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競歩・荒井選手の銅メダルは、日本陸連の的確な上訴のおかげであった

2016年08月20日 07時23分05秒 | 時事放談: 海外編

この銅メダルは、日本陸連担当者にあげたいメダルでもあります。

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荒井、二転三転の末銅メダル「予想外の展開だが、メダルが確定してよかった」

荒井、二転三転の末銅メダル「予想外の展開だが、メダルが確定してよかった」

銅メダル確定の知らせに飛び上がって喜ぶ荒井

(スポニチアネックス)

 ◇リオデジャネイロ五輪陸上競技(2016年8月19日 ポンタル)

 リオデジャネイロ五輪陸上の男子50キロ競歩で荒井広宙(28=自衛隊)が3時間41分24秒で銅メダルを獲得した。3着でゴールしながら一度は他選手を妨害したとして失格に。しかし、日本陸連が国際陸連に抗議した結果、失格の判定が覆り、日本競歩初のメダル獲得となった

 荒井は女子20キロに出場する岡田の応援中に日本陸連幹部から“吉報”を伝えられ両手を突き上げて喜んだ。「予想外の展開だが、メダルが確定してよかった。どちらでも受け入れられる準備はしていた」とコメントした。

 午後3時14分に日本陸連の担当者のもとに国際陸連から「荒井選手に非はなかった」とメールが届き、麻場一徳監督に上訴が通ったことが伝えられた。

 レース終盤、残り2キロを切って荒井は一度追い抜かれた後、エバン・ダンフィー(カナダ)を抜き返す際に接触。よろめいた隙に差を広げて3着でゴールした。ゴール後に4位となったダンフィー側が抗議し、1時間以上協議の末に失格の裁定が下された。

 それに対し、日本側は「不可抗力の接触。カナダ選手の肘が先に当たっている」として荒井が失格とされたことを不服として再抗議。国際陸連の理事5人が協議して判断するとしていた。

◆荒井 広宙(あらい・ひろおき)1988年(昭63)5月18日、長野県出身の27歳。中野実2年で競歩を始め、福井工大、石川陸協、北陸亀の井ホテルを経て自衛隊。50キロ競歩で世界選手権に3度出場し、11年10位、13年11位、15年4位。3時間40分20秒の自己ベストは日本歴代3位。名前には父・康行さんの「スケールの大きい人間になってほしい」という思いが込められている。1メートル80、62キロ。
 

日本の素早い対応奏功=レース直後に映像分析―競歩の失格問題〔五輪・陸上〕

 荒井広宙(自衛隊)の銅メダルをめぐり混乱したのは、レース中の体の接触が原因だった。

 48キロ付近でエバン・ダンフィー(カナダ)に一度抜かれた荒井が抜き返した際、両者が接触。その前からやや歩きが不安定だったダンフィーは足がもつれて失速し、荒井が差を広げ3位でゴールした。

 カナダは進路妨害だとして抗議し、審判長が受け入れて一度は荒井を失格とした。日本陸連は直ちに日本から取り寄せた映像を分析。ダンフィーの肘が先に当たった事実を確認するとともに、その接触と相手の失速に因果関係はないと判断した。

 この分析結果を根拠に、日本陸連は国際陸連理事5人で構成する上訴審判(ジュリー)に英文の上訴申立書を提出して裁定の取り消しを求めた。上訴審判は協議の結果、日本の訴えを認めた。

 国際陸連は競技規則の中で「抗議と上訴」について定めており、今回は日本陸連が手続き通りに素早く対応したのが奏功した。麻場一徳強化委員長は「どう見ても不可抗力の接触であり、失格には納得がいかなかった」と語った。 

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荒井選手ががんばった結果を、的確にフォローした日本陸連の現場の人たち、大喝采です。

国際的なもめ事では対応の仕方がすべて。その点、今回は完璧でした。ビデオの検証・英文上訴申立書の作成提出と完璧な動きを日本陸連がしたために、荒井選手のがんばりを無にすることがなかったのです。

日本人というのはこういう交渉事が下手だという印象があったのですが、今回ばかりは別。麻場強化委員長のリーダーシップを高く評価します。

荒井選手も立派なら、日本陸連関係者も立派。胸を張って、日本に帰ってきてください。


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