(船場御坊楽市)とその周辺
番外編 10 解体難攻?高尾団地・大将軍駅 いい仕事しています日本住宅公団(2017.7.28)
○ 工事写真 平成29年6月14日・6月24日・7月3日・7月11日
○ 消えた大蔵前町が意外な展開に。
番外編 11 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡?杭引抜機撤退 船場蔵と大蔵前町(2017.9.29)
○ 工事写真 平成29年7月26日・8月9日・8月23日・9月5日・9月9日・9月21日
○ 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡かも疑惑。
○ 基礎杭引き抜き中止。
番外編 12 高尾団地・姫路モノレール大将軍駅は旧船場川跡だった。(2017.11.24)
○ 工事写真 平成29年9月28日・10月7日(十二所神社の秋祭)・10月12日・10月24日・
11月1日・11月9日
○ 高尾団地・大将軍駅は旧船場川跡であった。
○ モノレール工事が原因?昭和40年9月15日水害。
番外編 14 高尾団地・大将軍駅跡地(遺跡)は今 再度挑戦 姫路城・モノレール・桜(2018.5.11)を追加しました。
番外編 15 高尾団地・姫路モノレール大将軍駅の今 またも「くい」が残った石見市長(2019.2.22)を追加しまし
た。
○ 旧船場川のおそらく正確な位置を書きました。
番外編 16 姫路モノレール 工事名称「旧モノレール橋脚解体撤去工事」着工(2019.12.20)を追加しました。
番外編 18 姫路モノレール 工事名称「旧モノレール橋脚解体撤去工事」完了(2020.4.10)を追加しました。
番外編 20 姫路モノレール「旧モノレール橋脚解体撤去工事」大将軍駅東(前編)(2020.12.18)を追加しました。
番外編 21 祝 姫路モノレール遺構群選奨土木遺産認定 橋脚解体撤去工事(後編)(2021.1.26)を追加しました。
番外編 24 旧モノレール橋桁撤去工事 姫路市延末地内(前編)(2022.1.14) を追加しました。
番外編 27 旧モノレール橋桁撤去工事 姫路市延末地内(後編)(2022.4.8) を追加しました。
番外編 29 旧モノレール橋桁・橋脚撤去工事 姫路市延末(令和4年度)その1(2022.11.25)を追加しました。
番外編 30 旧モノレール橋桁・橋脚撤去工事 姫路市延末(令和4年度)その2(2023.1.27)を追加しました。
番外編 31 旧モノレール橋桁・橋脚撤去工事 姫路市延末(令和4年度)その3(2023.3.31)を追加しました。
姫路市旧モノレール橋脚撤去工事 令和5年度(前編)令和6年1月26日に予定しています。
姫路市旧モノレール橋脚撤去工事 令和5年度(後編)を予定しています。
団地小説短編集を歩くは、
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