古代日本の歴史を謎解き

パソコンが故障して、パスワードが分からず
旧ブログから引っ越しです。

出雲と大和 始まり(国名)

2019-10-26 20:51:10 | 歴史
飛鳥時代、平安時代には漢字が伝わり
各地方が地名を漢字二文字で表すようになります。
出雲や大和以外に
筑紫、安芸、吉備、但馬など同じ時代に名前を漢字にしたでしょう。
しかし、出雲と大和にだけ共通する部分があります。
出雲 を イズモ
大和 を ヤマト
と現在、普通読まない。
です。
出雲は デグモ 大和は ダイワ と普通読みます。
理由は 漢字が伝わる前から
イズモと呼ぶ国名(王名)があったからです。
大和のヤマトは、大陸の史記(魏志倭人伝など)に登場する
倭国 と 邪馬台(ヤマト)国が理由です。
「古事記」などに紹介される日本神話によると
・出雲の国譲り
・神武東征
と近畿のヤマトの方が国としては後になります。

出雲の場合は、魏志倭人伝に紹介される
投馬(ズマ)国ではないでしょうか。

安芸、吉備も現在の読みでは難しい読み方です。
こちらの漢字と地名の読みでの共通点は
漢字一文字一音です。
やはり、漢字が伝わる前からアキ、キビと呼ばれる国があったのでしょう。

筑紫はどうも違います。
紫は大陸で高貴な色であり、築く の意味のある 築 です。
読み方も漢字二文字で三音です。
弥生時代には、伊都国、奴国などあった地域です。
漢字がわかる人がいて
新しく 筑紫 と云う国が出来たのです。
伊都国 或いは 奴国 が発展して筑紫になったのか?
新たな筑紫と云う勢力が発生したのか?
不明です。

国の始まりを考えるには
出雲が一番古く弥生時代にはあった。
大和と筑紫は古墳時代以降
近畿のヤマトは、弥生時代の読みは
邪馬台(ヤマト)国
近畿説なら 邪馬台(ヤマト)国はが発展した。
九州説なら 近畿にあった別の名前の国が滅び
      九州の邪馬台国が支配して出来た。
になります。
神武東征の神話によると
磐余(イワレ)弟師木(オトシキ)、兄師木(エシキ)
難波(ナンバ)登美毘古(ナガスネビコ)
が元々のの国です。
ヤマト(倭、大和)は神武東征以後の国と云うことになります。

国の名前を変えず
移住する事もなく
最も歴史の古い国は
出雲ではないでしょうか。

以上
・魏志倭人伝
・地名に使われた漢字と読み方
・日本神話
から古墳時代を考察してみました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿