どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

スーパーマンはそう滅多にいない

2015-09-20 21:34:24 | 日記

 

ブラック企業という言葉がある。人を働かせすぎている会社を指す名称だが、パワハラ・セクハラが加わればなおのことブラックである。

ただケースによって違う場合もある。単に労働時間や厳しい雇用規則だけならアマゾンはブラックだ。IT系にはブラックとしか言いようのない企業が多い。グーグルでは福利厚生の充実で知られているが、逆説的に会社から出るなというのが本当のところだ。アップルも新社屋になればそうなるだろう。移動時間から全て会社に捧げよと言っている。見方を変えればそうなる。

ただ彼らは給料がいい。そしてグーグルやアップルにいたという経歴がつくわけだ。アマゾンの下っ端だって、ある程度出世すれば評価が出る。

日本にもそういったブラック企業があるらしい。とんでもないブラック企業らしいが、そこに3年いれば引く手数多になる。あるレストランだが、厨房を楽させないオーナーがいる。正確に言えばとても自由な職場なのだが、仕入れをオーナーが握っている。彼が仕入れたもので料理をさせる。新鮮で安いのを買い付けてくるといえば言葉はいいが、形が不揃いで味も揃っていない。それで料理しろという。それでいて味にはうるさいし、盛り付けにもうるさい。だから仕込み時間を含めると、普通の厨房よりかなりの長時間労働を強いられる。世間相場よりやや薄給でもある。それでもそこを出ると、確実に今よりいい仕事が待ち構えている。

そういった企業が少ないのかもしれない。

 

 

日本人は生産効率が低いから長時間労働になってしまうという考えはある。その生産効率の悪さは、人間関係の構築が煩雑だからという点に尽きる。企業が大きくなればなるほどそれは煩雑になる。東芝の事件のようにわけのわからないことも起きる。

なぜ煩雑なのかといえば、個人というのは多様だからだ。そして儒教的な上下関係もあり、役職による上下関係もある。

だからそれを逃れようとした企業はいっぱいいた。多分一番有名なのは、松下電器だ。松下幸之助は積極的に自書を発行した。そしてそれに添った出版社も設立した。経営の神様とも呼ばれたほどだから、他社の人にもよく読まれただろう。だがあの「水道哲学」を社内に広めるためには、他人からの賞賛が必要だったのだろう。一つの方向にまとめ上げるためには、様々な努力が必要なのだろう。

だがそれではスマートでないという経営者は、シンプルな言葉で纏め上げようとしてきた。それではブラックと名指された企業は、ここに集中している。ワタミもゼンショーもそうだ。ユニクロも初期は簡単な言葉でまとめていた。

人をまとめ上げるためには、言葉が必要だ。

ただ言葉は暴走するときもあり、単純であるが故の危険性がある。

 

 

それではブラックバイトという言葉がある。最近なのだが、ブラックバイトユニオンという組織ができた。ここにある事例が凄まじいい。

1日12時間労働で4カ月連続というのは、多分まだぬるい方だ。桁外れなのは販売ノルマではない。確かにキャンペーンチケットを10万以上買わされていたのはおかしい。給料遅配もある。その上でやめようとすれば脅迫している。アルバイトのグレーゾーンにしてもおかしい。

そもそもアルバイトなので無能だったら即刻クビにできる。なのにそれをせずにここまで過激になったのか。

ここには二つの理由が有る。訓練すれば人はなんとかなるのだ。人手不足の業界では常識だ。だから厳しいこともする。もう一つの理由は、アルバイトは仲間でないと考えている場合だ。

モーニングに「ギャングース」という漫画が載っているのだが、そこの欄外に振り込め詐欺のようなお金を地元の有力者のヤンキーにわたしてフランチャイズの店を開かせてるという手法が載っていた。

裏の金を使うということで、法的には問題があるが、道義的には悪くないと思う。だが裏の手法をどうして表に使うのか。仲間でないのに使うからこんなことが起きるのだ。

 

 

コンビニがクリスマスケーキの予約販売を始めた頃からだと思うが、バイトの学生からノルマという言葉を聞いてきた。呑んだ学生もいた。だが中にはバケモノがいた。ノルマ超過で売りまくった挙句に、ノルマ達成の報奨金から全てを使ってクリスマスパーティー一次会を開いて遊んでいた奴がいた。

だが多分、これが日本のエリート養成法なのかもしれない。


一人旅に出かけようとしても、北東北大学野球にかこつけないと動けない私

2015-09-20 00:53:26 | 日記

 

久しぶりに朝早く目覚めた。せっかくの天気にいつも通りというのは味気ない。せっかくだから電車にでも乗って、非日常へと出かけたいものだと思っていた。だがいつもは踏ん切りがつかなかった。今日こそは出かけよう。

どうせならと、非日常の遠野に向かう。

 

 

シルバーウイークということで、65歳以上と思しきめす方々がいっぱいいた。特に花巻からかなり乗ってきた。どうも居心地が悪くなる。マジメにお年寄りたちは自由だ。自由すぎてこちらを圧迫してくるのはイカントモシがたい。

年をとるとみんな紳士になるわけではない。

なお遠野駅脇の、かの有名な「親不孝通り」ずいぶん店が減ったものだな。

 

 

水木しげるは確かに「水木しげるの遠野物語」という本を書いています。そのラッピングバス。感度高いなぁ~早池峰バス。と思っていたら、水木しげるブームから徐々に高まっていた妖怪ブーム、それにあやかっていたようで、遠野といえばカッパ、カッパといえば遠野です。カッパといえば妖怪で、たまたま「水木しげるの遠野物語」があって妖怪ウォッチがあって、なんか変な感じになっています。カッパの格好をして遠野市内を観光しようとか、コスプレが何種類か用意されていました。方向性がどうなってんのという気もします。

 

 

たまたま遠野祭りというのをやっていました。遠野近辺のお祭りを集めた「お祭りのワンストップサービス」です。まあイロイロあるとは思うのですが、これはこれで面白い。

 

 

 

非日常とか言いながら、しっかり仕事をしています。北東北大学野球です。前のカードは八戸学院大対富士大です。今期は先週すでに富士大が優勝決定しています。青森中央学院大の6位も決定している消化試合です。まあ見に行きたかったんですが、今季に限って球場が凄まじい場所にしかないのですね。一戸球場や八戸東球場なんかマシ。ライジング・サンスタジアムって野田村。近辺に宿を確保しないと同じ岩手県でもキツイ場所。大迫球場は車がないとツライ。試合開始時間と対費用効果を重ね合わせると、この遠野球場のこの日しかなかったわけだ。ただそれでも行こうとは思わなかったのだが、朝早く、目覚ましもなく目が覚めたのだから仕方がない。この時点で非日常なのだ。

 

 

遠野球場一塁側にナゾのスポット発見。右下のフェンスの一部分が黒くなっています。どうも誰かが写真撮影のためにこっそりとフェンスのネットに黒のスプレーをかけたようです。グランド内からはこれは見えません。いやよく考えたな。

効果ですがバツグンです。やっぱり緑かぶりが強く出るのに比べればスッキリきます。もちろん無いほうがいいのですが、安全管理上問題があるわけで。でもどうして緑のフェンスなのか、そこはわからないですね。もしかするとナイターの時の見栄えのためかもしれません。とはいえわかりません。なんでゴルフ打ちっ放しもスポーツ関連のネットやフェンスは緑なんでしょうか。

 

 

遠野駅から遠野球場まで、最初最寄りバスで行こうと思ったのですが、致命的に本数が少ない。いや幹線に近いはずなのだが本当に少ない。それでは他の路線を見ればこれも少ない。とうことでタクシーで行き帰りしたわけだが、電車賃より高くついた。そして帰りにタクシー営業所に電話をすると、遠野市営球場の場所がわからないらしい。いやこちらは確かに調べてはいたものの、近くの施設とかは知らない。だから話が右往左往する。それでも待っているとまた電話が来て確認してくる。

どうもここにタクシーで乗り付ける人も少ないらしい。大体は車で来てしまう。バスなんか使いはしない。だからタクシーの営業所もよく知らないということなのだろうか。そう思って聞くと、単にあの人がおかしいだけだと言われた。だがそこから少し話がずれて行く。まるで私がその人を知っているかのような話に変わってゆくのだ。私は電話口でしか知らない変わったオッサンだとしか思っていない。盛岡も田舎だとは思うが、この感覚は久しぶりで面食らった。

なお遠野がいかに車社会かというのに、変な証拠を見つけた。遠野市民球場の公衆電話の上に、タクシー会社の電話番号が書いた紙がないのだ。タクシーを利用する客がいるかもしれないと思っている球場には必ずある。ないのは盛岡市民球場で、事務局がないからだ。岩手県営球場にはあるし花巻市営球場にもある。雫石町営球場にもある。

遠野市民球場では、タクシーを使うお客さんが滅多にいないか、考えたこともないのだ。

 

 

仕事のほうは、球場が規定通りなのに以外と狭くてなんか苦労しました。そして今日の勝者は、富士大学とノースアジア大学、青森大学で、ある意味順当です。

しかしのんびりした球場でした。これぞ非日常です。岩手大学のフダがベロンとめくれて風で煽られています。それを直そうと必死です。コッチに気をとられてヒットを取り損ねました。

ということで、ゲンの悪い状態になった試合でして、のんびりしてきました。

 

 

3時9分の快速に楽勝で間に合う時間に試合は終わりました。割といい試合だったので、押すかなとドキドキしていたのですが、以外とあっさりと終わりました。

 

 

そういえば向かう時のタクシーで、今まで遠野について考えていなかったことを思いついて聞いてしまいました。「遠野って城下町ですよね」「山城だからよく見えないんだ」「にしても旧市内は碁盤の目ですよね」「京都っぽいだろ」

いや少し違う。遠野南部家は本家の盛岡南部家に遠慮する形でわざと弱く見せる城下にしたのだろう。よく見ると川がよく使われている。そして盆地ならではの峠の配置などもよくできている。城下に迫られたとしても、敵の方が不利な地形だ。そして敵は誰かと想定すると、間違いなく盛岡南部とその直轄港の宮古と花巻南部だろう。多分そういった城下だ。

その中で恭順を示しつつ発展させる方法は、仙台伊達の方法論だったのかもしれない。山城と城下という考えだが、経済の発展にはもっと合理性のある形にした方が良い。天然の要害でもある。一番の敵になるはずの伊達藩が一番攻めにくい。

物資の集積地としての遠野はある。そこを合理的に配置したというのがポイントだと思う。

 

 

そのよくわからないタクシー営業所とのやり取りの際にウロウロしてキノコを発見した。

 

 

列車の時間には十分に間に合う。遠野祭りを見て行く。

鹿踊りが行われていた。この鹿踊りもイロイロあるようなのだが、腹に小さな太鼓があるのとないものがある。遠野では、ないバージョンだ。この木を薄くカンナで削いだモフモフがたまらない。実は球場に向かう際も幾つか見たのだが、恐ろしく違和感があった。何かがおかしいのだ。とんでもなくおかしいのだ。

どうもお祭りの神楽に代わる神事での、一般人の奉納芸から、角付け芸に変化したバージョンがあるようなのだ。ただそれを遠野の人は何も不思議に思っていないようだ。フルバージョンは長い。短縮版でも15分程度なのだが、2分のバージョンがあるようだ。

さて、この写真に河童がいます。駅前のお食事どころなのですが、どうもそこの名物のようです。写真の中央左です。

遠野市は、河童捕獲許可証を発行していたと思うのだが。

 

 

駅前は間違いなく非日常に染まっていました。

 

 

えっと、駅前に縁日ナンチャラというのがあったのですが、その関係者かもしれません。とりあえず、今回かっぱ3匹ゲット。ジバニャンもゲット出来ました。

ポケモンじゃないから?でもこのノリは好きです。

 

 

さて遠野の鹿踊りです。この鳥の羽ですがヤマドリの尾です。実はここも今まで考えていなかったことなのですが、ヤマドリの羽は結構高いと聞いています。一番の理由はとるのが難しいということです。追い立てるいい犬がいて、腕のいい猟師がいてそれで取れるといいます。飛んでいるところも林の中で、ライフルは跳弾を考慮すれば不可能、散弾でも追い立てられて飛び立つ瞬間以外は難しいようです。

そして肉がキジより美味と聞いています。しかし食べられるわけがないだろう。かなりの高級食材と聞いています。

おい立てる犬なのですが、できる年限が限られているそうです。3歳から6歳までのあたりと聞いています。だから3年に一頭子犬を手に入れなければいけないわけで、ヤマドリを獲るためには犬を最低で2頭飼い続けなければいけないようです。しかし猟師が高齢化して、継続が怪しくなれば、当然犬を飼うのをやめるわけです。

で、震災があり、放射能汚染がありヤマドリ猟は一時中断したのです。そうするとヤマドリを獲る猟師も一気に減るわけで、羽の供給も少なくなるわけです。実は貴重品です。

 

 

屋台が出ています。小腹が空いたのでタコ焼でも買おうかと思ったのですが、500円ですか。非日常と言いながらケチな根性が出てきます。一通り店を回ってから確信します。ちょっと高い。多分街の規模から行って、価格競争がないのだろう。

ただそうやってみて行くと、食欲がどんどん減って行きます。お好み焼きやさんと唐揚げ屋さんがコストパフォーマンスがいいと思うのだが、これを持って列車に乗るのかと思っただけでもうアウトです。

実は私、これ病気だと思っています。腹が減ってコンビニに入ったのに何も買わずに帰ることがかなりあります。スーパーでもそう。いっぱい商品があると、比較検討して行くに従って食欲がどんどんなくなってしまうのです。その上今食べたいのはコレジャナイとか考え出して、どうしようもなくなるわけです。検討しなければいいのですが、欲望に忠実なんてとてもじゃないけどできません。

なんでここまで来て、またこうなるのかと、途方にくれました。

 

 

遠野は広いので、いろんなお祭りがあるようです。なかなか風流な山車です。

私だけだと思うのですが、花巻から遠野にかけて、男の顔がとても濃いように感じています。

 

 

駅に戻ると、鹿踊りが行われています。この鹿踊りですが、本来長いものです。神楽からきているものだと思うのですが、演目と構成が決まっています。ただ神楽堂の舞台上でやるのか、地面でやるのかという差だけだと思うのです。踊りが激しいので神楽ほどの時間はかけられないが、形式が大切なはず。それが球場に向かうタクシーの中から、門つけ芸として2分程度で終わるのを目撃してしまって、とても驚いてしまいました。

なんでこうなるのかはわかりませんが、どうも衣装代が高いためなようです。このカンナクズを身にまとっているだけのような衣装ですが、このカンナクズが実は高い。白くてしなやかでフワっと風に舞うような柔らかい木が必要なようです。そこでヤナギの仲間のドロノキを使うのですが、その柔らかい木を薄く削ぐのがどうも難しいようです。それが得意な大工さんが削って売っているそうなのですが、一枚あたり何十円かということ。それをここまで盛り上げたらチリも積もれば山となる。6万程度と言います。

その上カンナクズですから、切れるし痛む。雨に当たったり極端に乾燥すると収縮して縮れて風に舞わなくなります。その上変色してしまいます。なので新品を胴体に使い、変色したのを尻尾の方に使い回しているようです。ヤマドリの羽だって踊っていれば痛むわけで維持費がかかるわけです。なので少しでも稼ごうと、年に一度のお祭りだけでなく門つけ芸に発展したのだろうと推測しております。

まず民俗芸能祭りとかでは見られない、原地でないと見られないショートバージョンでした。

 

 

遠野駅前にはコンビニがないのではないのかと。鹿が2頭、キヨスクに来ています。どうも小腹が空いておにぎりかサンドイッチか食べたいようです。ただ衣装がかさばって中に入れません。思い切って入った一頭は出て行くときにヤマドリの羽を看板にぶつけてしまいました。カンナですから、かさが張っても柔らかいので棚からものが落ちることはありませんでした。

このキヨスク、なぜかおにぎりとサンドイッチがない。菓子パンはあるが軽食になりそうなものはなぜかカップラーメンのみ。どうも通学の高校生対象の品揃えのようです。

なお鹿にヤマドリの羽を聞いてみますと、「山に行けばいっぱいいる、簡単に獲れる」と言い放ちます。

キジと混同しているようです。

 

 

帰りの列車が来ました。乗客の三分の一は観光客で年齢が高めです。とはいえ行きのあの居心地の悪さはありません。まあ彼の方が特殊だったのでしょう。

そういえば釜石線ですが、接客が良くなったように感じます。なぜなんでしょうか。多分SL銀河号で観光客が増えたのと、特別な列車を走らせているという意識があるのではないのかと思います。以前だと地元の足という意識が強かったのが、SLのおかげでその足に観光客が乗るようになったのではないのか。1日1往復のSLだとどうしても帰りの時間に間に合わないので、普通列車にもお客さんが入る。するとサービスもSLに合わせないといけなくなった。そうゆうことなのでしょう。

そしてSLを走らすというのは、本社直轄事業だったのでキビシク見られたというのはあったと思います。人材交流もあったわけですし。

 

 

行きも感じていたのですが、どうも東和町近辺の田んぼの荒廃がすごい。手入れの行き届いた田んぼとそうじゃない田んぼ、転換作物のソバや大豆を植えているところ。そしてすでに稲刈りが終わっているのは飼料用の田んぼ。そして耕作放棄地が混在しています。中山間地ですが、土地改良で整然と並んだ田んぼでした。道路もかなり整備された理想的な田んぼが、今や見る影もありません。

なぜこうなるのかといえば高齢化ですが、もう一つ別な理由があります。それはこの一枚一枚の所有者が違うことです。なので所有者の考えが違えば、バラバラな景観になるわけです。飼料用に転換した人、他の作物に転換した人、米は作るが意欲を失った人、そして耕作を放棄せざるを得ない人、それが見えてしまう悲しさがあります。

 

 

そしてこれが一番驚いたのは、松がれ病の蔓延です。いやすごい。多分この山の松はほとんど枯れてしまったのではないのだろうか。蔓延を防ぐには、このたち枯れた木を切り倒して焼却処分しなければいけません。でも切り出す人も運ぶ人もいないようです。お金にならないからしないというのもありますけど、山を守れなくなったというのが本当のところなのではないのでしょうか。

 

 

東和町は岩手県内でもかなり有利な場所にあるのですが、それでもこうなってしまうということは悲しいいことです。

 

 

帰りによいちに寄ります。お祭りからお祭りという格好になってしまいました。わしの尾のよいち限定品をゲットして、日常へ戻ります。