ーーリチャードコシミズからためになる知識とか、一切教わったことがない。(水野 匡司)
Hello、皆さん、大型台風21号が我が国を縦断していた 2017年の10月21日ーー
僕等、輿水正「独立党」被害者の会は、関西の都である大阪で、第2回目の会合を設けました。
この会合には、近郊の〇〇からある関西の党員さんもきてくれた。
ここでは仮にH氏とでも呼んでおきましょうか。
このH氏が何年もまえに独立党を脱藩したニンゲンであることは、改めていうまでもありません。
ほかには大阪代表、かつて独立党にあの名曲「イマジン」の USAGI を呼んだ、あの重鎮・水野さんーー
(usagi を呼んだのは彼の功績。池袋の街頭でLIVEを聴いて声かけたやらはRKのいつものホラです w)
並でない論客であるA氏、もの静かなれど独自の底光りする発言をするX氏、ほかにY氏……。
個性的な面子がにぎやかに集まり、現独立党を解体するためにどうすればいいか、
なにをやればいいか、などの話題が豪勢なバリ料理を肴に長時間話しあわれました。
実をいうと僕は案外ひと見知りするほうでして、前回7月の名古屋サミットの際には、
初対面のCHORYOさんなんかと話す際も、それほど肚を割れなかったんですよねえ。
むしろCHORYOさんのほうが気を遣って、ホスト役を買ってくれたような場面もいくらかあって、
なんか、わるいことしちゃったなあ、とちょっとばかり後悔してた部分もあったんです。
でも、今回はばっちりでした!ーーはっちゃけましたねえ。
みんなしてもう激論ーー爆笑!!ーーなんの気遣いもいらない極上の夜となりました。
具体的にどんなことが話しあわれたか?
今後我々はどのような方針で動いていくのか?
などという〇秘事項は会の都合上むろん公にすることはできませんが、
リチャードコシミズという男に関する元・内輪からの複数証言による素描というか、
全体的なデッサン像もこの夜を境に、これまで以上に克明に、よりリアルに描けるようになったかと思います。
そうした面での最大の証人といったら、やはりRKと長年日本各地の講演会に連れ沿って歩いた水野さんでしょう。
ホームタウンである大阪の地にいるということもあってか、この夜の水野さんはもう最初からオーラがちがってた。
顔に似合わぬ下ネタもばんばん飛びだすわ、独自の艶のあるテナーで語られるRK噺には、
僕等は皆爆笑しながらもそれこそ心を折りとられるようでした……。
本当なら後続の記事にあげるつもりだったんですけど、
あの夜に聴いたとびきりのネタをここでひとつだけ披露しちゃいましょうかねえ?
それは ☆2015年の7月、函館講演の際でのエピソードですーー。
トルコ・クーダテーの情報が入った、日本時間でいうなら土曜の朝の出来事だったそうです…。
RK「なあ水野クン、これ首謀したの誰だと思う?」
水野さん「現在、空軍に核を8発持ってるNATOが微動だにしなかったというのは、この動き、NATOはあらかじめ知っていたということですよね? ということは真犯人はロシアじゃなくてNATO…。となるんじゃないですか?」
RK「おお、そうか。そうだそうだ!!」
そしてリチャードさん、嬉々としてPCのキーボードを叩きはじめたそうです。
ーー右手と左手のひとさし指だけをそれぞれ立てて伸ばした、あの独自のクセのあるフォームでもって(笑)
みんなそうだったけど、このエピソードには特に笑かしてもらったなあ!!
このRKブログの記事書いてんの、実質的にはRKじゃなくて水野さんでないの。
後半には、笑いすぎて全員ほとんど腹筋使いすぎた涙目状態でした…。
不正選挙のすべてのデータを握った水野さんにデータごと脱藩されてしまい、リチャードさんはそうとう困ったようです。
2016年の末には、水野さんに毒を盛られたターゲットとRKブログで妄想決めした、
あの酒乱で有名な当のOくんにむけ、RKはこうこぼしています。
ーーなあO、水野くんなんとかもどってこれないか…?
むりだってば、リチャードさんーー覆水盆に返らずだよ。
一度離れたひとの心はもう二度と戻らない。
一度壊れた人望も信用も、やっぱり二度ともどっちゃこない。
この夜同席されたHさんは、2013年の7月の大阪講演を最後に独立党を辞めてます。
彼の入党は 2012年の1月名古屋。その際、CHORYOさんや yiwaii さんらに会ってます。
辞めた原因は、RKが候補者を講演会に呼んでくれといったから、そのために動きだしたのに、
実際にそうして動きはじめるとなぜかその動きを疎ましがり、手続きしようとしたら、
メールでそれをやめてくれといってきたため…。
(ここで水野さんがひとこと。ジャラシーやね。RKは行動力のある目立つ党員は嫌うんや w)
Hさんはこの大阪講演の帰りしな、阪急〇〇のロッテリアのゴミ箱に党員証を破って投げ捨てたそうです……。
まあ、これからみかん姉と皆が電話で話したり、深夜まで北のカラオケで歌いまくったり、
あと現党員のしろまじょさんに電話したら出たんでみんなして話したり(録音あり。だけど、これは挙げません)
翌日夜に中島さんから懐かしい電話がかかってきたり、
まあなんというか、僕等にとってはなんとも思い出深い、忘れがたい夜となりました…。
こうした縁を紡いで僕等を大阪の地に集めてくれたリチャードさんにも、やっぱり僕等は感謝すべきなんでしょうか?
みかん姉さんは、このような機縁でも感謝はすべきだ、みたいな持論をもってらっしゃる。
うーん、東洋的な謙譲的哲理の見地からいうと、すべきなんでしょうねえ?
ただ、アタマのわるい中学生みたいに劣化した、週刊誌の切り貼りみたいな記事ばかり綴っている、
立憲民主党のサポーターみたいになり下がったいまのRKにそれをするのはやっぱり癪なんで、
僕等の哀憐の含み笑いもとりあえずはいっしょに同封して送りつけてやりましょうかーーねえ!?(^0-y☆彡
ーー党員の ネタに波乗りRK いつも楽ちん 腹も出るわな www