「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

夏の思い出(大昔のね)

2008-08-28 00:12:16 | 音楽(ジャズ)
このところ涼しい夜も見られ夏の終わりを告げる「つくつくほうし」の鳴き声も聞かれます。

夏と言えばもう何年も前の話ですが現在はすでに閉園してしまった「宝塚ファミリーランド」で夏に「ジャズフェスティバル」が開催されていました。

1980年代にアコースティック・ジャズのブームがあったのですが、ジャズ、フュージョン系のバンドもプロ・アマ両方で活発な活動をしていました。オーディオ関係を始めとした多くの企業のCMでも「ナベサダ」さんを筆頭に「渡辺香津美」さんや「日野皓正」さんなどが役者やモデルのような雰囲気で出演され、「東京ユニオン」などのビッグ・バンドのコンサートはTVでオンエアされ会場も満員で、高校生が普通にフュージョンを口ずさんでいる。など現在(2008年)から見ると日本の音楽シーンの構成がかなり今とは違っていたと思います。

そんな中で関東を拠点に事業をされている「山野楽器」が今も続く歴史のある「山野ビッグバンドコンテスト」を開催され、毎年、全国の学生ビッグバンドが集合して覇を競っていたのでした。でそれに対抗しようとしたわけでも無いのでしょうが先に述べたとおり「宝塚ファミリーランド」で、その名も「宝塚ジャズフェスティバル 学生ビッグバンドコンテスト」が開催されたのです。
私はとある事情で第四回と第五回のフェスティバルを聴く機会がありました。因みに第六回は資金難だかで無かったために開催されなかったような記憶が・・・このあたり曖昧ですがどなたかご存知でしたら教えていただきたいです。

で個人的には第五回が非常に印象が強いのですがその理由はこの回の優勝バンドの賞品として、当時、人気のあったトランペッター(実際はコルネット吹きですが)の「日野皓正」さんとの共演が用意されてたんです。でしかも上位3位の演奏はFMラジオでオンエアもされるという特典もありました。

優勝は同志社大学の「ザ・サード・ハード・オーケストラ」でした。ついでにベスト・ドラマーとベスト・ピアニストとベスト・ギタリストも同志社の方だったように記憶しています。正直「他にいねぇんだよな」と言った雰囲気はありましたけど。
ちなみに京都産業大学はどこから連れて来たのかヴァイブを弾くお姉さんが参加されていて、確かベイシーの「リル・ダーリン」で何か涼しくなるオブリを弾きまくり「審査員特別賞」だかをもらっていたような。「あ!ずるい」と思ったけど・・・。
あと関西大学が演奏した「夜は千の目を持つ」はサンバ・アレンジでかっこよかったです。テナーのソロを吹きまくっていた方は賞を取られ、その後も時々ライブハウスのセッションなどに参加されておられ「あの人、ヨルセンのソロやった人だよ・・・。」と学生たちの間でささやき声がしていました。
確かプロになられたはずです(ネットで調べると恐らくわかると思います)。
関西大学のピアニストはバッキングがかっこよかったので「おお」と思って聴いていましたが、ソロになったら正直リズムが弱くて・・・。審査員の評価でもそんなことを言われていたように記憶してます。多分、バックをきちっとキメることに重点を置いた方だったんでしょうね。

優勝した同志社大学は今はどうか存じませんが例によってフュージョンを演奏しました。ウェザー・リポートの「サイト・シーイング」をOBの方がビッグバンド・アレンジしたもので、前面にドラム・ソロを打ち出したアレンジでした。他にジェフ・ベックの「ワイアード」に収録されていた「レッド・ブーツ」のアレンジ版も演奏(されたと思いますがひょっとしたら別のステージでだったかも・・・)されました。これもドラムスが叩きまくる曲(元曲もナラダ・マイケル・ウォルデンが叩きまくるので)でした。担当されたドラマさんは左利きでしたので同志社の番がくるとドラム・セットの配置替えで20分くらい間が空くという少し迷惑なことになっていました(笑。
前述のとおり優勝した同志社大学と「日野皓正」さんとの共演は、早い話が「サイト・シーイング」の途中のピアノ・ソロの部分を「日野皓正」さんのソロにしただけなんですが、もし本格的なベイシーとかの古いスィングだったら「日野皓正」さんはどうしてたんだろう?やっぱりあのモード・バリバリと言うかハイノートでトリル鳴らすのしか印象の無いソロでもってったんだろうか?考えると笑ったものです。

このころから老舗のキャバレーがつぶれたりして、活動の場が減ったプロのビッグ・バンドは今はあまり元気がありませんが、学生や社会人の趣味としてのビッグ・バンドは今やクラシックのオケに肩を並べるぐらいの音楽的地位にあると思います。