窓辺で寝そべる猫

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宮上に大谷吉継の陣跡を訪ねる

2016-05-14 22:47:56 | 日記
ある晴れた朝 関ヶ原の大谷吉継のお墓に詣でました。
前回 宇喜多秀家の陣跡まで来たのですが道が判らずリタイヤしたので再挑戦でした。


大垣から21号線を米原方面に行くと右側に東海道本線が見えます。
関ヶ原の町を過ぎると正面に新幹線の高架が21号線と東海道本線を交差する手前に信号があり
そこを右斜めに曲がり50メートルほどで右側に神社への石段が見えます。


石段を登り切り国鉄の線路を渡ると若宮八幡の境内です。
神社の右をヒノキの香りを楽しみながら少し小道を行くと陣跡に着きます。


歩くこと数分で正面に松尾山が広がります。
その頂上付近に小早川の旗がみえました。


陣跡から更に登ると藤堂家が建てた墓に着きます。

墓の横にもう一つ墓 湯浅五介 大谷吉継の部下で吉継の介錯を務め 
主人の命で首を隠したところ藤堂高虎の甥に見つかり自分の首と引き換えに
主人の首を守った人。
藤堂 高刑も約束を守りその場所を明かさなかった。


巷では舛添さんがすごい人気です。大学教授でしたから喋るのは得意ですが本質は
野々村さんと同レベルではないかと思います。
人の価値とは見えない部分でどう行動するかではないでしょうか?
人が見ていなければズルをする人はどんなに名声があってもダメ。

高刑ならバカらしくて相手にもしないかも。



私 大谷さんって武将としてはすごいと思うのですがリーダーとしては考えてしまいます。
家族を守り部下や部下の家族を守るという視点から見るとどうなんだろうなと。
「お疲れ様でした」と頭を垂れ墓を後にしました。


小雨 関ヶ原 笹尾山に行く

2016-05-05 16:00:13 | 日記

小雨の降る日 関ヶ原に降りました。訪れる人もほとんどなく何万もの人々がここで生死を賭けたとは想えぬ静けさでした。
笹尾山を目指し まだ芝生のような雑草地の中の道を歩いて行きました。


笹尾山は山と言うより丘で陣跡に三成の旗がはためいていました。

三成と言う人は典型的な日本官僚だったような気がします。指導者に対しては非常に良く心遣いが出来 てぱきと仕事をこなしていく有能な人材だったのかな?
しかし人の心をつかめる魅力は極端に不足していたと丘を登る数分間にそんなことを考えました。


松尾山は霧の向こうで見えません。小早川秀秋は寧々によりその短い人生を弄ばれ これは寧々の茶々に対する怨念でしょう。
どちらが勝ったかは淡々と生きながらえた寧々なのか織田の血を徳川に引き継ぎ命を終えた茶々なのか判りませんが人騒がせな話です。