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歳を取らないと分からないことが人生には沢山あります。若い方にも知っていただきたいことを書いています。

トランジスタラジオとウォークマン

2017-03-15 06:27:37 | 日記

戦後の日本の人々の生活を大きく変えたものに三種の神器や新三種の神器などの電化製品がありますが、トランジスタラジオとウォークマンも忘れるわけにはいかないでしょう。

トランジスタラジオは、真空管の代わりに増幅回路トランジスタを用います。大幅に消費電力が減り、小型軽量化して携帯可能になりました。1950年中頃に量産が始まり、1950代後半から1960年代にかけて普及し、1970年代までには真空管ラジオをほぼ完全に駆逐しました。

真空管ラジオは筐体が大きく、コンセントから電源を取って室内の特定の場所に置くものでしたが、乾電池のトランジスタラジオは片手で持ち運べる小型機器となり、野外でもラジオ放送を手軽に聞くことができます。

東京通信工業(東通工、現ソニー)の井深大1952年アメリカでの技術研修の際に、ベル研究所のスタッフがトランジスタを開発し、親会社のウエスタン・エレクトリック社(WE社)が2万5千ドル(約900万円)で特許を公開していることを知ります。

1953年盛田昭夫がWE社を訪問した際に同社とライセンス契約を結びますが、ラジオに使いたいと云う盛田の意向に対しWE社は無理だろうと指摘しました。初期のトランジスタは温度特性が悪く、ラジオの放送周波数帯で増幅器に用いるには不安定でした。同行した技術スタッフの岩間和夫は開発過程を取材し、それを基にトランジスタラジオの試作を手掛けます。

1954年10月アメリカのIndustrial Development Engineering Associatesがテキサスインスツルメンツ社製4石トランジスタを使用して、世界最初のトランジスタラジオ「Regency TR-1」を開発しクリスマス向けに発売しました。

世界初を目指していた東通工は落胆しましたが、翌1955年に複合型トランジスタ5石を使ったTR-52を開発しました。しかしプラスチック製キャビネットの格子が夏期の気温上昇で反り返るトラブルが発生し、あらためて「TR-55」を開発して8月に市販を開始しました。これが日本初のトランジスタラジオです。

TR-55ではゲルマニウムトランジスタを採用しました。ゲルマニウムトランジスタは製造歩留まりが悪いだけでなく特性のばらつきが大きくて、温度特性も悪い問題がありました。低周波回路には歩留まりが高いが高周波特性の悪い合金型トランジスタ、高周波回路には歩留まりが低いものの高周波特性を改善しやすい成長型トランジスタを用いて製品化しました。

製品化はしたものの、個々のトランジスタの特性に合わせた回路の調整が必要で、量産には程遠いものでした。成長型トランジスタの全製品に対する追跡調査を行った結果、トランジスタのN型層を成長させるために使用していたアンチモンが、P型層に侵食してトランジスタの特性を悪化させていることが判明します。

アンチモンに替えてリンを使用するとP型層の侵食がなくなり、高周波特性が改善されて特性のばらつきが減少することが確認できました。トランジスタ製造工程を一気に切り替えましたが、製造したトランジスタのすべてが不良品となる予期せぬ事態が発生します。

リンの投入量が多すぎたためと分かりましたが、同社では大量にダイオードを試作して、リンの適正投入量を割り出します。江崎玲於奈はPN接合ダイオードゲルマニウムのPN接合幅を薄くすると、その電流電圧特性は電圧を上げるほど電流が減る負性抵抗のトンネル効果があることを発見しました。これが不良品発生の原因と判明しました。

リンの適正投入量が割り出され、他の製造工程にも改善を加えた結果、成長型トランジスタの歩留まりが90%以上に上がり、東通工は莫大な利益を得ることになります。江崎はエサキダイオードの発明者として、半導体内におけるトンネル効果の発見で1973年ノーベル物理学賞を受賞します。

1957年には当時世界最小の「TR-63」を発売しました。2年前のTR-55はさすがにポケットには入りませんでしたが、TR-63ではポケットに入るまで小型化が進み、「ポケッタブルラジオ」というキャッチフレーズが生まれました。

TR—63は本格的輸出1号機となり輸出価格は39.95ドルで、この年の暮れには日航機をチャーターしてアメリカに大量空輸するほどでした。TR-63は大成功を収め、1958年に東京通信工業株式会社はソニー株式会社と改称し、東京証券取引所一部に上場を果たしました。

1960年昭和35年)には米国に現地法人を設置して販売活動を始め、1961年昭和36年)日本企業として初めて株式のADR発行が日本政府から認められました。1960年にはスイスに法人を設置してヨーロッパの販売代理店を統括し、1968年(昭和43年)にソニーUKを設置した後は、国ごとに現地法人を設置していきます。

各メーカーもこぞってトランジスタラジオを開発し、ポケットに入る名刺サイズのラジオやラジオカセットレコーダーなどに応用しました。1970年代にはラジオ放送ブームが起き、短波を受信できる機種が発売されてトランジスタラジオの全盛期を迎えます。

一家に一台の真空管ラジオの時代から、一人に一台のトランジスタラジオの時代が訪れました。巨人・大鵬・卵焼きの時代には、風呂場に持ち込んで入浴中もナイトゲームの放送を聞く人がいました。トランジスタラジオの出現でカーラジオも車の標準装備になっていきます。

カーオーディオ(Car Audio)は車に搭載される音響機器を指しますが、米国ガルビン・コーポレーション1930年に製作した、カーラジオの「モトローラ5T71型」から始まりました。

1936年ゼネラルモーターズ傘下のデルコ・エレクトロニクスダッシュボード装着のカーラジオを製作しましたが、真空管を使ったラジオ本体はトランク内におかれ、選局と音量調整がダッシュボードでした。スピーカーは運転席の足元です。1955年(昭和30年)のトヨタの初代クラウン・デラックスにも、専用の真空管式カーラジオが積まれていました。富士通テンの前身の神戸工業の製品です。

1950年代後半に日本でモータリゼーションが始まり、電機メーカー各社がカーラジオ市場に参入しました。ラジオ放送が野外でも聞けるようになると、放送自体にもビーチやキャンプ場などの聴取を意識した番組が加わります。

1960年代から1970年代にFM放送が一般化し、カーラジオにFMを聴けるものが出てきました。磁気テープで自分の好みの音楽を聴ける仕組みもでき、1964年に最初の4トラックカートリッジが発売されますが、本格的普及には至りませんでした。

次に現れたのが初期のカラオケで使用された8トラックカートリッジです。当時のオーディオの主流はレコードでしたから、家庭で聞くレコードと車で聴くカートリッジを別々に購入することになりました。この時代の車の純正装着品はAMラジオで、8トラックはオプションです。1970年代後半からはパイオニアクラリオンなどの社外品のカーオーディオが登場しましたが、ダッシュボード吊り下げ式でした。

1980年代になると、FMチューナー内蔵型のコンパクトカセットが主流になります。市販の音楽テープ以外に、自分で録音したカセットテープを車内で聴けるようになったのは画期的でした。

1980年代後半になるとCDプレーヤー搭載機種になります。すべての音楽ソースがCDで販売されるようになったことで、8トラックがカラオケソング中心であったのに対し、CDでは車内で聴ける音楽が多様化しました。

1980年代末からはイコライザー付きデッキを標準装備したり、スピーカーの数を増やして臨場感あふれる音を実現した、高級オーディオシステムを装備する車も増えてきました。

2000年代に入るとカーナビが普及しました。当初オンダッシュ型だったカーナビはインダッシュ型に代わり、AV一体型の登場でカーオーディオとTV機能も一体化し、音声と画像の機能が連携されます。スピードメーターやエアコンの制御画面も一体化して、車内の情報処理を一括して行うレクサスやBMWの高級車の標準装備も増加していきます。

ソニーは1960年代からフィリップス社のコンパクトカセット規格のテープレコーダーの製造・販売を行っていました。1978年5月には外出時にもカセットテープを聞ける、肩掛け型で教科書サイズのテープレコーダー「TC-D5」を発売しています。

この「TC-D5」を愛用したのが創業者の1人井深大です。海外出張の機内でステレオ音楽を聴いていましたが、重さや大きさで不便さを痛感していたことがウォークマン誕生のきっかけになりました。

ウォークマン」は1979年(昭和54年)にヘッドフォンで音楽を聴く携帯型カセットテーププレイヤーとして発売され、1995年(平成7年)度には生産累計が1億5千万台に達し、国立科学博物館重要科学技術史資料として登録された際には、「音楽リスニングを大きく変えた」と評価されています。    

ウォークマンの開発は、すでに販売されていた小型テープレコーダー「プレスマン」から録音機能をはずし、再生だけができるようにして始まりました。社内の意見はテープレコーダーは売れても、テーププレーヤは売れないと否定的でしたが、盛田は1979年7月1日初代ウォークマン「TPS—L2」の発売を断行します。

1979年7月の最初のモデルには「WALKMAN」のロゴが付いておらず、ロゴが付くのは翌年1980年発売以降のモデルになります。発売して2か月は鳴かず飛ばずで、地道に認知度を高めて次第に購買者を増やしていきました。定価は33,000円でした。

ウォークマンは和製英語ですが、最初に付けた名前で世界に売り込むことに決め、「WALKMAN」を世界に浸透させていきます。1982年2号機「WM—2」が発売され、外付けバッテリーで69時間の再生を実現し2年間で250万台の大ヒット商品になりました。

現在のウォークマンとは異なりヘッドホン端子が2個搭載されていて、ヘッドホンを追加すると2人が同時に聞くことができました。またHOT LINEボタンを押すと内蔵されたマイクが音を拾ってヘッドホンに出力するため、テープを聴きながら会話ができる仕掛けがありました。電源は単三乾電池2本で、ACアダプタやカーバッテリーも利用できました。

ウォークマンが登場するまでは、音楽は他人と一緒に聞くものでした。スピーカーのないヘッドホン専用のスタイルは、当初、誰にも違和感がありましたが、半年ぐらいするとヘッドホンをして、周りにシャカシャカ音を漏らして聞いている人が急に増えだしました。

この人たちが外界から一切遮断されて、自分一人の世界に浸っている姿は衝撃的でした。車は個室そのものですから、カーオーディオの独り占めも納得できますが、ウォークマンは混雑した電車の中でも、周囲の人とは別世界にいることができるのです。

ウォークマンの発売がもたらしたものは、音楽を聴かせることだけではなく、ユーザーの「孤立」「自立」をもたらし、自分の居場所についての人々の概念を覆しました。

2010年(平成22年)10月25日ソニーはカセットテープ式の「ウォークマン」の製造・販売を終了したと発表しました。テープはくっついたり、絡まったり、結構、始末の悪いところがあって、私自身はCDへの切り替えとともにテープは処分してしまいましたが、よくこの年まで続いたものだと思います。1979年から20年間のウォークマンの販売台数は1億台で、ちなみに2001年以降の9年間でアップルのiPodは2億7,700万台が売れています。

近年、SNSやYouTubeなどを通じて他人や社会との交流を楽しむ風潮が盛んになりましたが、一方で孤独を好み、他人と一緒の場に居るのを煩わしいと感じる人が増えたようです。IT社会への移行は、人々の考えや生活を大きく変えてしまいました。個の時代と云うか、孤の時代の到来です。

 

 

 


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