古代日本の歴史を謎解き

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伊都国は大陸人の国、権力者は一大卒

2019-10-20 12:12:07 | 歴史
魏志倭人伝から読み取れる事実に
伊都国と一大卒があります。
・一大率をおいて、諸国を検察させている。
・諸国はこれを畏れ憚っている。
・一大率はつねに伊都国いて治めている。
一大卒は漢の時代の役人です。
「漢委奴国王」の金印が贈られた
紀元前の頃に倭国へ配置されたのでしょう。
漢が滅んだ後、伊都国に残り
交易のかなめとして権力の頂点にいました。

倭人伝に紹介される国名ですが
・奴国(二万戸)
・邪馬台国(七万戸)
・投馬国(五万戸)
その他の小国も
倭人の発音を漢字一文字一音に置き換えています。
使われている漢字もあまり意味がない、良くない漢字が多いです。

その中に
伊都国 と都と云う漢字を使い、倭国の代表とも言いたげな国名
諸国の交易の品々は、伊都国を通り、帯方郡へ届けられます。
水行に必要な船の手配などもしていたでしょう。
魏志倭人伝の情報の多くは、伊都国の役人からの情報です。
しかし、伊都国の一大卒も実際には
玄界灘の国々、奴国、不弥国までだったようです。
その南にあるつまびらかに出来ない国々
邪馬台国の情報は、交易に応じた倭人からの情報だったのです。

伊都国は、その機能から
奴国(博多湾)のすぐ西側(糸島半島の東側)にあったでしょう。
奴国まで100里(一日)
不弥国は東100里(一日)ですので
宗像半島辺りになります。
漢の時代(漢委奴国王の金印が贈られた時代)の倭国は
玄界灘湾岸の国々までは知る所で
百国余りの国までは把握できていなかった。
魏の時代になり、邪馬台国の卑弥呼が朝貢することで
有明海側の国々情報を知ることが出来た。
・倭国の東に千余里を渡海すると倭種の国がある。
・邪馬台国の南に狗奴国があり
・男王卑弥弓呼と不和であった。
等は魏の時代の情報です。
・投馬国までは水行20日の情報も
新しい航路により知ることが出来た情報です。



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