今年四月、多くの市民・有権者・労働組合や民主団体のご推挙を頂き、見事枚方市議会議員に連続10期当選(枚方市議会が始まって三人目)をさせて頂きました。
これまで10期務められたお二人の議員さんは、枚方生まれの枚方育ちで、親戚は勿論の事、小学校・中学校・高等学校の 友達など沢山のお知り合いがあって、達成されたものとおもわれますが、小生にあってはそれらが全くない中で実現できた稀な議員と思われている中、こうして実現できた快挙を、後援会を中心に「祝う会」の開催を企画して頂き 、地元を始め各方面の皆様による「枚方市議会議員堀井 勝 10期連続当選を祝う会」なる発起人会の発足をして頂き、昨日は午前11時からひらかた仙亭に於いて、私の10期連続当選を祝う会を開催して頂きました。
伏見枚方市長を始め、平野校区コミュニティ協議会浜田会長、平野衆議院議員、尾立民主党府連代表(参議院議員)、中村府議会議員 、京阪電鉄(株)中妻人事部長、私鉄関西地連松延執行委員長、京阪電鉄労組松尾執行委員長など多くのご来賓の方々から身に余るお褒めのご挨拶を頂き、改めて頑張らなければならない事を痛感致しました。
お礼のご挨拶に立たせて頂く中で、思い返せば幼少の頃、両親と死別しました私は「これからの子どもたちに私が経験した淋しい思いやつらく悲しい思いをさせる事なく、心と血が通う地域社会を贈りたい。」と言う思いから、23歳で日本社会党に入党させて頂き、15年近く地域での党活動と世直しを目指した政治活動に参加しました。
昭和54年春に行われました統一自治体選挙に「子どもを始め社会的弱者に政治の光を当てると共に地方自治の発展と市民福祉の向上、更に世直しを進める。」事を決意し、党の大先輩や所属する京阪電鉄労働組合を始め、多くの労働組合と民主団体、地元牧野地域の皆々様の暖かいご支援で見事、枚方市議会に貴重な議席を与えて頂きました。
以来、早いもので10期(37年目)もの長きに渡り皆々様に親身のお世話になって参りました。
もとより浅学非才な私を常にご指導下さいました後援会の故・乾初代会長、故・野村二代目会長、故・久保田三代目会長とその時々役員を務めて下さいました皆々様、また、7回もの選挙時に事務所をご提供下さいました故・村上建設社長の方々のご冥福をお祈りを申し上げ、まだまだ不十分な私をいついつまでもお守り下さいますようお願いいたしました。
また、この「祝う会」を企画して下さいました後援会中尾名誉会長、青谷六代目会長と発起人を務めて頂きました皆々様、中でもその代表をお引き受け下さいました60年近く家族・兄貴以上のお世話を下さった加藤卓詞様と後援会役員の皆様、会員の皆様、ご出席下さいました皆々様に改めて心からのお礼を申し上げました。
私の政治信条は、前述しました通りで、それらの実行に当たっては、納税者・生活者・勤労者・消費者の声を市政に生かし「市民が主役の市政の実現」を目標に、この37年間一点の曇りもなく、身体的病気もなく、議員活動に励むことが出来ました事を最善の歓びと思っています。
改めて皆々様に心から幾重にも感謝申し上げます。
私の人生がこれで終わる訳でなく、これからも「初心を忘れる事なく、世のため、人のため、枚方市の発展と市民福祉の向上、社会の変革を目指し」全力で頑張って参る所存です。
皆々様の今後とものご指導、ご支援、ご協力を賜りますよう重ね重ねお願いいたします。間もなく本格的な寒さがやってましります。
暮れ暮れもご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
これまで10期務められたお二人の議員さんは、枚方生まれの枚方育ちで、親戚は勿論の事、小学校・中学校・高等学校の 友達など沢山のお知り合いがあって、達成されたものとおもわれますが、小生にあってはそれらが全くない中で実現できた稀な議員と思われている中、こうして実現できた快挙を、後援会を中心に「祝う会」の開催を企画して頂き 、地元を始め各方面の皆様による「枚方市議会議員堀井 勝 10期連続当選を祝う会」なる発起人会の発足をして頂き、昨日は午前11時からひらかた仙亭に於いて、私の10期連続当選を祝う会を開催して頂きました。
伏見枚方市長を始め、平野校区コミュニティ協議会浜田会長、平野衆議院議員、尾立民主党府連代表(参議院議員)、中村府議会議員 、京阪電鉄(株)中妻人事部長、私鉄関西地連松延執行委員長、京阪電鉄労組松尾執行委員長など多くのご来賓の方々から身に余るお褒めのご挨拶を頂き、改めて頑張らなければならない事を痛感致しました。
お礼のご挨拶に立たせて頂く中で、思い返せば幼少の頃、両親と死別しました私は「これからの子どもたちに私が経験した淋しい思いやつらく悲しい思いをさせる事なく、心と血が通う地域社会を贈りたい。」と言う思いから、23歳で日本社会党に入党させて頂き、15年近く地域での党活動と世直しを目指した政治活動に参加しました。
昭和54年春に行われました統一自治体選挙に「子どもを始め社会的弱者に政治の光を当てると共に地方自治の発展と市民福祉の向上、更に世直しを進める。」事を決意し、党の大先輩や所属する京阪電鉄労働組合を始め、多くの労働組合と民主団体、地元牧野地域の皆々様の暖かいご支援で見事、枚方市議会に貴重な議席を与えて頂きました。
以来、早いもので10期(37年目)もの長きに渡り皆々様に親身のお世話になって参りました。
もとより浅学非才な私を常にご指導下さいました後援会の故・乾初代会長、故・野村二代目会長、故・久保田三代目会長とその時々役員を務めて下さいました皆々様、また、7回もの選挙時に事務所をご提供下さいました故・村上建設社長の方々のご冥福をお祈りを申し上げ、まだまだ不十分な私をいついつまでもお守り下さいますようお願いいたしました。
また、この「祝う会」を企画して下さいました後援会中尾名誉会長、青谷六代目会長と発起人を務めて頂きました皆々様、中でもその代表をお引き受け下さいました60年近く家族・兄貴以上のお世話を下さった加藤卓詞様と後援会役員の皆様、会員の皆様、ご出席下さいました皆々様に改めて心からのお礼を申し上げました。
私の政治信条は、前述しました通りで、それらの実行に当たっては、納税者・生活者・勤労者・消費者の声を市政に生かし「市民が主役の市政の実現」を目標に、この37年間一点の曇りもなく、身体的病気もなく、議員活動に励むことが出来ました事を最善の歓びと思っています。
改めて皆々様に心から幾重にも感謝申し上げます。
私の人生がこれで終わる訳でなく、これからも「初心を忘れる事なく、世のため、人のため、枚方市の発展と市民福祉の向上、社会の変革を目指し」全力で頑張って参る所存です。
皆々様の今後とものご指導、ご支援、ご協力を賜りますよう重ね重ねお願いいたします。間もなく本格的な寒さがやってましります。
暮れ暮れもご自愛下さいますようお祈り申し上げます。