室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

雨の赤坂・散策

2009-10-03 16:45:01 | Weblog
10月になったのに、何故か私のオールドMACはログイン出来なくなっていて、更新できません。Goo が何か変更をしたんだべか?

・・という訳で、母のFMVでログインしました。

昨日は、その母と赤坂へ観劇に出かけたついでに、雨の中を赤坂散策をしました。

母は、赤坂生まれの赤坂育ち。今はすっかり少なくなった街の面影と、昔の記憶をなんとか結びつける為に、傘を差したり閉じたりしながら歩きました。

今も残る僅かな歴史の名残として、氷川公園を先ず確認します。よく遊んだ場所だそうで、位置は間違いないけれど、今は公園の地下が駐車場になっています。私が子供の時に訪れた時ともすっかり様子が変って、子供が遊ぶ為の公園ではなく、薔薇が植えられた花壇がいくつも据えられていました。

その次に氷川小学校跡地を探しました。勝海舟の家を借りて建てられた由緒ある氷川小学校ですが、10年近く前に近所の小学校三校が統合されて、今は閉鎖。跡地は老人ケア施設になっている、という事までは知っていたのですが、景色が変わり過ぎて、場所がなかなか分からない。「変ね~」と言いながら角を曲がって「もう、いいわ・・」と言う母を「せっかく来たんだから、ちょっと地図を見るから、この屋根の下で雨宿りしましょうよ」と言って立ち寄った建物が、そのケア施設でした。

施設の方が親切に声をかけて下さって「ここが氷川小学校だったところです。銀杏の木はその先に今もあります。」と教えて下さいました。

母が子供の頃から既に大きかった、その大きな銀杏の木の囲いの上に、右から『氷川小学校』と書かれた赤い大理石の碑がありました。

その角を左に曲がり、坂を下ると武道場があり、その先が、母の生家のあった場所です。

母の家は兄弟姉妹が大勢で書生さんや使用人もいる大家族で、しかも学校の隣で、当時、氷川小学校の生徒でその家を知らない人は居ないといわれるくらいの存在感があったらしいです。まあ、母の一族、本人たちが言っているんだから実際のところは分かりませんが、偶に同窓会、クラス会などに行った時に、他のクラスだった人たちからも言われるらしいので、うそではないのでしょう。

空襲で焼けてすぐに建て直しができないでいるうちに、近所の他の土地で暮らすようになり、そのまま再建できずじまいだったそうです。戦前は土地所有にさほど拘りがなく、借地が当たり前だったそうです。

露地に沿って、住宅が何軒か建ち、その中には『花むら』という料亭風のお店もあります。露地からさっきの坂に戻って下り、角を左へ進むと「この辺にまた露地があって、そこまでがウチだったのよね」と母が確かめるように手を広げます。

道路の反対側からそのあたりの写真を撮ってみたのですが、その中にJAZZ LIVE B-Flat と書かれた赤い壁のお店があります。私は来たことがありませんが、知っているジャズミュージシャン達のスケジュール表で結構見たことのあるお店なのでビックリしました。母の生家の中に赤坂B-Flatがあるんだ!

私だったら、自分の住んでいた所がスッカリ変わっているのを見たら、きっと超センチメンタルになるどろうと思うのですが、母は位置の確認をして満足だったらしく、全く悲しそうでも悔しそうでもありません。今までに超越してるのかなー・・?

「あと、一ツ木通りがわかったら、それでいいわ。」と言うので、また氷川公園の前を通って、「あらー、この和菓子屋さんは○○兄ちゃまの同級生のお家よ、きっと。まだやっていらっしゃるのねー。」などと言いながらずんずん歩いて、やっと一ツ木通りを見つけると得心が行ったようで、赤坂見附に出て帰りました。

それにしても散策の間中「東京オリンピックで、何もかもかわっちゃったからねー」と、母が何回言ったことか。まあ、その後もずいぶんと東京は変わっているとは思うのですが・・。ゆうべ、2016年のオリンピックに落選して、良かったというか、安心した、という世代のようです。