カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

仕事始めてひと月すぎた

2011-05-12 18:16:43 | 日記
 今週は昼食もままならず忙しかったせいか4日目はもう気力との戦いだ。これから夜の11時半まで休憩とりながら続く。
 仕事に集中してしまう性格、自分に何ができたか、できるのかそんなことばかり考える日々。問題が次々と起きてくる中なんとかバランスを取ろうと必死である。

 思考の中で振り返り作業が多い自分に気がつく。自罰的思考に陥りやすいので気をつけて仕切りなおしと気持ちの切り替えが大事と思っている。
 さてその気持ちの切り替えで今一番気に入ってるのは音楽を聴くこと。。爽快な曲を聴いていると沈みそうな気持ちも楽しくなる。音楽は偉大だ。思えば私の家族はみんなそれぞれ好きな音楽があってそれぞれよく聞いている。娘がときどきこんな歌があるよって教えてくれる。DVについての歌だそうで、最近彼女のからディスクリミネーションのはなしとか人権に関することを聞かされる。精神的成長があるなぁと誇らしく思う。がんばれ!!

カナダの病院

2011-05-10 21:50:26 | 日記
 シンガポール、インドネシアの新しい病院とよく似たつくりであった。個室にはモニターがぞろり、トイレとシャワーもついている。TVもありベットはボタン一つでいろんな機能がついている。なかなかの施設である。使い捨ての体拭きようのタオルはいつも適温になっており、シーツやタオルは使い放題で汚れたら廊下のかごにポィ。看護婦が点滴をしにきたが、機械に点滴の名前、何本目、時間に何ミリリットル入るのか、、全部インプットされている。間違いようがないだろうと思うくらい。
 患者をベットから車椅子に移動させるのは必ずリフトを使う。自分の腰を守るため法律で決められている。家庭に患者をベットから車椅子、そこからトイレなどに移動する時、電機で動くリフトを天井からつけてるのをよく見かける。取り付けるために国から援助費がでる。介護者の腰痛はいわゆる労働災害という認識が強いのだろう。介護者は患者が要求しても、自分で患者を移動させたりする行為を断ることができる。ということは病院や施設が必ず移動式リフトを持っている。

 不便なのは担当看護士がいないと違う看護師にいっても断られるし、、15分といわれて1時間待つこともあったし。。。あれ?午前10時の薬が今日は12時だ??とかなにやらよくわからない。
 いろんな専門家がきた、呼吸理学療法士、、栄養士、、医師は5人ほど若い人を連れてきた。教育病院でもあるらしい。入院は日本よりずっと短い。中途半端でもよい兆しに乗ったらすぐ返してしまう。

チェッキング アカウント セービング アカウント

2011-05-07 13:51:23 | 日記
 銀行に行って、今まで使っていたアカウントの内容を変更した。まず学生割引の25回 デビットカードをお店で利用してもただというのが、今度からは毎月600円 かかる。これはデビットカードという現金を持たなくてもお買い物できる。カナダではほとんどのお店で使える。今まで普通預金しかなかったがセービングアカウントを開いてみた。毎月預金額の0.5%が加算される仕組みである。まずは数ヶ月これで様子を見て、もっと高い1.25%に移行する予定である。必要な時にお金を使ってしまってもペナルティはない。
 SIN ナンバーと住所が決まってようやくカナダの銀行のビザカードを作ることができた。始めは1000㌦まで利用可能で様子を見て半年後に2倍にできるという。過去の銀行バランスをチェックされ、残高はいい状況にキープしてるわね。。と。雇用主の名前を聞かれ毎月の収入状況も確認したい様子であった。たしかに収入の少ない人に多額のビザを利用されたら、両方とも困る。1000㌦のままにしておいたほうが良いかも。。。。

 経済のことはよく知らない人間なので、元本保証されていると安心だ。
 またアラブやインドのようにゴールドに変え身に着けたほうが良いのかなぁ?アラブにいたときゴールドスークでおばちゃんが金の腕輪を自分の手首からはずしはかりに載せてお金に換えていたことを思い出す。

War Dance (DVD)

2011-05-05 23:58:02 | 日記
 ウガンダで国内の小学校のミュージカル祭に出演した国内戦争に巻き込まれた北部難民キャンプの子供たちが心の傷と戦いながら自分の価値を見出していくドキュメンタリーである。親兄弟の惨殺された遺体を目の辺りにした記憶、、罪のない農民を袋叩きにしてころさなければ自分が殺されてたという、、兄が連れさられた、、子供兵士を養成するため??そんな過去を持った子供たちが、首都カンパラに来て5000人もの子供たちとダンス、音楽を競演する。そしてその経験を元に自信を持ってまた難民キャンプに返っていく。
 子供たちの素朴な生活を見ると生きるために必要なものってほんの少しで間に合うはずだとまた思う。働き者の子供たち。父親が殺されて、母親は仕事に出ているので、14歳の女の子が3人の兄弟の面倒を見て毎日暮らしている。コンクリートの上にわらを敷いた床で4人寄り添って、肘枕で寝ている。ある日母親が4年ぶりに父親が埋められている場所に女の子を連れて行ってお参りしてた。女の子は激しく泣き倒れ、母は涙をこらえて優しく言い聞かせていた。そんなに悲しむと父親も悲しむと。
 あまりにもつらいことが起きると感情を殺してしまうのか子供たちは無表情なことが多い。ナンシーは両親を殺され、現在おばのところで朝から晩まで家事や子供の世話に追われている。しかしカンパラから帰郷した時にはには素敵な笑顔でキャンプのみんなに手をふりながら、今の私は過去の自分とは違う。キャンプにダンス部門で優勝をもたらしたメンバーの一人だから。。この結末で心が救われた。

 協賛しているのはAMREF(アフリカン メディカル リサーチ ファンディション)アフリカでフライングドクターサービスを提供していた。骨折したメンバーが電話でフライングドクターに連絡し田舎から首都の病院まで緊急に運ばれ、命拾いした話を思い出す。。。。。いつかまたアフリカに家族といける日が来るだろう。

2011-05-03 18:55:02 | 日記
 姪が母の状況についてメールをくれた。ありがたくて涙が出た。姪と母が楽しそうに会話している姿が目に浮かび、また私も同じような会話をして楽しんだことを思い出した。姪は母にとって初孫だったので本当にかわいがって育てていたのを思い出す。
 大正生まれの母は貧しい子沢山の農家に長女と生まれ、なかなか学校にも行けず家を手伝っていたという。器用な母は着物を縫ってはお小遣いにしていたらしいが、農家の暇な冬の間に洋裁を習ってそこから、道が開けたらしい。生きる力を感じる話が盛りだくさん。いつでも私には 昔は苦労したけど今は好きなことやって暮らして幸せだ。。という。
 4月末に今年は帰れない、来年の4月に帰れるかな、と話したらちゃんと理解してて姪に話してたという、安心した。いろんなお年寄りにであったが、中にはいつも悩んで苦しんでいる人も多い。母は昔から、母さんは大丈夫だから、、が口癖でまず自分から電話をかけてこない。心配になるくらいだ。
 なかなか親孝行ができないがまめに電話をかけよう。ところでどこにいるの?といつも聞かれ、カナダと答えてるのだが姪にはシナに行ったと答えたらしい???シナってどこ??チャイナ??