古代日本の歴史を謎解き

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ヤマトの語源

2018-11-16 18:12:34 | 歴史
先の投稿のおまけです。
ヤマトの語源には諸説あります。
・山のふもと 確かに人々が住めないような高い地域を ヤマ と読んだのでしょう。
・天(アマ)のふもと こちらも信ぴょう性があります。ヤマより高いのでアマ
古代からあっても不思議ではない名詞です。
後の古事記などでは、特に説明もなく
普通に国の名前、皇一族の名前に登場します。
ヤマトは、皇族の印として当たり前であり
その成り立ちを知る人もなく、説明する必要もなかったのです。
それだけ古くから使われた名前でした。
申し訳ありません。
ヤマトの語源は不明です。
しかし
そこには重要な意味が含まれているようです。

その他
姫、皇、王、国などは渡来人が持ち込んだ言葉です。
他にも植物や動物の名前
仏教と共に伝えられた龍や鬼などの漢字も
多分、神様も平安時代の言葉です。

大陸が付けた当て字では
倭人 最も古い、最初の漢字
魏志倭人伝に登場する玄界灘の国々
・対馬、一支国 島の形状から(二つ、一つの島)
・末盧国、伊都国 渡来弥生人が付けた名前
・奴国、不弥国 大陸人が倭人の発音を元に付けた当て字
邪馬台国も同様で、ヤマトの発音に対して当て字です。
狗奴国も後の熊曽国の発音を当て字
その他女王国へ至る国々ですが、漢字二文字が多いです。
蘇奴国と華奴蘇奴国もその関連性があるようです。
卑弥呼と魏の交易が活発になった時代に付けられた名前(漢字)ではないでしょうか

普段私たちが使っている日本語ですが
ひょっとしたら、弥生時代など古代を知る手掛かりが残っているかもしれません。
特に地名などの中には潜んでいると思います。

魏志倭人伝に登場する「邪馬台国」と大和(ヤマト)朝廷

2018-11-16 18:05:31 | 歴史
先の大陸の史記に登場する倭 と日本のヤマトと合わせて読んでください。

魏志倭人伝に登場する 邪馬台国
誰もが違和感なく ヤマタイコク と読みますが、実はこれが間違いです。
当時、倭人の発音をもとに漢字を当てはめますが、漢字一文字 一音です。
(何らかの意味を込めた場合は別です)
後の女王 台与は、トヨ と読んでいます。
台 は ト の発音の当て字です。
邪馬台国は、ヤマト国(もちろん国の文字はありません)の当て字です。
卑弥呼が活躍する2~3世紀の弥生時代以前より
ヤマトと呼ぶ国或いは一族がいました。
卑弥呼は女性の祈祷師ですので、ヤマト国にはヤマト王家があったはずです。
国は一族の王を大切にしますが、政治は周囲の権力者に任せていたようです。
その一人が祈祷師 卑弥呼でしょう。
もちろん、卑弥呼が王家の血を継ぐ女性であった可能性はあります。
彼女の祈祷は、王家の為にあったはずです。
魏志倭人伝でも国ごとに複数の役人が登場します。
後の蘇我氏の様に、王家一族と役人たちの関係は弥生時代には既にあったようです。
さて、弥生時代の邪馬台国(ヤマト一族)=邪馬台国 と
飛鳥時代に登場する ヤマト国(ヤマト一族)= 大和朝廷(夜麻登族)
この呼び名の一致は偶々でしょうか?
・邪馬台国=ヤマト国=夜麻登国=倭国(ヤマト)=大和朝廷
・邪馬台国と大和朝廷は無関係、後に魏志倭人伝に邪馬台国が登場する事を知り
 その呼び名を使った。(ちょっとずるい)
・いやいや、ヤマトとは日本で高貴で神秘的な意味があり多くの王らが使っていた。
ヤマトと云う発音の言葉は、弥生時代(縄文時代から?)に使われていた現存ずる
最も古い日本語ではないでしょうか。

ヤマトと云う言葉(地名、一族の名前)は卑弥呼の時代よりはるか昔から使われていました。
これが一族の名前で卑弥呼の死後も伝承されていたのです。
奈良の一族が勝手に使うわけにもいかなかったはずです。
邪馬台国=倭国=大和朝廷は間違いないと思います。
いやいや
奈良の一族は全く別だったが、神武東征と云う神話を作り上げヤマトを名乗った。
無理やりですが考えられなくもないです。
しかし、それだけヤマトの名前が重要で知られていたのであれば
ヤマト(邪馬台)の一族を攻撃する、勝手に名乗る事は出来ないです。

神武東征の物語の解釈を少し変えて
卑弥呼の死後、筑紫が力をつける
邪馬台国は九州で居場所を失い瀬戸内海を渡る。
奈良の一族の力を借りて邪馬台国が復興
ヤマト国と名乗る。
古墳時代の出来事になります。
こちらの解釈の方がすっきりするのですが如何でしょうか。

大陸の史記に登場する倭 と日本のヤマト

2018-11-16 16:09:48 | 歴史
私が気にするところは、倭 の漢字を何故 ヤマト と読むのか?
後の平安時代の書物「古事記」に古代の事が書かれています。
自国の名前は 「倭」 という漢字を使っています。
倭の漢字を使った、皇子、姫はたくさん登場します。
中国の史記に書かれた「倭国」と云うフレーズを読んでいますし
元々は、「漢書」に
「・・・楽浪の海中に倭人有り。 分かれて百余国を為し、歳時を以って来たりて献見すという。」
と、朝鮮半島から海を渡ったところに国々があり、倭人が住んでした。
民族の呼び名が国名に変化したようです。
他にも匈奴、鮮卑、突厥、夫余などが紹介されていて
いずれも漢字を持たない民族に漢民族が漢字を充てています。
かれらが自らの国を発音(倭=我のワ)して漢字に当てはめた可能性と
民族の身なり、体系、文化などから宛てた漢字に可能性の二通りがあります。
倭国も自らが ワ と発音していたのでしょうか。(我々の国のワ)
倭人から倭国になったとすれば、小柄な背が丸まった人種から 倭 の漢字が始まったと思われます。
間違いなく 倭 = ヤマト の読みではありません、

時代が過ぎて、漢字が使えるようになった大和朝廷の歴史書
「古事記」「日本書紀」では 倭 の漢字を ヤマトと読んでいたようです。
全てが漢字なので、フリガナはありませんが
「夜麻登」という漢字が見受けられます。
例えば、倭姫
   古事記       日本書紀
夜麻登登母々曽毗売命  倭迩迩日百襲姫命
後の万葉集でも「夜麻登」の漢字で登場しています。
平安時代、倭 はヤマトと読んで、国の名前だったのです。
ヤマトタケル
古事記 倭建命、日本書紀 日本武尊 と記されています。
ヤマトは国の呼び名であり一族が継承する名前でした。
国内向けに作成された古事記では、発音を漢字に充てた夜麻登(ヤマト)
海外向け(中国向け)に作成された日本書紀では 倭に置き換えたわけです。
漢字が伝わる以前より ヤマトと発音する地域、或いは一族がいました。
飛鳥時代には、仏教が伝来して蘇我氏VS物部氏の時代よりはるか前です。
ヤマトと自称するヤマト国(一族)の始まりは、古墳時代、弥生時代、縄文時代へ遡るのです。
そして、現代に至り、大和朝廷(王権)を誰もが ヤマト朝廷と読みます。

歴史は「ナショナリズム」と「グローバリズム」の繰り返し?

2018-11-16 12:04:04 | 歴史
本来の意味と違うかもしれないので最初に説明
・ナショナリズム
 民族主義、国家主義、閉鎖的、鎖国・・・
・グローバリズム
 共同体、全体主義、開放的、交易・・・
こんな感じの意味として使って古代日本歴史を覗いてみます。
旧石器~縄文時代
日本列島は大陸より分かれて周囲の国との国境がありません。
日本海があるので、韓国や中国の様に周囲の国々(民族)との
争いがない国でした。
一方、他国の文化は伝わらず、独自の文化が形成されます。
・縄文式土器は、世界的にも最古の土器です。
・火焔土器、土偶は、現代人が観ても芸術性が高いです。
・竪穴式住居などが出来て集落での生活が始まります。
・物々交換ですが、集落ごとの交易が始まります。
・ヒスイの勾玉など装飾品は幾度も交換されたのでしょう、広範囲です。
同じ民族ですので、信じあえることが出来たのでしょう。
ナショナリズムの世界で発展します。
弥生時代
大陸から異民族が移住します。
九州から日本海側の山陰地方です。
・高倉式建物、織物技術、稲作など生活が豊かになったでしょう。
・先住縄文人と渡来弥生人の共同生活が始まったようです。
グローバリズムの世界に変わります。
・集落の格差が始まり、殺人の武器が作られ、環濠集落が出来ていきます。
・小さい、弱い集落が滅んで大きな集落になっていきます。
魏志倭人伝に紹介される奴国、伊都国、邪馬台国などです。
古墳時代
大陸が乱れて交易が衰退します。
国内では地域ごとに大きな集落(豪族)の国が出来ています。
もちろん、大陸、朝鮮半島から渡来する移住民族も後をたちませんが
既に力関係が違っていたようです。
先住の豪族>新しい渡来人 の関係です。
・朝鮮半島からの移住民族を従えて朝鮮半島支配へ出兵する豪族
・移住民族から新たな文化を吸収して力をつける豪族がいたようです。
・国内で力をつけた豪族は大きな古墳を造ります。
国同士の力関係がはっきりしてくる100年間でした。
朝鮮半島のナショナリズムが日本を戦争に巻き込みます。
飛鳥時代、大和朝廷
・九州(筑紫)、山陰(出雲)より遅れて朝鮮半島より移住民族を受け入れる。
大陸、朝鮮半島の文化を積極的に取り入れます。(飛鳥文化)
大和朝廷が実行したのは漢字、仏教など文化交流です。
まさにグローバル化ですね。
平城京時代から平安時代へ
奈良の盆地で力を付けた大和王権(大和朝廷)
遣隋使、遣唐使などを派遣して大陸中国の国づくりを日本で実行
新しい都を作り常に進化していきます。
近畿を統一した大和朝廷は西日本(出雲、筑紫)を連合体にする。
平安京中心の長い平和な時代が続きます。
グローバルの集大成の結果は大和朝廷による中央集権でした。
ここからはナショナリズムで倭国が団結した時代です。
鎌倉時代
しかし、皇族、貴族中心に政治から武力をもった武士の時代に
江戸時代は鎖国の時代になります。
編案時代以後、1000年以上日本独特の文化が伝承されます。
島国で陸続きの国境を持たない日本だから出来た事です。
大陸の支配を受けない時代です。ナショナリズムを維持できたのです。
そのため、日本の文化、神道、仏教、和食、言葉など

その多くは
・平安時代の文化
 神道、天皇制度、和食、大和言葉など
・鎌倉時代の文化
 鎌倉仏教
・江戸時代の文化
 お寿司などの和食などと大衆文化
明治維新
皆さんご存知の西洋文化の導入です。
再び、グローバル化を実施
食文化でも肉食などは始まり、新しい日本食が出来ます。
和服文化から洋服へ、教育などの制度も変わります。

日本の歴史で、グローバリズムは
・弥生時代に大陸からの移住民族による文化の伝承
・飛鳥時代~平安時代に行われた大陸文化の導入
・明治維新に行われた西洋文化の導入
大きく3回行われた様です。

今となっては、縄文時代、弥生時代の文化は
・日本神話などの神道
・勾玉などの一部の宝飾品
・遺跡
でしか見ることが出来なくなりました。

数千年と云う長い時代続いた縄文時代、弥生時代ですが
繰り返されたグローバル化の中で
その文化伝承は消えていったわけです。
漢字が使われた平安時代以降は、多くの手掛かりがあります。
古墳時代以前になると
・古墳などの遺跡
・魏志倭人伝など大陸の史記
・日本神話などに残るわずかな歴史
・地名などに残るわずかな歴史