カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

ユースホステルの客

2016-03-10 00:08:00 | ユースホステルでハウスキーピング

先週は休んだ人のかわりに働いたので 10日続けた。慣れた仕事なので全くきつくないが、朝食を作るのに朝7時起きがキツイ。自分だけならヨーグルト フルーツ パンで済ませるがね。

若いコケージャンのカナダ人男性が1週間泊まってた。人のいないところで一人で声を出して怒ってる。ちょいと変だ。私は同僚と喋りながら昼食をとってたら、台所で大きな音と声を出してる。イライラしてるのか?私がトイレ掃除してたらシャワーしたかったようで 廊下でイライラして叫んでる。今度聞いたらマネジャーにいいつけてやるとおもってた。ベットの足元には整理出来ない荷物山盛り。レィシストかな?悩みが多いのかな。いろんな人がいる。


10日間仕事

2016-02-26 01:07:00 | ユースホステルでハウスキーピング

ハウスキーピングの仕事を4日友人の代わりに行う。少しは借金返済の助けになるかな。ハウスキーピンギグの仕事は体はキツイが気を使わない慣れた仕事なので問題ない。それにしても生活費の心配をしなくても良いのは今迄の人生ではあり得なかった。一人で電車に乗るのが苦手な次女の送迎が出来る。英語の勉強にも身が入る。56才をまじかにしあちこち体調不良はあるが寝込まなくても良い。感謝。

 


仕事を増やす

2016-02-01 18:32:28 | ユースホステルでハウスキーピング

現在の収入では借金が減らないので、仕事を増やすことにした。娘を高校に送迎してるので週末に3カ所の仕事をする。12時間労働だが1、2時間は休憩とれそうだ。同居人からは バーン アウト 燃え尽き症候群 するんじゃないかと心配されてるが、さてどうだろう。

3年前 しし麻痺の人の住み込み介護しを2ヶ月やった。45kgに激やせしてうつ病気になりそうでやめた。あの時は7時半から夜中の12時半まで その後 夜中の3時に起こされると言うシフトを3日続け3日休み。。今回は楽な仕事を選んだつもりだが。

オイルの景気が悪いので ユースホステルにはまた 現場を解雇された人が戻って来てる。カードの借金抱えて毎月 利子と最低限の支払いを数年してると言う。うーむ 。地道に溜たお金が支払いで一挙になくなり借金に変わった時、死んでも良いから仕事して返さなきゃと自分をいたわることを忘れてしまう。

朝9時から 夜の9時まで どうなっちゃうだろうか。うまく行くと良いが。


ユースホステルの日本人客

2015-12-20 22:03:00 | ユースホステルでハウスキーピング

私が週2日最低賃金で働いてるユースホステルは一泊30カナダドル。円が強いので2500円で泊まれる。州立の大学が近くにあるので日本人留学生がちょくちょく来る。今日出会った人は会社を辞めて4ヶ月英語のクラスに入る。ホームステイすると。もともとイラストレーターでトロントにメールで絵作品を送ってなんとか仕事できたらっていってた。うーん。。ワークビザなしでは誰も相手にしてくれない。ホームステはさああみで700ドルは毎月取るだろうし、学校は4ヶ月 4500ドル。生活費を合わせ8500ドル。。円高なので70万プラス飛行機代。京都に日本語留学3週間 行くという中華系カナダ人は3000ドル プラス 旅費を払うそうで それよりかは安いか。


日本から宿泊客

2015-08-03 20:01:00 | ユースホステルでハウスキーピング

 ユースで週2日ハウスキーピングしてると、マネジャーが日本人のお客がいるよ!とうれしそうに教えてくれる。これで4人目かな?話したのは。一ヶ月農家の仕事を手伝うにきたと言う女性。結構田舎だわ。まあ一ヶ月ならいい経験だよね。馬もいるだろうし乗馬できるようになるかも。

10年ぶりにカナダに来てあちこち旅に出ると言う女性。グレハンバスでこのあと2日かけてオタワに行くそうだ。英語はなせないといえどもものすごい行動力。おっとりして優しそうに見えるがどこからそのパワーがでるんだろう。日本で、認知症のおばさんの介護をしていて、ようやく施設に移動できたから一人旅ができるようになったって。

私が一人で旅したのは27~8歳のとき、シリア、トルコ、ギリシャ、スペインかな。行く先々で友達を作って結局一人でいたのは少なかったかもしれない。今のようにネットはなかったから地球の歩き方を片手に荷物はリュックだけ。ギリシャは意識してカメラも持たず、カメラの代わりに記憶に残すのだと。。今あまり覚えてないわ。

宿を決めて、食事に出かけ、美術館や世界遺産などを観光すると言った気軽なものだった。テロはそんなに脅威ではなかった時代。毎日ウロウロ歩いた歩いた。そして必ず熱が出て、一晩は解熱剤飲んで寝る日がある。レストランで食事するのが高いし、なんだか寂しいので地元のグロッサリーでいろいろかって部屋で食べてたことがよくあったかな。ネットも携帯電話もない時代の旅の情報は、つたない英語で宿泊先のフロントで聞くのが一番であった。20~30代に行った国々をもう一度 余裕ができたら行ってみたいものだ。