古代日本の歴史を謎解き

パソコンが故障して、パスワードが分からず
旧ブログから引っ越しです。

日本神話の不自然な部分に古代の事実があります。

2019-10-14 19:57:11 | 歴史
伊勢神宮と出雲大社について投稿してきましたが
「古事記」など記載されている日本神話の部分で
疑問に思う部分です。
・天照、月夜見。素戔嗚の三貴神
太陽神 天照 と 夜(死後の世界)の神 月夜見の二神で十分なところに
鼻から産まれた 素戔嗚
天照とけんかになり高天原を追放されて出雲へ
ニニギより先に天孫降臨している事になります。
神話の物語に、素戔嗚の役目は何だったのでしょうか。
=>
「古事記」が編集された平安時代においても出雲信仰の影響力が大きく
大和朝廷も敵に回す事が出来ず、仲間にいれた。

・神武東征
大和朝廷の祖が九州から移住する物語が必要か。
天孫降臨が大和の地である方が大和朝廷に有利ではないか。

=>
近畿において大和朝廷が新参物である事が知られていた。
古代、大陸の文化が西(九州)から伝わった事が知られていた。
出雲同様、筑紫勢力の力も強かった。
九州の筑紫以外(高千穂に天孫降臨、日向を出発)で筑紫を包囲する意図があった。

弥生時代、古墳時代に大陸との交易で有利な地にあった
出雲と筑紫にうまく入った新興国家 大和朝廷の選択だったのではないでしょうか。
宗像三女神の宗像神社も地元信仰をうまく天照の子供にしています。

・弥生時代の権力国(博多湾、有明海)が登場しない。
弥生時代の鉄製品の分布です。

博多湾~有明海に強力な鉄製武器の国家がありました。
魏志倭人伝の邪馬台国も同様です。
大陸の史記も既に読んでいます。
しかし、日本神話に登場しない。
=>
大陸に貢物を贈り、金印をもらうなど神として許されない。
武力による支配は大和朝廷の望む事では無い。
神代の話にふさわしくない。
高天原は
この地域、或いは大陸、朝鮮半島を表現している。
遅れて近畿に鉄器が使われているのは
神武東征で鉄器が近畿に伝わった。
神武東征が成功にしたのは、九州の鉄器を使った近畿征伐だった。
平安時代に完成した
・大和朝廷(天皇家)の正当性
・大和朝廷による中央政権
・出雲など既存信仰と神社制度の融合
・大陸の思想(儒教など)仏教に対抗する広大なストーリー
完成後の高い書物に仕上げてのです。
一方、不都合な事実は全て削除されています。

伊勢神宮と出雲大社の違い(注連縄)

2019-10-14 16:45:31 | 歴史
伊勢神宮が独特の存在であることは
先の投稿で紹介しましたが
注連縄(しめ縄)にも違いがあります。
注連縄には、私たちが住む世界と神様が住む世界の結界です。
伊勢神宮には
 注連縄がありません。
 他の神社にある狛犬も無いです。
さすが、他とは格の違いを主張しています。

出雲大社は
  大きな注連縄が有名です。

※この有名な大しめ縄は、本殿ではなく「神楽殿」です。
出雲大社のしめ縄の特徴
・しめ縄の巻き方が一般の神社と逆
・とてつもなく大きい
理由は
天照大神に国譲りして、国を取られた大国主命の怨霊が出てこない様に封じ込めた。
一般的な神社のしめ縄は、悪霊が神殿の中に入らない様にする結界です。
しめ縄の目的が逆なのです。
古墳の信仰に似ています。

伊勢神宮と出雲大社の位置関係でも
日が上がる東側の伊勢神宮
日が落ちる西側の出雲大社

死後の世界(黄泉の国)を司る意味合いがあるのです。
なんと近くに、イザナギが黄泉の国から戻り岩で蓋をした
黄泉の国への入り口があります。
亡くなった大王を祀る古墳と意味合いが似ています。

他にも、十月を「神無月」と呼びますが
全国の国津神が出雲の集まる言い伝えでからです。
そのため、出雲では十月を「神有月」と呼びます。
出雲は、勲津神の総本山でもある様です。

大和朝廷の祖を天照大神にして伊勢神宮を神社の頂点に
国内の神々(国津神)を纏めるために出雲大社を
大和の地を守る為に
東に伊勢神宮、西(黄泉の国)に出雲大社を配置した。
何とも巧みな日本神話と神社体系を作り上げた。

伊勢神宮と出雲大社の違い(神明造と大社造)

2019-10-14 14:47:08 | 歴史
続いて、現在の伊勢神宮と出雲大社の違いです。

伊勢神宮は
・天照を祀る内宮
・倭姫を祀る外宮
が有名ですが、市内に多数の社が作られて
伊勢神宮と呼ばれています。

出雲大社は

の様に災害と共に低い建物建て直されたようです。
現在の形に建て直されたのは、後の鎌倉時代
大和朝廷の権力が弱まると徐々に小さくなり
現在の建築は江戸時代とされています。

建物違いは
神明造 と 大社造 です。

同じ神道ですが
頂点である天照大神を祀る伊勢神宮が特別な存在です。
春日大社、諏訪大社など新しい神社も登場しますが
伊勢神宮を超える事は許されない事でした。
「古事記」「日本書紀」に描かれている日本神話の影響力は
時の権力者も排除することが出来ず
現在の天皇家へ引き継がれています。

飛鳥時代、平安時代の伊勢神宮、出雲大社

2019-10-14 13:39:35 | 歴史
さて、出雲大社と伊勢神宮の場所
弥生時代には決まっていたと思われます。

古墳時代に近畿で力をつけた倭の五王(仁徳天皇~武烈天皇)ですが
朝鮮半島信仰の失敗
武烈天皇が後継者を指名せず亡くなった事
から歴史が大きく変わります。
天皇は、近江に住んでいた継体天皇へ
やはり朝鮮半島侵攻を実行しますが
筑紫蒼井の裏切りで失敗
仏教伝来(大陸、朝鮮半島文化の伝来)により
蘇我氏、物部氏の対立

再び、ここで疑問
何故、仏教布教は近畿だったのか?
=>大陸、朝鮮半島に近い筑紫、出雲は
地元豪族による先祖崇拝(国津伸)の力が強かった。
筑紫は仏教伝来を金製財宝を蓄える方法に使った。
近畿では、古墳時代の王が失敗し
天照信仰も異性の地にあり、信仰が薄れていた。
蘇我氏が朝鮮文化を取り入れ地位を手に入れる道具に
仏教が使われて、大敵 物部氏を破った。

この大陸文化の導入が大和朝廷の日本統一の原動力になり
後の長期政権 平安時代につながります。
近畿を中心に建築された多数の寺院と仏殿
そして、文書化された経典の数々
出雲大社や伊勢神宮も徐々に現在の建築に近くなったでしょう。

日本にも大陸の史記に等しい歴史書が必要と感じ
「古事記」「日本書紀」が作成されますが
時の権力者 大和朝廷の正当化の一面が強くなります。
そのためには、伊勢神宮を頂点とする神社制度も作る必要があり
「古事記」の上巻に日本神話として盛り込まれます。
現在の神社の建築様式、鳥居やしめ縄なども定着します。

伊勢神宮の始まり「倭姫命への神託」

2019-10-14 12:49:26 | 歴史
さて、本題です。
準備として
まずは、日本神話の流れを
神社は古代を知る手掛かり
からご覧ください。

まずは、伊勢神宮の始まりからです。

垂仁天皇25年3月10日
垂仁天皇は天照大神を豊耜入姫命から離して倭姫命に託した。
倭姫命は大神が鎮座する所を求めて、各地を訪問
その訪問先は、元伊勢と呼ばれています。
近江国に入り、美濃を廻って伊勢国に至った。
時に天照大神が倭姫命に教えて言うには
「この神風の伊勢国は、しきりに浪が打ち寄せる国である。中心ではないが美しい国である。この国に居りたいと思う」
と云う事で神宮の場所が現在の伊勢に決定されました。
時代的には
11代垂仁天皇(倭姫の父)
14代仲哀天皇(神功皇后)
16代仁徳天皇(最大の古墳)
26代継体天皇(筑紫蒼井の乱)
29代欽明天皇(仏教伝来、蘇我氏VS物部氏)
ですので
倭姫命に神託は、弥生時代ではないでしょうか。


ここで疑問を二つ
1、何故、奈良の地を離れる事にしたのか
古事記、日本書紀の説明は
百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、
天皇はその原因が天照大神・倭大国魂神の2神を
居所に祀ったことにあると考えた。

=>倭大国魂神は四国の国津神信仰
  出雲も同じ国津神信仰
  近畿の土地に
  天津神 天照信仰は難しかった。
  地元の王を信仰する古墳時代には
  受けれいられられません。
2、何故、伊勢の土地なのか
しきりに浪が打ち寄せる国である。
中心ではないが美しい国である。

=>四国、近江、滋賀と90年をかけるが
各地の地元信仰が強く、天照信仰は難しかった。
出雲と大和の反対側に、朝日が昇る伊勢へ

意図的であったのかは不明ですが
太陽神である 天照を祀るには太平洋側の朝日が昇る地域がふさわしい。
地元のご先祖(大国主命)を祀る出雲が西方の日本海側にあった。

もちろん、仏教建築などが伝来する前ですので
現在の伊勢神宮の建物ではなく、出雲同様
高床式の社に天照から授かるご神体が祀られます。
伊勢には、天照信仰に似た太陽信仰があったのでしょう。

まずは、日本神話の流れを

2019-10-14 10:05:25 | 歴史
出雲大社、伊勢神宮から古代を想像する為に
もう少し準備しておきましす。
日本神話についてです。
過去投稿に、日本神話の流れを紹介していますので
参考にしてください。

ざっと
1、イザナギ・イザナミの国造り
2、アマテラスとスサノオの誓約
3、天の岩戸
4、スサノオのヤワタのオロチ退治
5、スサノオの国譲り
6、ニニギの天孫降臨
7、神武東征
・・・・
天空の神様達が暮らす 高天原
出雲の神話
天孫降臨後の九州
神武東征で近畿の話に
物語が進んでいきます。

この国譲りの神話の最後に
スサノオが出した条件が
「アマテラスの宮殿と同じような大きな神殿を作る。」
これが出雲大社の土地です。
現在の出雲大社の地中に柱の跡が発見されています。
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こんな感じをイメージされています。
間違いなく、弥生時代の高床式建築の最終系です。