「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの教室:小5国語授業で「ゆずり葉」(河井酔茗)の詩を教えて

2012年06月20日 | 教室の風景



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 下の「ゆずり葉」と題される詩は、河井酔茗(1874年~1965年)の詩です。先日、塾の小5国語の授業で、この詩をとりあげました。まずは、その詩をお読み下さい。


子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ、
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。 



最近公園で見かけたユズリハの画像ですが、上に開いた葉が新しい葉で、下のシワが寄った葉が古い葉。

【ユズリハ】
 ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木で、古名はユズルハ。ユズリハの名は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから。その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われる。


 河井酔茗「ゆずり葉」というこの詩は、自分の子どもに対する慈愛に満ちた父親の心情がよく表された詩です。大人(親)が読んでも子供が読んでも耳に快い言葉が綴られています。しかし、ちょっと時代が異なると言えども、詩の内容が楽観的過ぎる印象を、私は受けます。大正時代、そして昭和初期に活躍したであろう、この詩人が生きた社会状況は、こんなに優しい心情を吐露できる時代背景だったのか、疑問を感じます。調べてみると、この「ゆずり葉」の詩は、『紫羅欄花』(1932年)に所収された一編であり、1932年は昭和7年にあたります。

 この時期に起こったことを簡単に述べるなら、悪法の中の悪法である治安維持法により、さまざまな文化・思想が弾圧を受け、国家主義的な機運が高まった時代でした。昭和4年には、ニューヨークのウオール街での株価大暴落によって、世界大恐慌が引き起こされ、経済的にも厳しい世の中となり、ファシズムが台頭した時代となりました。狂気の世界の始まりでした。

 この詩が発表される前年の昭和6年には、関東軍による柳条湖事件を契機とした満州事変が起き、日本は大陸侵略を本格化させました。(塾では小5で学習) まさに、社会が混乱し、軍部が台頭し、子女を含む多くの犠牲者を出した戦争への道を転げ落ちていくような時代背景だったはずです。こうした世の中の大人の行為を、ここまで美化できることが私には理解できません。

 はたして、人類は子孫のために、ゆずり葉のように『新しい葉が出来ると無造作に落ちる 新しい葉にいのちをゆずって――。』と、胸をはって言えるでしょうか。そしてこの詩人が語った、『みんなお前たちにゆずってゆくために いのちあるもの、よいもの、美しいものを、一生懸命に造っています。』と、そうした時代を賛美することができるでしょうか。私は、この時代背景を無視し肯定的に捉えているこの作家に、たいへん違和感を覚えます。

 この時代の異常さを訴え行動したために、多くの人達が官憲により拷問され、牢獄から生きて帰りませんでした。文化活動も言論も厳しい統制を受け、逮捕された本人以外にもその家族は国賊として世間から理不尽な痛みを受けたのでした。イデオロギーを超えて、私たちの国の誤った行く末を案じて、多くの人達が命を懸けて行動した時代に、その時代や自分を含む大人たちの行いを賛美するこの詩に、私は憤りを覚えるのです。

 では平和な時代の現代において、この詩は生きてくるのでしょうか。けれども、この作家が生きた戦争の時代とは異なりますが、地球温暖化・酸性雨・オゾンホール・ダイオキシン、膨大にふくれあがった国の借金、そしてまき散らされた放射性物質など、さまざまな深刻な問題が積み上げられれつつあります。

 下手をすると、虹色に輝く宝物をゆずるのではなく、そうした重い負の遺産を子どもたちに背負わせることになりはしないか?愛おしい子供たちに残すべき自然環境・社会環境を考えると、この詩人のように、今の私たち大人の
行いを肯定的にとらえた「ゆずり葉」の詩の言葉を、子どもたちに送ることができるかどうか疑問です。この詩のように、現在の私たち大人の行いを美しく飾るのではなく、もっと自省の念をもって深く考える必要があるはずです。

 ただし、社会が悪い、国が悪いと愚痴をこぼしても、前進しません。また、我が子だけ良ければよいといった利己的な考えも困りものです。自分の出来るところから、少しずつ努力をしていくことが、私達大人の、子どもたちに対する責務と考えるべきです。

 最後に付け加えれば、以上で述べた私の感想は授業では封印し、ユズリハという植物の生態を、子に対する親の情愛の比喩として書かれたこの詩について、一般的な鑑賞を指導しました。

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5 コメント

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Unknown (ゆずり葉の詩は好きです。)
2017-01-31 13:37:38
この詩が出来た時代背景を記載してくださりありがとうございます。
そんな時代だったからこそ、理想を掲げたように感じます。
そして、現代の私達もこの理想を意識して生活していければ良いと感じました。
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Unknown (藤村眞樹子)
2017-02-08 12:11:20
理想に近づくためにはどうしたらよいのか
というのは難問であると思います。
最近のヨーロッパを見ているとその思いが強くなります。

子どもたちの未来が安心したものになりますように
というのが世界万人の願いである
ということを常に発信していく
ということは効果的かもしれませんね。

また、我が子の幸福のためには、ほかの子どもを苦しませてもよい、という考え方や行動は間違っている
とはっきり主張できる時代になっているのかもしれません。
返信する
自責の念 次世代への責務 (どんぽのばぶ)
2018-03-25 19:32:49
2011/3/11以来考え続けていることです。
自分なりに何ができるだろうか…知恵を巡らし続けています。同様の思いでいる人々と志で繋がっていきたいと思っています。
私は仕事がら幼年期の子どもたちと接していますので八方塞がりのような困難な状況にあっても根っこの部分の感性が「簡単にめげない子」「打たれ強い子」「しぶとさを持っている子」に育っていけるような関わりを模索しています。幼年期のあそび体験の質がそれを決定づけていくのではないかと思うのです。
返信する
Unknown (神戸から)
2018-04-11 15:45:43
この詩を私は小学校6年生の時。もう20年以上前に習いました。阪神大震災直後で、ほとんどのクラスの子の家が倒壊し、教室は避難所になっていましたし、学校に来ている人数も少なく、避難所として使っている学校から、図書館で集まれた人が授業を受けるというものでした。
その時にこの詩を配給でもらったノートに写しました。
当時、小学生には特にすることがありませんでしたから、私はこの詩をすぐに暗唱し、今日まで胸をはっていきる大人になろうと思ってきました。
周りの大人は途方に暮れ、どうしようか、どうしようかと毎日言いつつ、それでもお互いに手を貸し、街を修復し、元の神戸を取り戻そうと必死でした。
その大人の姿を、このゆずり葉の詩と投影していた気がします。
35歳になった今、子どももできて、この子たちに残す日本がそんなに素晴らしい世界なのか、と思うことはありますが、小さな人間一人一人は決して未来によくないものを残そうとしている人はおらず、毎日を良くしようとしているものなのでは、と思います。
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Unknown (渋谷しこ)
2020-02-21 06:28:08
我が家は埼玉に住んでいました。国語の宿題に音読がよく出されていました。当時小6の長女の音読の聞き手となっていました。
他にも子供がいた為、音読を聞くのは実を言うと親も苦痛ではありました。長女は中学受験をする為忙しい毎日を送っていました。
その頃主人は単身赴任中で母の私は孤軍奮闘で長女に受験をさせました。しかし結果は失敗に終わり 私の頭が悪いから
子供は落ちたと子供達が寝静まってから一人で涙をボロボロ流しました。 そして卒業式までの間に出た音読の宿題
それが ゆずりは でした。初めて聞いた時から良い詩だなと感じたのを妙に覚えています。主人は建設会社の会社員で
詩の中にある色んな物を作っていました。そしてそれらは未来ある子供達に残して行くのだと勝手に思っています。
あれから時は過ぎ 最近ある文化祭のイベントで自分の声を聞いて見ましょうと言うのがありそれに何の考えもなく参加して
何を読んでも良い時私の頭の中に ゆずりは がポーンと浮かんできました。慌ててスマホでググってどうにか見つけ出し
録音に臨みました。 実は主人は11月にガンの為亡くなっており 作中のお父さんお母さんと言う所で私は涙が出て詰まりました。
詩が作られた時代背景を見ましたが経験していない私は頭の中で上手く変換出来ませんでした。どうしても今現代の原風景しか
わかりませんでした。関東で言うと ディズニーリゾート アクアライン 東京駅 六本木ヒルズ 渋谷の再開発 そして豊洲 
他にもまだまだ色んな物は現在進行形で建設されています。途中で劣化もする事とは思いますが全ての物は小さい子供達の手に
残していきます。主人の最後の仕事は南三陸町(例の3、11で有名な)でした。
詩を現代で考えると 親は先に死んでしまう文明の全て途中のままでだから 後の日本は頼んだぞと言いたい祈りと感じました。
私は自分の経験でしか考えられないので建設をするという事しか考えられず正解であるとも言えませんがー
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