耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

映画・『蟻の兵隊』~戦後3年、友は「天皇陛下万歳!」と叫び…

2008-10-18 10:57:27 | Weblog
 友人が貸してくれたDVD『蟻の兵隊』を遅まきながら観た。およその内容はニュースで承知していたが、“奥村和一”さんの鬼気迫る行動に圧倒されるとともに、「国家とは何か」を改めて考えさせられた。昨年5月2日の記事(『“731部隊”~闇の扉は開くか?』http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070502)でも書いたが、戦争の現場責任者たちが部下や国民を置き去りにして自己保身に走り、罪を払って厚顔にも戦後を生き延びた例は少なくない。その典型は(天皇を除外すれば)元首相の岸信介だろう。“731部隊”を取り仕切った連中が進駐軍司令部の支援を得て、のちに薬害を頻発させる「ミドリ十字」を創設したこと、“日本軍山西省残留”を画策した司令官がのうのうと国会で偽証し悠々と生き延びたことなどは、戦後史の恥部として通底するものがある。


 さて、『蟻の兵隊』だが、まずは「同ホームページ」から「あらすじ」を転載させていただく。

 <今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を奥村和一(おくむらわいち)(80)に突き付ける。
 かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売国行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じこめてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。

◆【日本軍山西省残留問題】
 終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流、戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。>


 戦後3年もたった戦闘で、「天皇陛下万歳!」と叫んで死んだ日本兵がいたと聞いて驚かない人はいないだろう。2600人もの兵士が、戦争終結を知りながら「自己」の意志で残留し、中国国民軍に加わって革命共産軍と戦うだろうか。上官の命令で残留した“奥村和一”は、戦闘の4年と、戦犯抑留の5年を中国で過ごして帰国、自分が「逃亡兵」とされていることを知る。2001年、13人の元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて東京地裁に提訴。

 “奥村和一”は、戦後の戦いの地である中国山西省へ。そこの公文書館で衝撃の事実を突き止める。残留部隊の総隊長が書いた命令書には「総隊ハ皇国ヲ復興シ天業ヲ恢弘スルヲ本義トス」とあった。つまり残留部隊は「皇国日本を復興し天皇の事業を大いに広めることを根本任務とする」というのだ。先の「あらすじ」に軍閥と密約を交わしたとあるのは、中国・蒋介石軍の配下・閻錫山(えんしゃくざん)と日本軍・澄田司令官との間で結ばれた“密約”だが、澄田司令官等上級幹部は、閻錫山の「通行証」を手に入れ、部隊を残したまま動乱の中国を逃れて帰国している。残留部隊の総隊長(今村某)は、裏切られたとも知らず上官の命令を忠実に守って部隊を指揮したわけだ。国は「自らの意志で中国国民党軍に加わり残留した」と主張するが、命令書で明らかなとおり、「中国内戦を戦うためではなく、“皇国日本を復活する”ために上官の命令で残留した」と“奥村和一”ら兵たちは訴える。

 「俺たちは“逃亡兵”ではない!」

 だが、最高裁は審理を開かないまま『蟻の兵隊』の上告を却下した。


 中国東北地方(旧満州)でもこれに類似する事例がある。友人の“H”が中国解放軍の戦車部隊に属し、1949年10月1日、中華人民共和国誕生を天安門前で祝ったことは前に書いた。“H”は敗戦後、“満州開拓団員”40数名の集団でソ連侵攻から逃れる途中に匪賊に襲われ、両親と姉を含めほぼ全滅、彼と弟の二人が奇跡的に生き残った。中国人に拾われ製粉工場で働いていたら、粉を買いに来た日本人に誘われ戦車部隊に入る。13歳だった。のちに弟も部隊に引き取り兄弟で生きていく。

 この戦車部隊には10数名の日本人がいたが、彼らは戦車や自動車の運転・整備に詳しい者たちで、中国解放軍から技術養成訓練の要請を受け「自主的に」残留した。また、瀋陽(旧奉天)にいた航空隊300人余も、「満州」引き上げ途上で中国・“林彪”軍に足止めされ、戦車隊同様の要請があって200人余が残留を決意、解放軍兵士の訓練・指導に当っている。これら戦車隊・航空隊の残留兵はあきらかに「自らの意志」で残留したのだが、公文書に残る記録で明らかなように、北支派遣軍第1軍の“奥村和一”らは「軍命」で残留させられたのだ。国はそれを頑として認めようとしなかった。


 映画『蟻の兵隊』は、「逃亡兵」の汚名をそそぐだけでなく、中国人虐殺、暴行・掠奪・強姦の事実を現地人の証言をまじえ誠実に描写し、観る者の胸を熱くする。通訳の“H”は、「中国人強制連行裁判」の控訴審のため今日、週明けの判決は「難しい」と言いつつ福岡に向かった。いつになったら、“社会正義”が人民の頭(こうべ)を照らすのだろうか。

 『蟻の兵隊』:http://www.arinoheitai.com/