窓辺で寝そべる猫

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金沢 東茶屋街と主計茶屋街に行ってきました。

2012-04-25 09:23:10 | 日記


前から一度行きたいと思っていました。
桜は少し盛りを過ぎていましたが


利家と松は大河ドラマでやっていました。
繁栄の基礎を作ったのは3代目前田利常
中村彰彦著 『われに千里の思いあり』(全三巻、文藝春秋)
なかなか面白い作品でこれを読んで行ってみたくなりました。


ここは店先に商品を並べ客引きをしないので町並みがすっきりしてました。
みやげ物目当ての観光客には少し物足らないかもしれません。


落ち着いた古都を感じました。


駆け足旅行でゆっくり雰囲気を味わえなかったのでもう一度来てみるつもりです。


中学の頃金沢を訪れた記憶が在ります。
金沢城と兼六園
その頃この場所はどんな感じだったのか1700年だいはどうだったのか知りたいです。


川を見ながら方丈記を思い出しました。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。



玉城城跡(三重県)に花見です 4月14日

2012-04-17 08:21:05 | 日記
午後 一人運転していたら車の渋滞がまだまだ続きそうなので玉城城跡に桜を観に行こうとハンドルを切った。
ここは織田信長の息子 信雄が北畠から手に入れた城です。中国の竹田城ほどの規模はないですが容姿はなかなかの物です。たしか家臣が金を盗みその時ついでに?放火して焼失させたと記憶しています。

城跡への坂道は雪がふったような桜道 思わずラッキーと携帯を取り出しました。
時期的には少し遅いのでしょう 土曜日なのにほとんど人はいません。 

この季節に此処を訪れるのは初めてです。

信雄もここからこの平野を見下ろしたのでしょう その頃はこの桜は無かったでしょうが
信雄の性格や行動は魅力はないです。あの時代では珍しいものではなかったようです。
彼は此処に来る少し前義父を信長の命令で暗殺しています。宇喜田の祖も同じ
ただ宇喜田の祖は全てで信雄より秀でていたようです。

今でも思うのですが彼の素晴らしさは戦乱を生き残った事だと思います。
秀吉よりも家康よりも長く。
秘訣は「自分の事しか考えない」そんな風に私には見えますが

石垣は初期の様式ですが1部此処数十年の間に補修された所もあります。

この時代の城は自分の命を守るための物と言う視点で見るとまた興味深く私には見れます。


素晴らしいお天気で積み残された石垣の1つに腰を下ろし桜見物です。
花は3分か4分しか残ってませんでしたが桜と空の色が素敵でした。

思わず仰ぐ空に秋の終わりを感じました。輪廻転生 桜も次に来る季節の為に散っていくものなのでしょう。




春谷寺に花見 12.04.05

2012-04-06 08:54:48 | 日記



国道166号線の飯南高校の手前に飯南地域振興課の建物があります。
春谷寺の入口になります。



毎年3月の中頃になると ここに電話(0598-32-2511)を入れさせてもらいます
桜の季節になると職員さんが出勤前に花の状態を調べに行ってくれます。
さくじつ今年4回目の電話で1年ぶりの桜との対面です。
「彼岸桜は満開で他は7分」とのことでした。 職員さんありがとうございます。


平日なので それにあまり知られてない?ので今のところ混むこはありません。
山間の静かな場所です。



10名程が花見を楽しんでみえました。


江戸彼岸桜は老木で花数は多くありません。それは春の日に陽だまりにたたずむ老人
「生きてきたからこそ また今を迎えられた」そう語りかけてくれているようです。  来年もまた無事で会いたいものです。