毎度、RK査問委員会のかおりんです。
現役党員の皆様方は党員時代の私を見て、何でこの男はここにいるのだろう? と疑問に思われた方も多いと思います。
私は2008年からマイケルブログが立ち上がる2017年4月まで、RK独立党の支持者でした。
入党を決めたのは2010年です。
支持するようになったきっかけは、昔お世話になった尊敬する先輩からの紹介でした。
当時私はかなりのB層で、南京虐殺がなかった事や、真珠湾攻撃がルーズベルトの謀略である事は知ってはいたものの、アポロは月に行ったものだと信じ込んでいました。
先輩から、実は人類が月に行っていない事や、先の大戦で日本海軍軍人に内通者がいた事、9.11が自作自演テロである事、救国内閣だと信じていた小泉内閣の欺瞞性など、様々な事を教えられ、目から鱗が落ちる思いでした。
そうした中で、大将の動画を紹介され、それまで信じていたものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようでした。
何しろ当時のRK理論はキレッキレ!
今考えたらこれは決して大将が優秀だった訳ではなく、側近が優秀だったからなんですが。
ですがこれだけ分かり易く、世界の構造を明確に説明した陰謀論者は、恐らく他にいなかったでしょう。
まして尊敬する先輩からの紹介という事もあり、この人は信頼するに足ると思ってしまった訳です。
発達障害持ちで凝り性な私は、どハマりしましたね。
それでもなんだかんだ言って、それまで学校で習った歴史観や常識を覆すのに、およそ1年かかりましたが。
何はともあれ凄い人だと思った訳です。
平成になってこのかた、一向に回復しない景気、良くならない世の中に、どうして日本はいつまでたってもこうなのかという疑問に、明確に答えてくれるものでした。
それと同時に、ひょっとしたらこの人こそ世の中を変えてくれる人なのではないかと、秘かな期待を抱きました。
加えて私の父親は、詳細は省きますが、ガンの丸山ワクチンを開発した、丸山千里教授を世に出す為の黒子的役割を果たした上、ソニー創始者の井深大氏からも高く評価されるほどの、薬石を使った民間療法研究家であり、音楽教育で世界的に有名な鈴木鎮一先生や、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長とも親交がありました。
http://shoeshowinn.jp/
http://www006.upp.so-net.ne.jp/shoe-show-inn/
近藤誠医師からは丸山ワクチンの効用は否定されていますが、父は昭和35年、丸山教授がまだ無名だった時代から、縁あって先生の研究室に入り浸り、肺結核さらにはガンが消滅していく過程のレントゲン写真等、夥しい症例をつぶさに見せてもらっていました。
ちなみに私の両親の媒酌人は、丸山教授夫妻です。
ですから誰がなんと言おうと、ワクチンは効くものだとの信念を持っており、丸山ワクチンに関しては生き字引的存在でありました。
事実丸山ワクチンの歴史や沿革を記した書籍には、父の名が度々登場します。
父がもしいなかったら、賛否両論あれど一大ムーブメントを巻き起こした、あの丸山ワクチン論争は、歴史上に存在すらしていなかった事になります。
事ほど左様に偉大な発明なのに、なぜワクチンは認可されないのか?
それこそ大将言うところの「真実に近い仮説は物事を合理的に説明する」というセリフに、全てが腑に落ちる思いがしました。
世界を支配している連中からすれば、そういった本当に人類の為になる画期的発明は、邪魔でしかないという事です。
もしくはその発明のおいしい部分を、自分達だけで独占する。
丸山ワクチンに父の研究、更にはソニーで研究していた、東洋的発想からなる様々な革命的技術の数々(It's a SONYの時代、井深、盛田両会長がご存命で、大賀典雄氏が社長だった頃の話であり、社長が外資からの大前研一氏に代わり、これらの研究は軒並み中止され、ソニー自体も骨抜きにされた)これらに荒田技術が加われば、日本は無敵だと思いました。
だがやはり、立ちはだかる敵を倒す為には、まず一人一人が真実を知る事が先決であるという、この考えに深く賛同しました。
ところがそう思ってRK理論に傾注していった矢先に、父が急性心不全により、71歳であっけなく他界します。
何しろ突然の事で、目の前の事を片付けるのに精一杯であったその3ヶ月後に、続いて中川昭一氏が急死.
父の死のショック から冷めやらない時に、あっ! と思いましたね。
父は自分で健康維持の為の研究結果を実践しており、その父が何で? と釈然としない思いはあったんです。
普通なら85までは楽々と生きるものだと思っていました。
父に続けての中川氏の不可解な死に、これは本当に裏社会に盛られたのかもしれないと思ってしまいました。
話はちょっと脱線しますがここの件を読めば、大将ほか現在残っている党員さんたちは「何を誇大妄想しているのか?そんな一介の有名でもないただの人が、盛られる訳ないじゃないか」と思う事でしょう。
それこそ「裏社会は承認欲求の強い人物をリクルートする」にズバリと当てはまるじゃないか。
そこで父の研究成果の一端をちょっとだけ披露します。
文化勲章を受章された直後、思いがけないことを井深さんから聞いた。
ソニーの生命情報研究所が、世界中の民間療法を10年かけて収集した。それを1年かけて評価し、結果が出た。
実は、私のものも2点だけその中に入っていた。
評価の結果は、私のものが群を抜いた世界一とのことだった。それまでも、自分のものが世界一だと密かな自信はあったが、井深さんの口から聞けたのが嬉しかった。
「私の如き在野の研究者は、ノーベル賞はおろか文化勲章にも無縁であると思っていたが、井深さんの今の言葉は、私にとって最高の勲章です」と答えて、
「いつになったら世の中が認めてくれるのでしょうか」と聞いてみた。
井深さんは躊躇なく「世間は鈍いから、200年はかかるかな。その時ソニーになん本大黒柱が立っているか分らんが、その中の1本にこれがあるのはまちがいない」と答えた。
(引用ここまで)
大将ほか党員のみなさん、ネタを提供してあげましたよ。
かおりんのホラや妄想も、ここまでくると凄いもんだ。
やっぱり裏社会はああいう承認欲求の強いのを選んでリクルートしてきたのだなと。
まぁそうお思いになるのはご自由ですが、根拠はちゃんと見せて下さいね。
言っておきますが、これらは決して作り話ではない、紛れもない事実である。
話を元に戻します。
さらには追い打ちをかけるように、私自身の身辺にも筆舌に尽くし難い出来事があり、そうこうしているうちに3·11が起こります。
その後は皆さんご存知の通り、大将は大ブレイクします。
続いて不正選挙と、大将の人気はうなぎ登り。
当時仲良くなっていた党員のラインクラフトさんと「大将とこうして仲良くゆっくりサシでお酒が飲めるのも、今のうちだけだよ」と囁き合っていたものです。
ほんの数年後には、そうおいそれと話すら出来ない、雲の上の人になるであろうと本気で思っていました。
その間に、私は不正選挙裁判の女装軍団に加わる訳です。
だが、程なくしてサイモンウィゼンタールセンターの事件が起こります。
この時に正面きって戦っていれば、勝ち負けの結果は別にしても、大将は後世に名を残せたかもしれません。
3·11の時に、落ち着き払った彼の分析ぶりを見て、この人は本当に肝っ玉の座った侍だと思ったのに、その時とはまるで別人格のような対応を見せつけられる事になります。
程なく常連の中島さんの姿を見かけなくなります。
中島さんに続き、秘書の直子さんもいつの間にか消えました。
何か櫛の歯が欠けるように、顔なじみだった人たちが一人二人といなくなります。
大将が言うには「みーんな、アチラ側に取り込まれていったんだ」との事ですが、それにしても、ここまでみんながみんな、金になびくものなのかと疑問にも思いました。
そしてそれ以前から思っていた事ですが、大将はジャーナリストとしてさすがに色々知ってるなと思う反面、意外とこんな基本的な事を知らないんだと思う面が、多々あったのも事実です。
例えば、ソニーの盛田会長は知っていたが、井深名誉会長の事を知らない。
小津安映画を好きだと言いながら、カサチシュウと言ったりする。
小津安映画は頻繁に講演で取り上げるのに、それと並び称される黒澤映画や、山田洋次監督の作品群について、一言も言及しない。
渋沢栄一以外にだって、偉大な商売人や文化人は数多くいたはずである。
第一幾ら渋沢栄一が偉大だからといって、商売は決して彼一人だけで成り立つものではない。
なのに渋沢栄一しか取り上げない。
「我々は日本人なんだ!」と言って日本文化を尊重するような事を言う一方で、歌舞伎役者を河原乞食扱いする。
ティアラの大冒険だったかで、第二次大戦時の戦闘機オタクを自称しながら、岩本徹三氏の記事に、坂井三郎氏の写真を間違えて使ったり、糸川英夫博士が中島飛行機の設計屋だった事も知らない。
何か趣味趣向の偏りが凄い人だなと、かねてから思っていました。
アメノウズメ塾という動画で取り上げていますが、9.11の航空機は、誰がどう見たってCGです。
なのにオートランによるコントロールだと言って聞かない。
オートランによるコントロール技術も確かに色々な面で使われているのかもしれないが、事、あの場合はCGでしょう。
そして大将のあまりの不健康さ。
父の研究成果である、「誰でも簡単に実践出来る、健康阻害因子の除去法」を教えてあげようと思い、折りを見て父の研究を紹介した講談社刊の本を差し上げた。
そうしたら大将、怪訝な顔をして「はい」とだけ言って受け取った。
思えばそれ以降、大将は私の事を避けるようになったと思う。
そして、その後も色々と事件があったんですが、そんな事は私の個人の問題なので、どうでもいい事です。
一つ言えるのはRK保険が全く効かなかったという事です。
そういえば一頃あれだけ言っていた、ラジウム温泉が体に良いという事も、最近全然言わなくなってしまいましたよね。
あとこれも以前コメントした事ではありますが、大将は自分が薬石の専門家であると勘違いをしているようで、糸魚川の薬石のお店だか、資料館だったかな?展示してある薬石にガイガーをかざし、ガイガーが振れない物はただの石ころだと、ドヤ顔で言っていたようです。
世界に冠たる、うちの薬石周昌院も知らないくせに、よくそんな事が言えたもんだw
まぁ長くなるのでこの辺にしますが、そんなこんなで彼の知識のいい加減さ、そして漏れ聞こえてくる女性や金銭に関するだらしなさ。
そういったものに少しずつ気づいていったのです。
メッキが剥がれてきた感があります。
そして明らかに私を避けるようになった大将。正直「お前とは口も聞きたかねーよ」という感じでした。
そして講演会をいくらやろうが、一向にRK理論が世の中に浸透していかない事実。
そうこうするうちに犬丸勝子さんが亡くなり、突如として「保険金殺人リング」なる記事が上がった時、理屈ではなく本能的な部分で、私は「なんだこれ!」という嫌悪感にも似た感情を抱いたのを憶えています。
そしてこれのしばらく前から、明らかにRKブログのコメントの質が低下し始めました。
はっきりとは言えませんが、それまで見かけなかった「とくお」さんや富永さんが登場した辺りからです。
優秀な論客さんが大勢いらした時には、正直言って、コメント欄を読んでいるだけでも勉強になったものです。
ところがその頃から、ただひたすらスレチ記事ばかりを貼り付ける、いわゆるスレチ職人さんのせいもあり、加えて記事自体の下品さ、こういったものも相まって、RKブログを読む気が段々なくなってきました。
そんな折り、マイケルブログが立ち上がった訳です。
ブログが始まって数日間は静観していましたが、記事を見ると大将の言動が、いやにリアリティーのある描写で描かれていました。
あぁ、あの人だったらこういう事言うし、やるだろう。とリアルに想像出来る不行跡です。
ここに書いてある事は事実であると確信した時に、脱藩を決意した訳です。
以上、これが私が大将の支持から脱藩に至るまでの長い経緯ですーー。
ーーかおりんさん、力作ありがとう!! 真摯で誠実な、素晴らしい告白文だと思います。
ちなみに記事中に登場する「中島さん」というのは古参の党員さんで、独立党時代の僕の先輩格にあたるひとでした。
311の福島原発事故直後に僕は彼と福島原発までいき、あのときの無人の町の異様な光景はいまも忘れられません。
ちなみに彼は独立党を辞める際、リチャードさんから貸した金300万をきっちり返してもらってからやめてます。中島さん本人の口から僕、直接聴きました。
直子さんも懐かしいな。電撃さんと直子さんと僕とでカラオケいったことなんかも、そういえばあったんだよなあ…。
しかし月日は巡り、いまや独立党界隈はほとんど崩落、破倫ともいうべきスラム化を開始しております。
独立党とはなにか? 行き場のない弱い自信のないひとたちが、逃げこんでくる裏スラムだ、と僕は思う。
リチャードコシミズもその理論もすべてがまやかしであり、その本質がよく練られた「貧困ビジネス」でしかないことは、
このブログをお読みのかたならもうお気づきでしょう。
醜い金漁りを正当化するためには、もっともらしいアリバイが要る。
それがリチャードさんのいう「世直し」であり「真相追及」なる耳触りのいいひっかけのキャッチコピーです。
だって、ここ20年、彼、一件も保険金殺人犯あげてないのよ!!
マトリへ電話かけたことだって一度だってないーーこんなご立派すぎる活動家がどこにいんのよ!?(笑)
党員の方々にはもう当ブログを見てほしくない、というのがリチャードコシミズの本音です。
故に、ブログでも講演でも僕の名前は一回も口にせず、
党員をけしかけて僕ひとり相手に3つも訴訟をぶつけてくる、などという嫌がらせをするのです。
なんでそんなことするのかな? 浅はかな手品の種明かしする僕が邪魔だからに決まってるじゃないですか。
やればやるほど不利になっていくの、どうして分かんないのかなあ?
笑うねえ、これは(ひっき逃げ)ーー名古屋裁判、民事だからって舐めてると大変だよ、大将(あ。ひっき逃げ)。
僕等、あなたが思っているよりはるかにトコトンいくからね。シナリオももう全部完成してる。
時、来たれり、だよ。あなたの脳裏にいつもあったあなたの終末を、僕等が見せてあげる。
お。独立党脱藩者の告白を募集します。我こそはと思わんかたはご投稿下さい。(マイケル ❤)