堀井 勝のきまぐれ日記

枚方市議会議員

お陰様で生かせて頂いています。

2012年04月19日 | 日記
私は昨日、満73歳の誕生日を迎えさせて頂きました。私の両親は共に37歳の若さで、私と兄貴をこの世に残して逝去致しました。父親が亡くなった時、私は数えの5歳でした。また、母親が亡くなった時私は8歳でした。以来私は、叔父さん叔母さんの元で、百姓を手伝うかたわら、少しでも生活を豊かにする為に乳牛、綿羊、鶏等々家畜の飼育する事で、なんとか最低の生活を維持する事が出来、お陰様で機械いじりが大好きだった私は滋賀県立瀬田工業高校に進学させて頂く事が出来ました。高校ではボ-ト部に入部し、3年生の時には朝日レガッタや関西選手権等々数々に優勝し、近畿地方においては瀬田高校ボ-ト部の名を轟かせるほどの活躍をする事が出来、昭和32年全国高校体育大会第4位、同国民体育大会第5位と言う輝かしき成績を残し、高校を卒業させて頂きました。また、待望の京阪電車に入社させて頂き、30歳になるまで仕事とボ-トを漕ぐ事を続け、実業団になってからも京阪電鉄ボ-ト部として
東京、熊本、岐阜等々で開催された国民体育大会に京都府の代表として出場させて頂きました。京阪電車に入社させて頂いて間もないころ、会社の上司である加藤様宅に居候をさせて頂き、ここで親身のお世話になった事は今もはっきりと記憶に留める傍ら、若かったとは言え「よくもあれほど厚かましくさせて頂いたなァ-」と言う思いと「親以上にお世話下さった恩人」として一生涯忘れる事の出来ない私にとって最も大切な御仁として、お仕えさせて頂いています。この様に、この歳に至るまでの私は、会社や職場は勿論の事、労働組合運動に取り組んでいる時も、自治会を初め地域の活動をしている時も、また初めて市会議員に立候補させて頂いた時に戦う城をお貸し下さった村上建設の社長、乾初代後援会長、野村氏、久保氏、中尾氏等々歴代後援会長やその時々の後援会の役員の方々、そして今尚一生懸命私のお世話をして下さっている方々、また応援をして下さっている方々など数え切れない沢山の方々に今もお世話になっています。本当にありがとうございます。改めて心から
厚くお礼申し上げます。73年もの長きにわたり、私をここまで育てて下さった皆々様に、私の命のある限り、ご恩になった満分の一でもお返しが出来ますようこれからも頑張って参りたいと思っています。まだまだ至りませんがこれからもよろしくお願い致します。

満開の桜を見ました〓

2012年04月12日 | 日記

昨日の天気とうって変わって、雲一つない晴天の下、一週間ぶりに穂谷川の遊歩道を牧野阪までの往復を歩かせて頂きました。今年の春は気温が低かった為桜の開花が少しおくれておりましたが、ここに来て、気温が一気に上がった事により、「お見事」の一言につきる「満開の桜」となりました。これほど綺麗に咲いた桜花を見ながすだけでなく、「花見で一杯」と在りたいところですがなかなかそんな機会に恵まれる事もなく、全く残念でなりませんが、東日本で地震と津波の犠牲になられておられる方々や原発の事故で、有無語る事なく故郷を追い出されておられる方々の事を思えば、このように素晴らしい満開の桜花が見られる私たちは幸せいっぱいと思わないでおれません。しかし時あたかも国内外では、北朝鮮のミサイル打ち上げ問題や大飯原発の再稼動問題など、私たちの生活と環境を脅かす問題が次々と出ています。産業の発展、科学技術の進歩、豊かな生活等々どれもこれも大いに結構な事ですが、そこに至る前に、人間が人間として自然界の中で人間らしい営みを保証する事が
、政治家に課せられ最も大事な役割だと言う事を胆に命じて、これからも頑張って参りたいと改めて決意をしているところです。

今夜は阪神巨人の観戦に来ました

2012年04月07日 | 日記
プロ野球の開幕後初めての甲子園での阪神・巨人が開催されましたので、半年ぶりに観戦に来ました。今年も阪神ファ-ンの凄さを見せつけられました。日本の政治もこれほどの迫力があればいいのですが今の野田民主党では、かっての自民党よりひどい政治が続けられており、期待するものは何もありません。民主党の一党員として誠に残念でなりません。今夜は何もかもわすれて阪神・巨人戦をモッパラ楽しませて頂きます。日頃のご支援に改めて熱く御礼申し上げます。