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歳を取らないと分からないことが人生には沢山あります。若い方にも知っていただきたいことを書いています。

トミー・ジョン手術

2019-10-31 06:31:27 | 日記

トミー・ジョン手術(TJ手術)は1974年フランク・ジョーブが考案した靱帯断裂に対する修復術式で、この手術を最初に受けたトミー・ジョン投手にちなんでTJ手術と呼ばれています。

 

患部に移植した腱が靱帯として定着するには時間がかかり、投球を再開するのに7か月、故障前と同じレベルの球を投げるには18か月を要するとされますが、アメリカでは2015年3月までに900人以上のプロ野球選手がこの手術を受け、1986年2012年に手術を受けたMLBの投手の83%がメジャーに、マイナーも含めると97%が実戦に復帰しています。

TJ手術で復帰した有名な日本人投手には村田兆治、桑田真澄、松坂大輔、ダルビッシュ有、最近ではMLBエンゼルスの大谷翔平がいます。村田は1983年に手術を受け1985年に17勝5敗でカムバック賞を受賞、その後42勝して215勝を挙げ野球殿堂入りしました。桑田は復帰した1997年に10勝、その後も54勝を挙げ、1998年には最高勝率.762、2002年には最優秀防御率2.22を記録しています。

アメリカスポーツ医学研究所では常に全力で速い球を投げることが肘の故障のリスクを高めるとし、アメリカ整形外科学会では9歳~14歳の投手481人の10年後の調査を行い、年間100イニング以上投げた投手が肘や肩の手術を受けるか野球を断念する率は3.5倍でした。

163kmを計測した令和の怪物大船渡高校の佐々木朗希投手は、2019年7月25日の夏の甲子園岩手県大会決勝で登板を回避し、チームは甲子園出場を逃して賛否両論の議論を呼びました。

 

佐々木は決勝前日の24日の一関工との準決勝で150kmを超える速球を連投、15奪三振、2安打完封の見事な勝利を挙げていて、決勝の25日はその佐々木を見ようと岩手県営野球場は大盛況でしたが、国保監督は佐々木を連投させませんでした。

大船渡は2-12で敗れ、佐々木は甲子園に勇姿を現わすことなく高校最後の夏を終えました。国保監督はあくまで選手第一で考える指導者で、佐々木を使わなかった理由を「故障を防ぐためで、球数、登板間隔、気温です」と述べ、監督が登板回避を伝えると佐々木本人は笑顔で「分かりました」と答えたそうです。

佐々木の連投回避は決勝戦が初めてではありません。佐々木は21日の4回戦の盛岡四戦に4番投手で出場し、八回2死でこの日最速の160kmを計測しました。九回に159kmを中前に運ばれてこの大会初の失点で同点とされ、延長十二回自らの2ランで試合を決めましたが194球を投げています。

翌22日の準々決勝久慈戦で国保監督は、佐々木を完全に休ませる決断をしました。負けたらなぜ投げさせなかったと批判を受けるのは承知の上で、佐々木のコンディションとその将来性を優先したのです。久慈戦は延長戦に突入する大熱戦となりましたが、大和田健人、和田吟太の継投で大船渡は十一回に2点を奪い準決勝進出を決めました。

中2日で24日の準決勝に臨んだ佐々木は一関工に5-0で完封勝利しましたが、あるスカウトは「準決勝の佐々木は投球練習中から明らかに体が重そうで、甲子園に行ってほしい半面、投げ過ぎが先々に影響しないか心配だった」と語っています。中2日と云っても194球は2試合分の投球数ですし、スカウトの眼に体が重そうに見えたのは当然でしょう。

岩手県大会のスタンドは連日超満員でした。盛岡四戦では1万,2000人が集まりチケット代は大人500円、中・高生200円で400万円、1冊500円のパンフレットも7,000部完売して350万円、地方予選で1,000万円の売り上げが出たのは異例中の異例です。

佐々木や大船渡のチーム、父兄が甲子園に行きたかった気持ちは充分理解できますが、この監督の判断による佐々木の登板回避は、これまでの高校野球のあり方に大きな一石を投じたものと云えます。

佐々木が163kmを計測したのは2019年4月のU18合宿の紅白戦でした。国保監督は佐々木に骨密度を含めた身体検査を受けさせ、佐々木の身体はまだ発達段階で160km以上の球速に耐えられる身体ではないと診断されています。

高卒の新人選手が初めて参加するプロ野球のキャンプで、先輩達に比べて自分の体力不足を痛感したと述べるのは毎年のことです。長身ではあっても細身の佐々木の身体では医師にそう云われるのもうなずけます。

2018年の夏の甲子園第100回記念大会の決勝は大阪桐蔭と金足農の対決でしたが、大阪桐蔭は優勝投手の柿木の他にも強力な投手陣を擁して継投で勝ち上がってきたのに対し、金足農は吉田ひとりが秋田大会5試合636球、甲子園5試合749球を投げ抜きました。

吉田は前日の甲子園準決勝までの10試合で、1試合当たり1.8点しか失っていません。その吉田が決勝戦で五回までに12点を失ってマウンドを降りたのですから、四回からは力が入らなくなったと本人に云わせなくても、如何に疲労していたかは明らかでしょう。

3塁手で出場していた内川は吉田にマウンドを託され、強打の大阪桐蔭に1点しか許していません。大阪桐蔭を四回1点に封じ込められる逸材がいるのなら、吉田を休ませながら優勝戦を勝ちにいく戦い方もあったでしょう。

高野連会長の閉会式での講評は「秋田大会からひとりでマウンドを守る吉田投手を他の選手が盛り立てる姿は、目標に向かって全員が一丸となる高校野球のお手本のようなチームでした」と云うものです。連投を強いられている投手の過酷な負担も、継投策が優勝の必須条件になってからすでに久しい甲子園の現状も、まったく理解していない的外れな講評です。お手本と云うのなら大阪桐蔭の継投策でしょう。

高校野球への金属バットの導入は1974年ですが、すぐには普及せず1982年に監督率いる池田が金属バットで6試合に85安打を放って優勝した後、一気に広まりました。

夏の甲子園の平均打率は1978年には.246でしたが、金属バットに代わった後1988年.274、1998年.284、2008年.299と大幅に上昇し、2015年は.300、2017年も.303と3割を超えています。

プロ野球では木製バットに当たった打球のほとんどがファウルになりますが、2018年夏の甲子園の100回記念大会では金属バットに当たった打球のほとんどはヒットでした。2019年はややファウルが増えた印象がありますが、金属バットは反発力が強くバットの芯が広いので、バットに当たればヒットになりやすいのです。

夏の甲子園の一試合ごとの完投割合は1978年77.1%、1988年71.9%でしたが、それ以降1998年49.1%、2008年37.0%、2018年42.7%と明らかに減っています。エースがひとりで投げ抜いて優勝したのは1994年の佐賀商峯謙介が最後です。

現在は地方予選ですら、試合日程が詰まってくる後半戦では継投が必須の時代になっていますが、複数の投手の育成にこれまでどうりの投げ込みを強制するのでは、故障者や故障者の予備軍を増やすだけでしょう。

仙台育英の須江航監督は練習のときから「球数管理表」で毎日の球数をチェックしていて、中遠投、シャドウピッチング、ネットスローなどの回数も書き入れ、目安は週間300球以内だそうです。

「球数を投げれば投げるほど間違いなくボールは来なくなります。ピッチャーの肘や肩は消耗品です。球数を投げていないピッチャーの方がいい球がいきます」と須江監督は云います。

須江監督は前任の仙台育英秀光中で日本一を含む8年連続全国大会出場の輝かしい実績を残しましたが、投手陣全体の球速が伸びていきました。理由の一つとして監督が挙げたのが「うちは投げ込みをしていないから」です。

2018年12月新潟高野連が1日100球までの球数制限の導入を発表しましたが、勝敗に影響を及ぼす規則の改正は全国で足並みを揃えるべきだとの高野連の申し入れで、導入は見送りになりました。

2019年1月外国記者クラブで、横浜DeNAの筒香嘉智選手は「高校野球は勝ち負けよりも楽しく健康で野球を続けることが大事で、球数制限があると部員の集まらないチームは勝てないと主張する勝利至上主義は、教育の観点に欠ける」と述べています。

1,200例以上のTJ手術をしている慶友整形外科病院の伊藤恵康院長は「肘の靱帯の正常な投手が投球中にいきなり切ることはなく、小学生時代からの繰り返される負荷で生じた小さなほころびが積み重なって切れる」と語っています。

驚かされるのは同院で600件以上のTJ手術歴を持つ古島弘三医師が、TJ手術の4割を高校生以下の子供たちが受け、中には小学生もいると指摘したことです。2019年1月に野球チーム所属の小学生289人の肘を検査した結果、過去に傷めたり、現在傷めている選手は89人、28%もいました。

日本野球連盟の調査では中学生の硬式野球競技者数が2017年度に約4万9,000人になり、かなりの数の親が我が子の甲子園出場やプロ野球選手を夢見て硬式野球チームに加入させています。

少年硬式野球チームは有力選手を強豪校に進ませるのが目的になっていて、リトルシニア、ボーイズ、ヤングなどの全国大会で好成績を上げた選手は甲子園に出場する強豪校から誘われることが多く、大阪桐蔭などはほとんどが少年硬式野球の出身者だと云われます。

 

ネット上では指導者の暴言や暴力、酷暑の中の常軌を逸した長い練習時間や練習量、公式戦や練習試合での連投などが指摘されている一方、我が子の将来に夢を託して練習の手伝いや遠征費用などを負担する親の期待も半端ではなく、指導者の勝利至上主義と親達の思い込みが、身体の発達途上にある小中学生に過度の負担を強いているのは想像以上のものがあるのでしょう。

アメリカでは2014年に18歳以下のアマチュア投手のガイドライン「ピッチ・スマート」が公表されていて、1日の試合の最大投球数を7歳~8歳は50球、11歳~12歳は85球、17歳~18歳は105球までとしています。

次の登板までの休息期間は、17歳~18歳では31球から45球で1日、76球以上投げると4日が必要としていて、15歳~18歳では年間100イニングを超えて投げてはならないと決められています。

いろいろなスポーツで幼時からのトレーニングが成果を挙げているのは間違いありませんが、身体の発達度合いを超える将来の競技生命を失わせるまでの過剰なトレーニングを子ども達に強制すべきではありません。勝利至上主義の大人達が、負けたら終わりのトーナメント制大会で子ども達に連投を強いるのは、即刻、やめるべきでしょう。

 

 

 

 

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