堀井 勝のきまぐれ日記

枚方市議会議員

交通政策フォーラム2013 に参加

2013年04月23日 | 日記

私は、昨日から四国の道後温泉で開催されていました私鉄総連主催の交通政策フォーラム2013に参加させて頂きました。北は北海道から西は九州にいたるまで、全国から250名をこえる私鉄の仲間の皆さんが一堂にかいして国民・市民のために、公共交通機関に働く労働者として何を成すべきか〓について、社団法人日本民鉄協会、社団法人日本バス協会、社団法人全国ハイヤー・タクシーり連合会、代表のご挨拶や基調講演、国土交通省鉄道局鉄道事業課の三森浩二課長補佐による、「地域鉄道の活性化に向けた取り組みなど
について」や「地域公共交通活性化法による鉄道事業再構築事業の概要」などの報告を受けた後の質疑、東急・京阪各労働組合からの、職場での数々の取り組みの報告、鉄軌・バス・ハイヤータクシーの三分科会での数々議論など、両日とも午前9~17時まで、中味の濃い議論が尽くされました。折角何十年振りにやって来たて「坊ちゃんの道後温泉」だのに、ゆっくりさせて頂く事もできないまま、明日は帰ります。誠に残念でなりませんが、今度はゆっくりと訪れたい事を願って帰ります 。

恥ずかしい事ですが満74 歳になりました。

2013年04月18日 | 日記
昨日、私は満74歳を元気に迎えさせて頂きました。私が5歳の時に父親が、また8歳の時に母親が共に37歳と言う若さで他界しました。私の両親は私と兄を残して、死ぬに死にきれない思いを残して他界していったのではないかと思います。また、戦前の「物も何の楽しみもない時代、苦労に苦労ばかりの人生」だったろうと思います。以来、私はおじさん、おばさんをはじめ言葉で表現出来ない程沢山の方々のお力添えとご指導、ご支援、ご協力を得て、今日を迎える事が出来た事、元気に生かされて来た事に感謝の気持ちいっ
ぱいで誕生日を迎えました。思えば、私は幸せな事に、両親の二倍 元気に生かせて頂いています。しかし、私にも25年前、当時24歳の長男を他界させてしまい、両親とは全く違う悲しみもありますが、いついつまでも強く、逞しく、人様に正直に、優しく生きて行くよう産んでくれた両親に改めて感謝し、余生はそう長くないと思いますが、ここまで私を育てて下さいました万人の方々のお役に立てるよう、また、ご期待にお応えできるよう粉骨砕身頑張って参ります。皆々様の更なるご指導、ご支援、ご協力を重ね重ねお願い
申し上げます。

昭和29年南郷中学校卒業生の同窓会に出席

2013年04月13日 | 日記
本日、午前11時から我が郷里である大津市南郷の料亭「二葉屋」にて、昭和29年度南郷中学校卒業生の同窓会を地元在住の有志の方々の呼びかけで開催して下さいました。この会は、申し合わせにより2年に一回開催される事になっています。卒業生総数は107名ですが、物故者は既に25名(この2年間に2名)となり、今年の参加者は43名でした。担任の礒崎先生は、私より12歳年上で86歳になられたそうです。私たちの学年担任の先生は3人おられましたが 2人の先生はすでに亡くなられています。私の担任の礒
崎先生はお元気で今回も出席下さいました。写真は礒崎先生とのツーショットです。私は幼少の頃に両親を無くしていて、礒崎先生と同様の境遇だった事から、礒崎先生にはすごく目を掛けて頂き、先生の宿直の時には必ずと言っていいほど、先生の布団の中に入って寝させて頂きました。今年74歳になる私が今あるのも、こうした礒崎先生の「優しさと厳しさのご指導があったからこそ」と何時も感謝致しておりますが、今日も先生にお会いして、改めて感謝の気持ちを伝える事が出来ました。また、43名の級友の皆さんとは、
旧交を温めると共に、2年先までお互いに健康 に留意し出会える事を約束して帰ってきました。

今朝の目覚めは爽快です。

2013年02月19日 | 日記
昨年の12月3~4 日にかけて、睡眠時無呼吸症で無いかどうか?の検査をして頂いた結果を、去る7日にお聞きしたところ「あなたは重症の睡眠時無呼吸症候群です。」 との診断結果に基づき、経鼻的持続陽圧呼吸療法(CPAP)にたよらざるを得ない事になりました。昨夜、生まれて始めて鼻マスクから空気を送り込む 器具を装着して寝ました。始めての事だけに、寝られるだろうか? 心配でしたが、何の抵抗もなく熟睡出来ました。今まででしたら夜中に3~4 回小便に起きておりましたが、昨夜は1時頃に寝て4
時頃に1回小便に起きましたが、午前7時30 分まで熟睡出来ました。目覚めもすっきりと快適です。私は長い間、自分が睡眠時無呼吸症候群であるなんて気付きませんでしたが、昨年8月に買った「らくらくスマホー」に内蔵されていた「睡眠ログ」の活用により、これを発見する事が出来ました。改めて「らくらくスマホー」に感謝しています。

ヤッと睡眠時無呼吸症候群と決別出来るか〓。

2013年02月19日 | 日記
去る7日、診察の結果、睡眠中の1時間当たりの無呼吸が49・2回、平均無呼吸時間は32・5秒、最長無呼吸時間71秒で「あなたは重症睡眠時無呼吸症です」。と言う判定が下り、いよいよ経鼻的持続陽圧呼吸療法(添付写真)なる治療をする事になりました。この治療は圧力を加えた空気を鼻から送り込むことによって気道の閉塞をとりのぞくと言う治療法です。添付写真でご覧のように鼻から圧力空気を強制的に入れるのですから寝れるかどうか? が最大の課題です。この治療によって、一晩で劇的に症状が改善された方
もおられるようですから、頑張って続けたいてえもいます。

ヤッと結果の説明を受ける事が出来ました。

2013年02月08日 | 日記

昨年の12月3~4 日にかけて、市民病院で「睡眠時無呼吸状態の有無について」添付写真のごとく器具を装着して、検査をして頂きました。結果の説明が2ヶ月も無かったので、「何ら問題が無かったのだろう 〓」と思っていましたが昨日は定例の問診日でありましたので病院に行きましたところ主治医の先生から、2ヶ月前の「睡眠時の無呼吸状態」についての説明を頂きました。検査時は、写真のごとくセンサーが貼り付けられている為、寝つけ無くて睡眠に入ったのは午前3時頃から6時30分頃まで約3時間30分程で
した。先生の説明では、僅か4時間足らずの間に、無呼吸の回数は173回、最長無呼吸時間は71秒、平均無呼吸時間は32・5 秒、睡眠中一時間あたりの無呼吸回数は49・2 回/時と言う事で、以上の結果「あなたは重症睡眠時無呼吸症です。」となりました。ヤッと事実が判明して、ホッとしています。これが判明した発端は、昨年8月ドコモから(らくらくスマホー) なるものの発売されたのを機に「年甲斐もなく」と笑われるかもしれないが、(スマホーとはどんなものか〓挑戦してみよう〓) と取りかかった事
がきっかけです。このスマホーのソフトの一つに(睡眠ログ) と言うソフトがあり、睡眠中のいびきや寝返り、更に無呼吸時間と回数まで自動的に入力されるようになっている事を知り、そのシステムを利用した事で、私が睡眠時無呼吸である疑いをつかみ、主治医の先生に申し出た事でこの結果を得る事が出来、(らくらくスマホー)さんに感謝の気持ちでいっぱいです。睡眠効率20㌫以下で、もともと鈍い脳みそが更にボーとしていましたが、睡眠効率が50㌫にもなれば、人並みに脳みそが活性化するかも知れないと思うと
、また、一段と希望が湧いて来ました〓。ガンバルぞ〓〓

アッと言う間の一月度の活動記録

2013年02月07日 | 日記





今年も輝かしい新年を元気で迎える事が出来ました。己年にちなんで、今年は大いに脱皮したいと願って止まなかった一月も、アッと言う間に終わりました。一月度、私の活動は以下の通りでした。
●1日・ 午前5時、朝起き会出席、6時30分片埜神社参拝、午前10時民主党街宣車による牧野地域のご挨拶廻り、夜新年市政報告書の地域配布。 ●2日 身内の挨拶まわり
夜:新年市政報告書配布● 3日 新年市政報告書の 地域配布。
● 4日 枚方市議会新年交 歓会、京阪電鉄労組
新春旗開き(写真添付)● 5~6日新年市政報告 書地域配布及び後援
会役員さん挨拶廻り● 7~9日(朝6時30分~8 時)京阪牧野駅前にて 新年ご挨拶ならびに 市政報告書の配布。8日私鉄関西地連旗 開き。大阪市内各労
働組合ご挨拶廻り。
● 11日午後から風邪によ る腹痛、下痢、嗚咽 でダウン。
● 12日一日中ダウン。
● 13日消防出初め式(写真 )。午後消防団新年会 夜:殿二校区コミュニ ティ交歓会。
● 14日成人式はたちの集 い。
● 15日 地域の課題につ
いての相談受け。 ● 16日、議会の研修会 午後牧野小オープン スクールを見学。 ● 17日、農業委員会総 会及び懇親会。 ● 18日、町内老人会新 年会。 ● 19日 、平野小学校 区一人暮らし高齢 者新
年会。菊芳会 新年会。夜校区コ ミニティ協議会定 例会。
●20日、招提小学校区オ ヤジの会ボーリン グ大会及び懇親会●22日、午後市民相談に 来庁。 ●24日、後援会役員会及 び懇親会。 ●26日、 平野小学校いき いき広場(移動動 物園) 。 ●2
7日、 招提・平野ソフ トボール同好会 新年会。 ●28日 市民相談に来庁 あり。 ●29日 平野小学校一年 生の昔遊び(コマ 回し)に参画。 ●30日 M社会福祉法人
相談事で来庁。等々新年もじっくり落ち着く間もなく、右往左往の毎日が終わりました。

新年始めての「気まぐれ日記」の更新が出来るようになりました。

2013年01月16日 | 日記
昨年末は、29年ぶりの師走の総選挙が行われ、3年3ヶ月前、有権者の皆様から圧倒的なご支援を得て政権交代を実現させて頂く事が出来ましたが、この間に「公約」にもなかた「消費税増税の導入」や、「口先だけの政治主導=かっての自民党時代よりひどい官僚政治」、「各大臣や政務三役の職務上の不手際を始め各代議士の政治家としての素質の無さ」等々、党中央の指導力の無さや、体たらくぶりが露呈され、当初の期待は「ガッカリ」と「ウンザリ」から「民主党は一刻も早く政治の舞台から失せろ」となり、選挙の結果
は当然の帰結とは言え、結党以来最低の勢力しか持ち得ない「党」になりました。 私は、24歳から「額に汗して働く労働者が中心の世の中を作りたい」と言う思いから(日本社会党→民主党)に入党させて頂き、46年間世直しを目指して来て、ヤット政権交代が出来た?と思ったが 、確固たる業績を残さないまま「地に落ちて」しまいました。「お灸」を頂いた事は、私たちに取って大変有り難い事でありますが、余りにも大きな「万年灸」であっただけに、「全身大火傷」で、とりわけ「最低10年以上の瀕死の重体」に
なっています。心機一転0からの出直しに頑張って参りたいと思っています。これからも、皆様のご指導 、ご厚情をよろしくお願い致します。年末は、12月定例市議会での一般質問あり、各種忘年会あり、年末のご挨拶まわりや各夜警詰め所まわり等々元気で一年を締めくくらせて頂きました。本当に有りがとうございました。

「無呼吸の疑い有り」で検査入院。

2012年12月03日 | 日記

3年3ヶ月前、私たち民主党は「国民の生活が第一」 のスローガンを掲げ、具体的な公約は①国の総予算207兆円を全面組み換え。税金のムダづかいと天下りの根絶。議員の世襲と企業団体献金を禁止し衆議院定数を80削減。②中学校卒業まで一人当たり年31万2000円の「子ども手当て」を支給。高校授業料実質無料化、大学生の奨学金を拡充。③年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金の実現。後期高齢者医療制度を廃止し、医師の数を1・5倍にする。④「地域主権」を確立し、その第一歩として、地方の自
主財源を大幅に増やす。農業の戸別所得補償制度を創設。高速道路の無料化、ガソリン税などの暫定税率廃止。⑤中小企業の法人税率を11㌫に引き下げ。月額10万円の手当てつき職業訓練制度を確立。地球温暖化対策を強力に推進など5つつの課題、55項目の具体的な約束を持って政権交代をさせて頂きました。然もそれは予想もしなかった、308議席も与えて頂くものでした。当時は参議院でも過半数を超えていたにも関わらず、官僚のサボタージュや不当な情報操作によって政策実現どころか、党内のいろいろな意見にク
サビを打たれて、まとまらない「民主党」をマスコミを通じて吹聴れ、参議院選挙直前に消費税増税をつぶやかされた事で大敗し衆議院・参議院のねじれ現象と国難に当たる東日本の大震災等々、政権党としての経験がなかっただけに、官僚の組織的攻勢の前に、ひとたまりもなく「民・自・公」による(みんなで渡れば怖くない式)消費税増税が一言の党内議論もないまま、アッと言うまに法案は国会で通かしました。これでは、民主主義を最も重んじなければならない我が民主党は戦前の体制翼賛会と何らか変わらないのではな
いか〓と思えてなりません。財務省に踊らされて、消費税増税法案を通過させた野田首相には「来年度の予算編成はさせない」とばかりの世論形成をし、我が民主党にとって最悪の時期に解散をいわしめた「官僚指導解散総選挙」がいよいよ始まります。私たちは、3年3ヶ月の政権で、国民の皆様のご期待にお応えできた約60㌫はそれなりに正しく評価を頂く反面、経験不足で達成出来なかった課題は何故できなかったを猛省し、3年3ヶ月の経験をこれからどのように生かしていくか〓懇切丁寧に説明しなければならないと同時
に、明治以降140年もの長い間続いてきた、官僚機構・統治機構の大改革に積極的に取り組まなければならないと思います。 いよいよ出陣にも関わらず、 私はこの夏以来、就眠中最高227秒をはじめ、たびたび無呼吸であった疑い有りと言う事で、市民病院に検査入院し、写真のような検査機材をつけて只今から就眠にはいります。お休み〓

忙しかったが、充実した一週間でした。

2012年11月19日 | 日記



去る11月10 ~11日は、本市の市制施行65周年記念事業として、淀川河川敷において「くらわんか産業いきいき祭り」が開催されました。会場では農業生産物をはじめ、市内の産業界が誇る最先端技術や機械の披露もされ、また、友好都市・市民交流都市の 物産展も開催されました。私は初日の午後3時頃に伺いましたが、大勢の市民の方々の参加で大変賑わっていました。議会では、「65周年など、中途半端な〓」と言う意見もかありましたが、市民の皆様はお祝いムードだったと思います。

● 11日(日曜日)は、地元平野校区自主防災会の初めての試みとして、災害時を想定した(避難所訓練)が行われました。当日は早朝にも関わらず 、また天候が余り思わしくないにも関わらず、各自治会から多数の住民の皆様が ご参加されました。前持って、避難所でのそれぞれの役割と班分けは示されていたものの、各班における組織として(どのように統治するのか?)と言う事が示されてなかっただけに、各班とも随分戸惑いがあったように思います。それだけに反省会ではいろいろの問題点が出されました。私は、
非常に良い訓練だったと思っています 。なぜなら、非常時・災害時と言う事態では、全てのライフラインがストップ し、何もかも(手探り)の中で住民自身が組織化し、それぞれの組織が住民の安全・安心を互いにまもるための役割を果たさかければならないと思うからであります。
● 11月12 日(月)午前10時から、兵庫県加西市議会に 研修に生きました 。人口4万少々の加西市議会は全国約800ある市議会の中で、7番目に位置する程議会改革がすすんでいる議会だから、「議会改革の中味」の勉強をさせて頂きました。今私たちが取り組んでいる議会改革 調査特別委員会に反映してまいりたいと思います。
● 11月13日、牧野駅前広場と連動して完成した再開発ビルの一室が(水浸し)になっている事や穂谷川の駅前広場に接続している管理用道路敷きの開放など、超党派議員で取り組んでいる問題解決について、行政に申し入れを致しました。夜7時から平野校区福祉委員会の会議に出席させて頂き、貴重なご意見を聞かせて頂きました。
● 11 月14 日 京阪電鉄工務部OB会の定例懇親会が菊花薫ひらかたパークで開催されましたので、出席させて頂きました。中之島新線を手掛けられた当時の社長をはじめ、今年めでたく91歳を迎えられた元役員さんや、諸先輩の方々35名と現役専務・さんと常務さん、担当部長さんの方々がご参加くださり、お互いに昔話しに花を咲かせ、楽しい一時をすごさせて頂きました。
●私たちは、そんな和やかで楽しい一時を過ごさせて頂いていた「正にその時、日本の政治史上歴史に残る民主党と自民党の党首討論の中で衆議院解散」が約束された事を聞きビックリ仰天〓しながら19時からの校区コミュニティー安全グループの定例会に出席させて頂きました。
●11月15日午前10時、来る26年開設予定で建設が進められている、市立枚方市民病院の現地視察を議員団揃ってさせて頂きました。見させて頂きました内容は、写真で表示しているように地震災害を軽減する為の免震装置設置工事現場でした。「百聞は一見にしかず」の諺通り、現場を見て説明を受けると、直ぐ様理解が出来た上、市民病院が安全・安心を確保しつつ建設されている事を確信致しました。午後からは、議会選出の農業委員として、地元招提地区の農業情報交換会に出席させて頂きました。
●11月16日午前中は市民病院で定期検診を受け、午後からは万博記念公園で開催されました第52回大阪府市議会議長会主催の研修会に参加。18時から枚方市駅前で、私には全く納得出来ない衆議院解散による緊急街頭宣伝 と19時30分から全議員団会議に出席。
●私だけかも知れませんが、今回の衆議院解散ほど理解出来ない解散はないのではないか〓と思っています。3年半前、国民や有権者に大きな期待を持たせるマニフェストを示した事で、308人もの衆議院議員を誕生させて頂き、日本国の政権を担わせて頂く事になったにも関わらず、約束をした①税金のムダ使いの根絶。②国の総予算207兆円を全面的に組み換え。③八ッ場ダムの中止をはじめ公共事業の見直し。④衆議院の定数80人を削減。⑤沖縄の基地の見直し。⑥年金・医療改革調査(後期高齢者医療制度の廃止)。⑦
高速道路の無料化、ガソリン税の暫定税率廃止。等々の約束は果たせていません。それどころか当初から約束もしていない「消費税増税だけは(命がけでヤル)」。然もそれは(みんなで渡れば怖くない) 方式で、うたい文句の政治指導からいつの間にやら官僚の黒子?指導にシフトされた挙げ句の解散としか私には思えません。衆議院議員の任期は来年の8月まであるのだから、政権党として「本気になって命がけ」で事に当りもせずして「国民の信を問う」など、私には論外としか言いようがありません。本当に「国民に信を問
う」のであれば消費税増税の時点で堂々と解散総選挙をやるべきだったと思う

鳥取県の岡野農場・農業の研修をしました。

2012年10月26日 | 日記
●昨日(10/25)は枚方市農業委員会の一員として、鳥取県境港市中海干拓地をはじめ弓浜干拓や米子市 和田・大崎・日下原など鳥取県が取り組んでおられる農業振興策の一部について研修させて頂きました。説明を頂いた内容は、(財)鳥取県農業農村担い手育成機構と言う施策でした。これは、農業経営拡大および農地保有の合理化、また農業用地の開発を促進し、次代の農業の担い手を計画的、永続的、効果的に確保することにより、鳥取県農業の振興に寄与する事を目的に設立された法人。こうした目的に添って、実践
されておられる有限会社岡野農場(境港市) 岡野修司社長から数々の取り組みについてお話を聞く事ができました。岡野さんはもともと青果業をされておられ、平成6年に農場を立ち上げられ、僅か9年間で89ヘクタールもの 広大な耕作放棄地開墾し、ジャガイモ、大根、白ネギ、ゴボウ、サトイモなど数々の野菜を加工し、各コンビニチェーンに販路を確保されておられる6次産業化のモデルとして活躍されておられる方で今後、更に100ヘクタール規模の耕作放棄地の活用を目指すとお話下さいました。岡野さんの耕作放
棄地の活用は自然を利用しながら、しかも科学的に、土地の高低差による気温差(海抜数メートル~700メートルの高地)を利用し、しかも農地の生産力を上げる為のフル活用 や中国奥地からの研修生の受け入れなど、日本の農業経営者にお会いし実のあるお話しがきけてとっても良い視察でした。

備え有ればうれいなし。

2012年10月25日 | 日記

去る10月21日午後2時から約2時間、私たちの地元、養父東町自治会で6回目の自主防災訓練が実施されました。私たち牧野議員団(三島議長、岩本議員、そして私) もご案内を頂きましたので出席させて頂きました。殿二校区内でも、単独自治会でこうした訓練を毎年行なって下さる事に、頭が下がります。災害が起こっては困りますが、いざ災害が発生すれば、消防や市役所はそれなりの行動はしてくれますが、それらが身じかに来て、行動を起こすまでには相当の時間がかかりますから、初歩的行動は、隣近所や自治会に
よる活動が最も大切です。それだけに、養父東町のような訓練が毎年繰り返し行われる事で、隣近所の安全・安心が益々高まると思います。また、市内各地でこのような訓練が実施されれば、枚方市民の防災意識が更にたかまると思いますので、地域の皆様と協力して、取り組みを強めて参りたいと思います。
●さて、私事になりますが、世間の経済が一向に良くならない事もあって6年前から、写真で紹介しております軽自動車のワンボックスカーに乗り換え、それを機に、自然災害に備える為の食料、加熱機材、水、初歩的医薬品、衣服類など、最低一週間は自活できる体制を備え、添付写真のように常に自動車の荷台に乗せいます。養父東町の防災 訓練の後 、冬を迎える衣類の入れ替えと賞味期限のきた缶詰めをはじめ 各種食料品の入れ替えを済ませました。何時起こるか全く予測出来ない自然災害だけに、心身は勿論のこと最
低限の機材は常に備えたいと心得ています。

最近参加した諸行事について〓

2012年10月19日 | 日記

〇去る10月7日は私の居住する平野校区をはじめ、招提・殿二・西牧野など各コミュニティー協議会による区民体育祭が盛大に開催されました。共通して言える事は、少子高齢化により年代別出場選手の選考に大変苦労されている事に加え、それらを考えて種目やプログラムに苦慮されている事がよくわかりました。地区別対抗では、最後の最後まで、選手が集まらない地域にあっては、大逆転で勝敗が決まる場面もありました。
〇 11日は午後から枚方市主催の追悼式がご遺族をお招きして、本市は勿論、お国のために尽くして下さった戦没者、殉職者1908の方々のご冥福を皆様とご一緒にお祈りさせて頂きました。
〇 13日の午前中は、農業委員会主催の(農業ふれあいツァー)サツマイモ掘りに、議会選出の農業委員として、参加させて頂きました。近隣の市民の方々や子どもたち約80人 がご参加くださり、立派に作って下さった片岡 さんのサツマイモを皆様とご一緒に収穫しました。
〇 15日は、午前中かたの神社の秋祭りが厳か に開催されました。氏子の皆様や地域のご代表の皆様とご一緒に参拝させて頂きました。
〇 17日は、久し振りに、私の唯一の趣味である釣りに早朝5時より、丹後・伊根まで出掛けました。当日は残念ながら台風の影響で、宮津湾は朝から〓が降って最悪の釣り日和でした。それでも好きな釣りなので、午後4時頃まで釣りましたが、釣果はチダイ三匹とイサキ一匹、ハゲ一匹の寂しいものでした。帰り道は枚方市でも大雨洪水注意報がだされている中、京都縦貫道を前も見えないなか、帰ってきました。
〇 10月19日は、平野校区老人連合会主催の日帰り 旅行、(播州赤穂・赤穂神社) に参加させて頂きました。大石内蔵助をはじめ赤穂浪士の綿密な計画と持ち続ける執念の深さに、今なお感服する次第です〇 本日は、民主党、自民党、公明党による党首討論が行われたようですが合いもかわらず、与党も野党も、今日的状況の中で国民生活をどうするのか?これからの日本国の進む方策をどうするのか?など全く示すことなく、単に党利党利だけを論じている日本の政治家の政治家たらざる姿をみるにつけ、「情けないな
ァー」と思うのは、
私だけでわないと思います。日本の政治家よ〓特に与党・民主党の議員たちよ〓、いい加減に目をさまし、諸外国の動向を注視し、有るべき方策を早急に構じなければ、益々国民から見放されるばかりですよ〓。

〓が的確に送信できません

2012年10月19日 | 日記

久しぶりに感動的映画を見ました。

2012年09月25日 | 日記
先日、私は久しぶりに心を打たれるような映画を見せて頂きました。それは「天地明察」なる物語を映画化したもので、今から約350年前、江戸時代のはじめ、当時の日本人は日々の生活には 暦が欠かせない基盤をなし、現在よりも遥かに日付が厳しく守られていたようです。従って、宗教、政治、経済、社会生活など全てに大きな影響を及ぼし「暦を司る者が国を支配する」と言うほど重要な存在だったようです。それほど重要な「暦」の間違い(時間的ズレ)を正し、「新たな暦」を作ると言う正に「国を揺るがす一大計画」
を会津藩主保科正之(暦のズレを気にかけ改暦を積年の宿題としていた)から改暦をまかされた男・安井算哲 が、それに取り組みますが幾度も幾度もの失敗を繰り返し、挫折に躓きながら、さまざまな人々との出会いの中で支えられ、協力を頂き、導かれながら、決して諦める事なく、常にひたむきに 夢を追い続け、日本列島各地での天体観測(北極星観測)中、落ち合う約束の観測隊長が逝去され、また天候にも恵まれなかった為、約束の時期よりも半年も遅れて江戸に帰る。江戸では、会津藩江戸領に建てられた立派な観測
所に、算術、暦学、中国暦の専門家集団により観測が続けられるが、それを破壊しょうとするヤカラの存在などいつの時代もかわらない事があるんだなァーと思いしらされました。暦は歴史的に「宣明歴(せんみょうれき)唐で822~892年まで使わた暦、日本では平安時代862年から800年以上つかわれていた暦だそうです。」続く「授時歴(じゅじれき)は中国の元1281年~清1644年まで使わた暦で日本では江戸時代の初期使われていた暦と言われています。」それらに続く「大和歴(やまとれき)授時歴に日本
と中国の経度差を補正し算哲が見事完成させた太陰太陽歴。日本で初めての暦で1684年10月29日に採用が決定され、1685年より施行されている暦と記されている。」その暦にもかねてより朝廷の利権が絡んでいたため幕府が改暦を請願するも、公家に理不尽な理由で却下されていたようです。算哲はその理不尽な理由を払拭し、自らが取り組んできた暦を間違いのない暦であることを立証する為、かいき日蝕が当たるかどうか…?三年かけての公家との勝負に勝利し、ヤット改暦に至ると言う物語を映画化されたものでし
た。私はこの映画をみて、安井算哲と言う人・またその人柄、人間性、情熱、思想、努力、忍耐力、人々の支え、献身的な協力、そこに結集された人々の知恵と力等々、時代がどんなに変わろうとも、一つの大事を成し遂げる人がその「道理」を改めて教えて頂いた思いが致します。これからの時代、今日の民主党のようなだらしない政治でなく、まともな政治と政治家を目指される方は勿論の事、役立つ国民を目指す若者や市民や国民に役立つ行政マンを目指される方なら是非この映画をご覧になるか、単行本をご一読されこれから
の自らの生き方のご参考にされる事をお勧め致します。老婆心の勝ヨリ。ご覧頂きありがとうございました。皆さまから忌憚のないご意見が頂戴できれば幸甚です。