古代日本の歴史を謎解き

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大陸の史記に登場する倭 と日本のヤマト

2018-11-16 16:09:48 | 歴史
私が気にするところは、倭 の漢字を何故 ヤマト と読むのか?
後の平安時代の書物「古事記」に古代の事が書かれています。
自国の名前は 「倭」 という漢字を使っています。
倭の漢字を使った、皇子、姫はたくさん登場します。
中国の史記に書かれた「倭国」と云うフレーズを読んでいますし
元々は、「漢書」に
「・・・楽浪の海中に倭人有り。 分かれて百余国を為し、歳時を以って来たりて献見すという。」
と、朝鮮半島から海を渡ったところに国々があり、倭人が住んでした。
民族の呼び名が国名に変化したようです。
他にも匈奴、鮮卑、突厥、夫余などが紹介されていて
いずれも漢字を持たない民族に漢民族が漢字を充てています。
かれらが自らの国を発音(倭=我のワ)して漢字に当てはめた可能性と
民族の身なり、体系、文化などから宛てた漢字に可能性の二通りがあります。
倭国も自らが ワ と発音していたのでしょうか。(我々の国のワ)
倭人から倭国になったとすれば、小柄な背が丸まった人種から 倭 の漢字が始まったと思われます。
間違いなく 倭 = ヤマト の読みではありません、

時代が過ぎて、漢字が使えるようになった大和朝廷の歴史書
「古事記」「日本書紀」では 倭 の漢字を ヤマトと読んでいたようです。
全てが漢字なので、フリガナはありませんが
「夜麻登」という漢字が見受けられます。
例えば、倭姫
   古事記       日本書紀
夜麻登登母々曽毗売命  倭迩迩日百襲姫命
後の万葉集でも「夜麻登」の漢字で登場しています。
平安時代、倭 はヤマトと読んで、国の名前だったのです。
ヤマトタケル
古事記 倭建命、日本書紀 日本武尊 と記されています。
ヤマトは国の呼び名であり一族が継承する名前でした。
国内向けに作成された古事記では、発音を漢字に充てた夜麻登(ヤマト)
海外向け(中国向け)に作成された日本書紀では 倭に置き換えたわけです。
漢字が伝わる以前より ヤマトと発音する地域、或いは一族がいました。
飛鳥時代には、仏教が伝来して蘇我氏VS物部氏の時代よりはるか前です。
ヤマトと自称するヤマト国(一族)の始まりは、古墳時代、弥生時代、縄文時代へ遡るのです。
そして、現代に至り、大和朝廷(王権)を誰もが ヤマト朝廷と読みます。

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