カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

母 危篤で カナダから帰国

2017-09-28 08:43:19 | 日記
97才の母が入院し2週間すぎた。カナダから長野の同窓会に参加するため帰国は3ヶ月前から予定してたが、母の入院中の写真をみて 全部キャンセルして 入院中の母のお見舞いを優先することにした。タイミングが良すぎる くらいである。母は寝たきりで 喋ることもできずただ死を待っているようであったが、私が行った10から22日までは調子が良く 痰を自力で出したり いろいろ喋り出したりしたものだった。
質問は 子供はどうした?どこにとまっているんだ?というような 一瞬母が 正気に戻る時であった。
死ぬまで看取りたかったが 予定どうり帰国。母は いつどうなるかわからない状況で今は 肺は改善したが すっかり寝たきりになってしまった。
お別れの日も日中ずーっと目を閉じていたが 帰り間際にさよなら またねというと ずーっと手を振ってくれた。これでもう最後だろうと思いつつ手を振った。

地球の歩き方

2017-09-04 18:18:00 | 旅行

姪の長男が 3週間の英語文化交流クラスを受講し、たくさん友達を作って明日帰国する。友達は残念ながらカナダ人じゃなくて、語学を学びに来た日本人がほとんど。でも日本で北海道以外に友人ができたと喜んでいた。地球の歩き方を持参してきた。今どきはネットでいろいろ調べられるが、旅行だとWi-Fiがつながっていないところにしばし滞在するかもしれないし、本を持ってくるのは妥当。

私が若いころは、もちろん携帯電話なんかなかったから、地球の歩き方を持って旅行したものだ。その情報をもとにアルハンブラ宮殿の中にあるホテル(昔の修道院)の電話番号を知り数カ月前の予約しなきゃ満杯になることも知って、電話して予約した。スペイン トルコ ギリシャはその本を頼りに歩き回ったものだった。旅先で出会った旅行者と友達になったり、スーツケースを押しながらツアーで旅してる日本人の集団を見ては、私はリュック一つで一人旅って鼻高になっていた自分が思い出される。一人だと自分の好きなようにあるけるのも楽しかった。まず目的地に着いたら宿泊先に行き寝る場所を確保してから観光をする。レストランは高いので行き先々のスーパーとかで買い物したり、食べ歩きしたり。部屋でお湯を沸かしてお茶が飲めるように、アルミカップと電熱器は必ず持ち歩いた。安いホテルに泊まるのでお湯を沸かすポットはないから。

本格的に海外に住み始めたのは26歳から、32歳で出産のため帰国した。40歳で再度海外の仕事へ、46歳で帰国し、50歳でカナダに来たという人生である。37年日本にいて、20年間海外にいるということになった。今のところカナダが7年目になろうとして一番長く滞在している国である。

仕事がらみであちこち旅行ができその思い出が今でも財産になっている。またいつか訪れてみたいと思う。


カナダから病気の母を見舞いに

2017-09-04 12:48:48 | 日記

同窓会のために帰国チケットを買って9月に3週間滞在予定しているが、タイミングよくというかなんというか母が肺炎で入院してしまった。パートナーと一緒なのでいろいろと観光予定であったが、キャンセルしてできるだけ母のそばにいようと思う。今は食止めで点滴だけ。老人に多い誤嚥性肺炎。寝てるときとか、食事のときとかちょっと肺に入っちゃっても 咳をする反射が弱っていて、肺炎になる。老人にとって死亡率が一番高い病気である。2週間の点滴で改善しなかった場合は長期戦になる恐れがある。最悪の事態に陥ったら 人工呼吸器とか胃婁とかで心肺機能だけを動かすという、非人道的な治療にならないように願いたいが家族会議が必要である。

日本では シニアホームでは介護できないから最後の最後まで病院でということになるだろうが、カナダではどうなるのであろうか。早く退院させたいというシステムだが、シニアホームに入ってる人はリハビリ病院というところがあるらしい。パートナーのお母さんが肺炎になったときは同じように点滴したが、食事はしてたし 意識もはっきりしてたから2週間以降は通い点滴して1カ月以上点滴しに外来に通った。

海外にいると 親族の急なことに間に合わないことはよくあって、日本でもそうだと思うが。その辺は少しづつ心の準備をしてなければならない。下肢が弱くなり車いすになると途端に体は弱ってくる。歩けるということは老人にとって大事な機能だ。歩いてるだけで運動だ。しかし97歳の母 頑張ていると思うよ。