いったい、こいつは何者なんだい! インフルエンザにかかって、熱を出しフウフウ言いながら、この病状を引き起こすウイルスに対して感じる感想です。 勝手に宿主の体に入り込み、共生するならまだしも、宿主を苦しめ、時には宿主を死に至らしめる厄介者。
今朝のNHKの報道によると、おととしから去年にかけて、世界的な大流行を引き起こしたインフルエンザのウイルスは、国内の流行がピークとなった3か月余りの間に遺伝子の変異を繰り返し、少なくとも12のタイプを新たに生み出していたことが理化学研究所の研究で分かったそうです。
変異はこれまでの推定の2倍の速さで起きていて、中には、免疫の働きや治療薬「タミフル」の効果が現れにくい遺伝子配列に変わったウイルスもあったということです。
研究グループではこうしたウイルスの性質によって、流行が急速に拡大し、国内で合わせて2000万人以上が感染したのではないかとみています。
理化学研究所の研究員は「大流行したインフルエンザのウイルスは、薬への耐性もすぐに出るので、薬を適切に選択しないと、患者が重症化するおそれがある。引き続き遺伝子の変異について注意深く観察する必要がある」と話しています。
(白っぽいピンク色のツツジの花)
現代生物学では、生物である条件を、次の3つの条件を満たすものとしています。 1 細胞をもつ(自己と外界の境界がある) 実際にウイルスは、細胞を構成単位としていませんが、遺伝子を有し、他の生物の細胞を利用して増殖できるという、生物の特徴を持っています。 現在でも自然科学は、生物・生命の定義を行うことができておらず、便宜的に細胞を構成単位とし、代謝、増殖できるものを生物と呼んでいるので、細胞をもたないウイルスは、非細胞性生物または非生物として位置づけられています。 細胞は生きるのに必要なエネルギーを作る製造ラインを持っていますが、ウイルスはその代謝を行っておらず、代謝を宿主細胞に完全に依存し、宿主の中でのみ増殖が可能です。 ウイルスに唯一できることは、他の生物の遺伝子の中に彼らの遺伝子を入れる事であり、厳密には自らを入れる能力も持っておらず、ただ細胞が正常な物質と判別できずウイルスタンパクを増産し病気になってしまいます。 この事から、ウイルスはまるで、意思も増殖力も生命力もない、ただの分子機械との見方もあります。
ところで、ウイルスは生物なのか無生物なのか、そこが知りたいところです。
2 自己複製や遺伝が可能(DNAやRNAによって繁殖する)
3 代謝する(食べる、呼吸するなどの物質の出入りによってエネルギーを取り出す)
(ツツジの代表的品種のオオムラサキツツジでしょう)
福岡伸一の著書『生物と無生物のあいだ』はベストセラーになったので読まれた方も多いと思いますが、そこでウイルスを取り上げて論じています。
確か、その書物の中で、彼はウイルスを生物と定義していなかったように思います。
また、ウイルスが結晶してしまうことも書かれていて、ほとんど鉱物のようなものに私には思われました。
(明治座前のイチョウの若葉)
ウイルスのゲノムは、他の生物と比べてはるかにサイズが小さく、またコードしている遺伝子の数も極めて少なく、例えばヒトの遺伝子が数万あるのに対して、ウイルスでは3~100個ほどだと言われています。
しかし、少ないと言えども、形質を遺伝させるDNAやRNAをウイルスの核酸の中に含んでいることも事実です。
(DNA:デオキシリボ核酸は、核酸の一種である。高分子生体物質で、地球上のほぼ全ての生物において、遺伝情報を担う物質となっている。
RNA:リボ核酸は、リボヌクレオチドがホスホジエステル結合でつながった核酸である。
DNAとRNAはともにヌクレオチドの重合体である核酸であるが、両者の生体内の役割は明確に異なっている。
DNAは主に核の中で情報の蓄積・保存、RNAはその情報の一時的な処理を担い、DNAと比べて、必要に応じて合成・分解される頻度は顕著である。
DNAとRNAの化学構造の違いの意味することの第一は「RNAはDNAに比べて不安定である」。
両者の安定の度合いの違いが、DNAは静的でRNAは動的な印象を与える。)
そして、今回のテーマのように、ウイルスのゲノムは時々刻々と変異を続けているのです。
どういった要因が影響を与えているかは定かではありませんが、「神の見えざる手」によって成されるように、自在に変異し増殖し衰退しません。
生物と定義すべきか、また無生物と定義すべきか、人類が決めかねている間に、人類の防御ラインを突破すべく、変幻自在な日々を送っているのが、我々を取り巻く無数のウイルスと言ってよいでしょう。
(民家の庭に咲くフジの花)