昔 一人の男が日本を去ることを選びました。その男の名前は高山右近。彼がフィリピンで亡くなったことは知っていたので終焉の地に行きたいと思っていました。
旧パコ駅前のロータリーに銅像は建っていました。ここからそう遠くないところに彼らの住居があったそうです。
銅像の視線の先に日本はありませんでした。まだ見ぬポルトガルのほうを見ているのかもしれません。祖国を去るという事は現在でも大変なことだと思います。
彼の遺骨は大平洋戦争時日本軍の侵攻で逃散してしまったので死んでからも日本に迫害されたと見るべきなんでしょうか?
私たちの知らないところで私たちの身近だった者が命令の下で他国に多大な損害を与えたと言う実感は国内では考え難いのですが こういった場所に来ると見えてきます。当事者たちの高齢化に伴い証言者たちはいなくなります。広くいろいろ見て感じてみます。
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