耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

今日は二十四節気の“寒露”~「重陽(菊)の節句」も過ぎて…

2008-10-08 08:53:50 | Weblog
 今日は二十四節気の“寒露”。旧暦9月の節気で『暦便覧』に「陰寒の気に合って露結び凝らんとすれば也」とあり、太陽は「釣瓶(つるべ)落とし」で早く沈むようになり、日当たりもすっかりやわらぎ半袖、半ズボン姿を見かけなくなる。時は晩秋、半月後が“霜降”で早や初霜が降りる時期を迎える。

 “寒露”の期間の七十二候は次のとおり。

・初候=第49候(8~12日)
    鴻雁来(こうがんきたる);雁が飛来し始める(日本)
    鴻雁来賓(こうがんらいひんす):雁が多数飛来し客人となる(中国)
・次候=第50候(13~17日)
    菊花開(きくのはなひらく):菊の花が咲く(日本)
    雀入大水為蛤(すずめたいすいにいりはまぐりとなる):雀が海に入って蛤になる(中国)
・末候=第51候(18~22日)
    蟋蟀在戸(こおろぎとにあり):蟋蟀が戸の辺りで鳴く(日本)
    菊有黄華(きくにこうかあり):菊の花が咲き出す(中国)

 旧9月(戌月で和名「長月」)の“易”卦は「山地剥(さんちはく)」(一覧の23を参照:http://hwpbc.gate01.com/lyra/fushigi/64ke.htm)で、陰の勢いが増し、一陽がやっと残っている象である。「山地剥」の9月が10月になるとすべての陽が消えて「純陰(坤為地)」となり陰が極まるが、11月(地来復)の「冬至」(新暦では12月22,3日頃)をもって一陽が芽生え「一陽来復」へと廻っていく。こうみてみると、季節はやはり旧暦が馴染む。(“易”64卦は次を参照)

 「六十四卦」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A6


 昨日は旧暦9月9日で“重陽の節句”だった。「九」は一から九までの数の極数で尊いとされ、しかも奇数は「陽」、したがって月と日に九が重なる9月9日を「重陽」あるいは「重九」といい、中国では古くから節日として祝った。日本では「淳和天皇天長元年(824年)9月9日者、所謂重陽也」(『日本記略』)とあり、これが初出といわれている。(参照:吉野裕子著『陰陽五行と日本の民俗』/人文書院)

 9月9日は別名「菊の節句」ともいい、宮中では群臣に“菊酒”をふるまい祝ったらしい。春は桜、秋は“菊”である。“菊”は祝儀、不祝儀どちらにも使われてきた。

  有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中    漱石

 中国では50万年の太古に菊の原種の化石が発見されていて、周以前の古書に“菊”という文字が記されているという。唐時代には観賞用の品種を栽培、「隠君子」とか「重陽花」と呼んで不老長寿の霊花とされ、わが国の能にある『菊慈童』はこの中国の長寿伝説を脚色したものという。

 “菊”は観賞用としてより薬用として重宝されていたようで、古代中国では花・葉など百日間陰干しし粉末にして松脂で固めた錠剤を不老長寿薬としていた。“菊”の花を霜の降りる前に採取して陰干しにしたものを「菊花(きくか)」という。これを使った方剤に「菊花茶調散」があり、「菊花」は煎じて風邪の発熱や目まい、耳鳴りなどの治療に用いた。

 薬用としての“菊”は殺虫剤の「除虫菊」でも有名で、昔、オルグでしょっちゅう出かけていた尾道から瀬戸田方面に渡る船から、島で栽培される「除虫菊」畑をよく見かけたものだ。人畜無害の殺虫剤として蚊取り線香などでいまも使われている。また食用では「春菊」や「阿房宮」などがある。「阿房宮」は“干して香り高い食用菊”として青森県八戸市あたりが「食用干菊」の名で販売している。さらに、重陽の日に花を摘み、陰干しにして枕につめたものを「菊枕」といい、ほのかな香りで頭痛や目の疲れに効くという。(参照:鈴木昶著『薬草歳時記』/青蛙房)

 
 “易”卦「山地剥」と9月9日の関わりについて吉野裕子氏は、「9月9日に酒を携え、丘や山に登って馳走を食べることが多くの地方で行われた」ことを指摘、長崎県五島地方ではこの日、子どもたちが山へ登ってウベ(アケビの一種)をとってくる習俗があり、和歌山県でも子どもたちが山へ登って栗を拾い、栗飯を神前に供え栗節句といったことを紹介し、さらに次のように述べている。

 <9月9日の行事の由来は、中国の仙術にあるとされている。もちろんそれに違いないが、この仙術の背後にあるものは、九月の易の卦、「山地剥」ではなかろうか。
 剥の卦には、九月、山、果実、生命、長寿の象がある。9月9日、茱萸(ぐみ)をもって山に登る、あるいは山中に入って栗をとり、また菊酒を酌んで長寿を願うのは、この卦の象の実践ではなかろうか。
 九月の卦において山上の果実にたとえられた一陽は、全陰の十月には表面から姿を消すが、十一月には一陽来復の象となって甦る。9月9日の登高、採果、果実の袋の携行は卦の象そのものの実践であり、菊酒の宴は卦のうちに潜む一陽の甦りへの動きを助ける呪術として受け取れる。>

 こうしてみると、中国古代思想に由来するさまざまな習俗が、根強く身辺にまとわりついていることに驚かされる。