古代日本の歴史を謎解き

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邪馬台国は ヤマト と読む

2019-10-20 15:19:05 | 歴史
もうひとつ、私たちが大きな間違いをしています。
邪馬台国 と書いて ヤマタイコク と読んでいる事です。
卑弥呼の次の女王
台与 と書いて トヨ と読んでいます。
邪馬台国も、当時の倭人の発音を漢字一文字一音で書き換えてものです
邪馬台 は ヤマト 或いは ヤマトゥ と読みます。

ヤマトの地名は日本に多数ありますが
九州の 山門 と書いてヤマト
近畿の 大和 と書いてヤマト

どちらも、ヤマトとは普通読みません。
山門の歴史
大陸から漢字が伝わり、地名を漢字二文字にすることにした。
漢字の意味と地形を考え
山 と 門 の文字を使用するが
読みは ヤマトにした。

大和の歴史
元々は、倭国の 倭の文字を使いヤマトと読んだ。
魏志倭人伝を読んで、日本全体が 倭 の文字で表現されている事を知る。

もちろん、邪馬台国の存在も知る
読みを ヤマト にする。
後に 大倭、和、大和 と漢字を入れ替える。
大和朝廷(ヤマト王権)と現在呼ばれ、奈良の地名にもなった。
邪馬台国=大和朝廷だから、魏志倭人伝の邪馬台国は近畿(奈良)にあったと
決めつけるのは無理がある様です。
ヤマトと云う響き(読み)は邪馬台国が始まりで各地の地名に影響を与えたようです。

その他にも
卑弥呼(ヒミコ) と 卑弥弓呼(ヒミヒコ)
卑弥呼が後の
巫女



卑弥弓呼のヒコは
男性の名前 彦 に使われています。
弥生時代の日本語が現在の名前に影響しています。

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