夢と希望と笑いと涙の英語塾

INDECという名の東京高田馬場にある英語塾で繰り広げられる笑いと涙の物語
新入会員募集中!

保阪正康 『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』 (新潮新書125)

2005年07月18日 15時00分52秒 | 推薦図書
INDECでは、火曜の夜に実施しているオープン・セミナーを利用して、4週にわたり小林正樹監督の『東京裁判』というドキュメンタリー映画を教材に、あの極東国際軍事裁判の本質を見つめ直す作業をしました。

その際に痛感させられたのは、「戦争犯罪」と「戦争責任」の違いをきっちりとしなければならないという、ごくごく基本的なことでした。

戦後作り上げた事後法によって戦勝国から一方的に押し付けられた判決を基に、日本の軍人・政治家たちに戦争犯罪人などというレッテルを貼ってしまった愚かしさ。同時に、310万人以上の日本人を死に至らしめ、国民に塗炭の苦しみを味合わせた戦争遂行者たちの責任を冷静に見つめる必要性。この二つを区別する作業をわれわれ日本人はきちんとやってこなかったのではないかという気がします。

昨今の小泉首相の靖国参拝問題にしても、中国・韓国からの批判に配慮して参拝中止を要求する勢力が現にあるように、他国からの干渉に異常なほど過敏に反応するのが日本人です。なぜ他国の人々の発言でしか動けない国民に日本人はなってしまったのだと訝るも当然のことです。

すべては、国際法から見ればどう好意的に解釈しても茶番にしか見えない戦勝国による戦争犯罪裁判によって、戦争責任を追及した気になってしまって自分たちで追及しなかったPTSDだとしか理解できません。この意味においてわれわれ日本人はあの大東亜戦争の本当の敗戦責任を問うてこなかったのかもしれないのです。

そして60年が経ち、日本では中学・高校の社会・日本史の授業においてほとんど昭和の時代を習わない珍妙なカリキュラムが出来上がり、自国の現代史をほとんど知らない若者が闊歩する時代となってしまいました。中国や韓国がこの時代のことしか教えないような状況と比べると、異常事態そのものであります。

となれば、遅きに失しようが、日本人にとってあの戦争は何だったのか、右でも左でも前でも後でもなく、粛々と見直す必要があるのではないでしょうか。

ところが、なかなかそのようなものを学べる手頃な本がこれまでありませんでした。どうしても著者の皆さんは自分の思想背景から大東亜戦争を語ろうとしてしまうからです。それも理解できないことはない当然の行動ではありますが。

そこでゴウ先生は、山川出版の高校用日本史教科書『詳説日本史』を頻繁に利用してきました。中立的な情報が欲しいからです。ところが、縄文時代からバブル崩壊までをカバーする日本史教科書には該当箇所の質量ともに限界があるのは当然のことです。

しかし、そういう不満がやっと解消されることになる本が今週出版されました。

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書

新潮社

このアイテムの詳細を見る


ゴウ先生は、保阪さんの本が好きでよく読みます。昭和という時代にこだわって、大東亜戦争のみならず、戦前・戦後の諸問題を独特の視点で再構築してくれます。時にケレン味のある解釈は、賛否両論ありうると思われますが、ゴウ先生にはなるほどと肯かせる意見が多いものです。

その著者が、淡々とあの戦争を見直そうとする作業に向かいます。確かに、紙数の関係から、マニアの方には物足らなさを感じさせる内容だとは思います。しかし、大東亜戦争(著者は「太平洋戦争」の呼称を用いますが)の概略を知りたい人には幸便な本となるはずです。

著者は、第一章にて旧日本軍のメカニズムを解明し、旧憲法下において軍令と軍政が分かれていることがどのように大東亜戦争に影響を与えたかを示唆します。

その上で大東亜戦争の始まりを二・二六事件に求め、それ以降軍部に対して天皇を初めとした文官のシビリアン・コントロールが利かない状態になり、後年の軍部の暴走につながったと主張します。妥当な判断だと思います。

しかしそこから保阪節が鳴り響きます。通常その軍部の暴走は陸軍の暴走だと言われています。事実、東京裁判でA項戦犯で絞首刑にあった中に海軍関係者は一人もいません。(ゆえに、ゴウ先生、共同謀議があったとする戦勝国側の主張は根本的におかしかろうと思うのであります。)しかし、著者は、実際に開国の責任は、海軍にあるといい(第二章)、山本五十六に対しても連合艦隊司令官たる行動を取っていなかったと批判します(第三章)。

言われればもっともな話です。真珠湾攻撃を始め、開戦の主導権を握っていたのは海軍です。開戦に反対する勢力が海軍内に圧倒的であるならば、あのような戦果を収めることはできなかったことでしょう。山本提督に関しても、本来連合艦隊司令官であるならば呉の本部にどっかりと腰を下ろして作戦立案に命を懸けるべきでした。前線に司令官がいるなど聞いたことがありません。死に場所を求めていたという解釈にも肯けます。

そして、東条英機首相の戦争に対する見識のなさへの批判が痛烈です。国会での質疑応答のお粗末さを紹介することで(p. 148)、東条を初めとした軍部上層部の戦争責任をしっかりと訴えています。大本営作戦部のお粗末さに対しても然りです。負けた責任は、軍政・軍令のどちらにもあるというわけです。

あれほどの未曽有の惨劇を産み出すためには、特定の一人だけでなく、相当数の人間の愚かな行動が重なることが必要となります。その必然性を、本書は、東条首相に代表される独走する軍部のみならず、それを支えた大衆のマス・ヒステリー現象も描くことで読者を納得させようとしているのです。

こうした戦史を概観することにより、われわれは冷静に戦争責任の所在を認識することが可能になるはずです。もちろん、それぞれの人がどこにそれがあるかを考えるべきものであって、国家として統一したコンセンサスは作り上げることは不可能でしょうし、その必要もありません。それよりも、各自が歴史をしっかりと再構築し、その歴史を受け入れ、未来につなげていく作業が必要なのだと思います。

そして、こうした過程においては、他国による干渉を断固として排除しなければなりません。日本の行く末や子孫のことを考えて亡くなった先人の犠牲に報いるには、国民一人一人がが自分の力で考えることこそが必要なのです。

ゴウ先生ランキング: B+

大東亜戦争の概略を知るには最適の本ですが、やはり物足りなさがあります。紙幅の関係だとは思いますが、たとえば、南京事件と呼ばれるものなどの満州事変以降の話などがほとんど無視されています(悲しいことに、巻末の年表には「南京大虐殺」と記してあります)。こうしたものはニ・ニ六事件後に起きたものです。取り扱わないなら取り扱わないで何らかのコメントが欲しかったところです。

とはいえ、大東亜戦史に疎い皆さんには全体を俯瞰する最高のガイドブックになることは間違いありません。終戦記念日は、8月15日ではなくて、東京湾のミズーリ艦上の降伏文書調印式が行われた9月2日である、とクールに説く(第五章)姿勢こそいまの日本人に欲しい視点であることは間違いありません。

暑い夏の一日、このような本で60数年前を思い返してみてください。それがあの時犠牲になられた方々への礼儀だと思います。お勧めします。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 核兵器現実使用からも60年 | トップ | 『スター・ウォーズ エピソ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (super_x)
2005-07-19 11:58:58
米下院の議題を和訳してみました。

韓国メディアが、胡散臭かったので…

英語塾とタイトルにあられるので…

たぶん英語に、強い方だと思うのですが、どうでしょうか?
返信する
注文します (M)
2005-08-05 00:48:29
暑い夏ですが、クールに過去を見つめなおすために本を注文します。
返信する

コメントを投稿

推薦図書」カテゴリの最新記事