カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

2011-05-03 18:55:02 | 日記
 姪が母の状況についてメールをくれた。ありがたくて涙が出た。姪と母が楽しそうに会話している姿が目に浮かび、また私も同じような会話をして楽しんだことを思い出した。姪は母にとって初孫だったので本当にかわいがって育てていたのを思い出す。
 大正生まれの母は貧しい子沢山の農家に長女と生まれ、なかなか学校にも行けず家を手伝っていたという。器用な母は着物を縫ってはお小遣いにしていたらしいが、農家の暇な冬の間に洋裁を習ってそこから、道が開けたらしい。生きる力を感じる話が盛りだくさん。いつでも私には 昔は苦労したけど今は好きなことやって暮らして幸せだ。。という。
 4月末に今年は帰れない、来年の4月に帰れるかな、と話したらちゃんと理解してて姪に話してたという、安心した。いろんなお年寄りにであったが、中にはいつも悩んで苦しんでいる人も多い。母は昔から、母さんは大丈夫だから、、が口癖でまず自分から電話をかけてこない。心配になるくらいだ。
 なかなか親孝行ができないがまめに電話をかけよう。ところでどこにいるの?といつも聞かれ、カナダと答えてるのだが姪にはシナに行ったと答えたらしい???シナってどこ??チャイナ??

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2 コメント

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Unknown (アブ・ミズキ)
2011-05-05 04:11:17
「孝行をしたいときには親はなし」ということわざを逆手にとって、「息子が孝行をしたいと思わないうちは死ぬことはない」と屁理屈をこねていたが、私の母もそろそろ親孝行をしておかないと後悔しそうな年になってきた。母は満州事変の発端となった柳条湖事件の翌日の生まれ。時の首相は若槻礼次郎。当時中国は支那と呼ばれていた。昭和13年の渡辺はま子のヒット曲に「支那の夜」というのがある。戦後支那は中国の蔑称として使われなくなったが、もともとはあの始皇帝が建てて秦に由来する言葉で、英語ではチャイナと発音するけれどもフランス語ではシン。ちなみに中国を指すもう一つの言葉に航空会社でおなじみのキャセイというのがある。こちらは契丹に由来。
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Unknown (サラ)
2011-05-05 19:19:20
シナってなんねんやwwww

おもしろいね
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