すばらしい。「零戦」の復活を見るようです。
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MRJが初飛行=半世紀ぶり国産旅客機―開発着手から7年・三菱重工
国産初の小型ジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」を開発中の三菱重工業と子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)は11日午前9時半すぎ、同町の県営名古屋空港でMRJの初飛行を成功させた。【時事通信社】
(時事通信)
国産初の小型ジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」を開発中の三菱重工業と子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)は11日午前、同町の県営名古屋空港でMRJの初飛行を成功させた。2008年の開発着手から7年を経て、MRJは実用化への大きなステップを踏み出した。
MRJは午前9時30分すぎに滑走路を離陸し、太平洋方面に南下した。遠州灘沖の自衛隊訓練空域で飛行試験を実施した後、午前11時すぎに同空港に戻り、無事着陸した。飛行時間は当初予定より30分長い約1時間半だった。
MRJは、1960年代に開発されたプロペラ機の「YS11」以来、約50年ぶりの国産旅客機。17年4〜6月に全日本空輸への初号機納入を目指しており、日本の航空機産業の発展にもつながると期待されている。
初飛行は、当初計画では11年に実施する予定だった。しかし、主翼の素材変更や開発手順の見直しなどで計5回延期された。直近では10月26〜30日に初飛行を予定していたが、操舵(そうだ)ペダルの不具合が見つかり、約2週間先延ばしされた。初号機納入までのスケジュールは一段とタイトになっており、飛行試験をいかに加速するかが課題となる。
今後は日本と米国で計2500時間の飛行試験を繰り返し、安全性を確認した上で商業飛行の前提となる国の「型式証明」を取得する。三菱航空機は、現在407機のMRJ受注数を向こう20年で約2500機まで増やす目標を掲げている。
三菱航空機(愛知県豊山町)が開発する国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が11日、愛知県営名古屋空港(同)で離着陸し、初飛行に成功した。国産旅客機の初飛行は戦後初のプロペラ旅客機「YS−11」以来、53年ぶり。初号機は2017年にANAホールディングスに引き渡される予定だ。
MRJは午前9時35分ごろ、滑走路を走行し、ごう音とともに初めて空へ飛び立った。機体が空中に浮いた瞬間、初飛行を見守っていた約170人の航空関係者から拍手がわき起こった。太平洋側の上空を約1時間半飛行。静岡県沖から伊勢湾へ向かい、上昇や下降、左右への旋回などの操作を確認した。
三菱航空機と、親会社で量産を行う三菱重工業は今後、国内で飛行試験を続けた後、16年4〜6月に米モーゼスレイク市(ワシントン州)でも試験を行う。
MRJは半世紀ぶりの国産旅客機プロジェクトとして平成20年に事業化がスタートしたが、開発は難航を極め、計画は5度延びた。これまでにANAや日本航空、米スカイウエストなどから400機強を受注。当初計画よりも4年以上遅れたが、初飛行に成功したことで、受注に弾みがつきそうだ。
機体は全長約35メートルで座席数は約70〜90席。最新鋭のエンジンを搭載し、従来の小型旅客機よりも燃費性能が優れている。客席の快適性も大きな特徴だ。
国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が11日午前、初飛行を果たした。開発を担う三菱航空機が、愛知県営名古屋空港(同県豊山町)で最初の飛行試験に成功した。国産旅客機の開発は、1962年に初飛行したプロペラ機YS11以来、半世紀ぶり。欧米の下請けに専念してきた日本の航空産業にとって節目となる。
飛行試験は、自衛隊機など3機を伴って1時間半。名古屋空港と遠州灘上の自衛隊の訓練空域を往復し、上昇や下降、左右への旋回といった基本的な性能を確認した。三菱航空機の親会社、三菱重工業の大宮英明会長は「初日としては大成功」と話した。
2008年の開発本格化から7年半でたどり着いた初飛行は、設計変更や部品調達の遅れなどで当初予定から4年以上遅れた。今後の飛行試験は主に米国で重ね、課題の洗い出しと改善を進める。航空会社への納入は17年春に始める計画だ。
燃費のよさと客室の快適さが特徴で、現時点の受注は全日本空輸を含む日米など6社から合計で約400機。その6倍にあたる2500機をめざす。
この日飛んだMRJは約90席の機種で、別に約70席のタイプもつくる計画だ。「リージョナルジェット」と呼ばれる小型ジェット旅客機の需要は、今後20年間に世界で約5千機にのぼると見込んでおり、その半分を占める目標だ。
MRJの開発には、日本の航空産業を自動車産業などと並ぶものづくりの柱の一つにしたい、という官民の狙いがある。
現在、3千億円近くにのぼる開発費用は、一部を政府が負担。開発主体の三菱航空機には、三菱重工業だけでなく、トヨタ自動車や政府系の日本政策投資銀行も出資している。
国産旅客機の開発はプロペラ機のYS11以来。政府が旗を振り、三菱重工などが関わったYS11は売れ行きが悪く、初飛行からわずか11年後の1973年に生産終了に追い込まれた。日本の航空産業は、米ボーイングへの部品供給や自衛隊機の生産に特化してきた。(井上亮、鈴木毅)
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〈MRJ〉 ミツビシ・リージョナル・ジェット。三菱重工業とその子会社、三菱航空機がてがける小型ジェット旅客機。経済産業省が事業者を公募し、これに応じた三菱重工が2008年から開発を本格化させた。座席数は約70席と約90席の機種がある。
この日飛んだ約90席のタイプは、カタログ価格が4730万ドル(約58億円)、巡航速度マッハ0・78、航続距離は最長タイプで3770キロ。全長は35・8メートルでジャンボの約半分だ。
「リージョナルジェット」は地方空港と拠点空港などを結ぶことを想定した座席数100席以下の小型ジェット旅客機だ。この分野では、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが世界2強。
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